works - これまでの上演作品

Die arabische Nacht|アラビアの夜

作 / ローラント・シンメルプフェニヒ

訳 / 大塚 直

演出 / 矢野 靖人

レビュー

shelfの上演には明示的にエロチックな表現は皆無である。冒頭で、ローマイアーが見初めるフランツィスカは「ほとんど裸」という設定なのだが、それさえ控えめだった。しかし演者たちの張りのある声がそれぞれの身体の周囲に空間を設定し、それらがせめぎ合う中で、次第に空間どうしの関係性そのものがエロス的に見えてきた。演出がそれを狙っていたかどうかは別として、空間の「接触」から生じるエロスが、原作の昇降運動のそれに取って代わっていたように思えた。
(山下純照 成城大学文芸学部教員)

演出ノート

思考は言葉の在り様であり、思考は書き言葉によってより深められる。そしてその深められ研磨され凝縮した言葉が人間の思想、哲学の謂いであるとすれば、その凝縮された書き言葉を発語し、言葉を声として身体化する行為は、人間の精神活動の在り方、身体の在り様を刷新・復権することが可能なのではないか。shelfは斯様な意味と意志のもと、俳優の「語り(Narrative)」に着目し、舞台芸術という今・この場所で直接に人と人が触れ合う芸術表現の可能性を追求して来た。

今回取り上げる戯曲は、現代ドイツ演劇界において、ポスト・ドラマという文脈から独自に「語りの演劇(Narratives Theater)」という演劇理論を提唱するローラント・シンメルプフェニヒの代表作『アラビアの夜』である。同じ「語り」という言葉を使っているのは剽窃でもまして偶然でもない。シンメルプフェニヒの戯曲では登場人物の内的独白はもちろん、行動や状況の簡易な描写までもが俳優の発語行為として成立すべくすべて台詞として書かれる。シンメルプフェニヒがポスト・ドラマの文脈に由来するとすれば、わたし達のそれは日本の近世以来の見立ての芸術文化、あるいは、他でもない日本を代表する演出家鈴木忠志の「騙り」の演劇の延長線上にある。

日本の古典芸能を踏まえた「語り(=騙り)」の文法で、西欧ポスト・ドラマの文脈におけるシンメルプフェニヒの「語りの演劇」を上演すること。それは単に演劇的な実験であるだけでなく、人間の思索と言語、発語行為の在り方を巡る、文化の翻訳の可能性と不可能性の検証、更には異なる文化間におけるコミュニケーションの新たな方途を探るプロジェクトである。

同時代を生きる現代作家のテキストをshelfで扱うのは随分と久しい。shelfクリエイションの新機軸にどうかご期待頂きたい。
矢野靖人

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