「よく思い浮かべてみるのですが、もしも人生をもう一度始めることが出来たなら、どんな風でしょう。しかもすべてをもう知っているんですよ。すでに生きてしまった人生は人生のうちのひとつでしかなく、つまり初稿であって、第二稿がそれを清書するのです。そうなったら誰だって元の自分を繰り返さないように努力するんじゃないでしょうか。少なくとも違う暮らしぶりをしようとすることでしょう。花で飾られ光りにあふれた、そんな住居を手に入れようとすることでしょう——私には妻とふたりの娘がいますが、妻は病気がちでね、いろいろとありまして、それはもういろいろと——まあ、私がもし人生を新しく始めることになったら、結婚などしないでしょう——いやいや、お断りです。」
もし過去の一場面に戻り、そこから改めて行動を選択し人生の記憶を持ったままもう一度生き直すことが出来たならどこで何を選択し、行動すればいいのか。人は別の選択をして別の人生を送ることが出来るのか。人生の選択をやり直す自由が与えられた行動科学の教授ハンネス・キュアマン。演出家が、キュアマンのすでに生きられた伝記をもとに、過去の出来事へと彼を導き、彼に行動を選択させる。キュアマンは選択した場面を舞台上でもう一度演じ、言わば伝記の第二版の作成を試みるのだが...
舞台上で人生をやり直すための選択の自由を手に入れたにもかかわらず、同じ行動を選択しては失敗を繰り返す主人公キュアマン。しかしその失敗の滑稽さの中に、そして失敗し、演出家に非難されるたびに「もう一度!」と何度も挑戦し続けるキュアマンの中に、彼も気づいていなかった、彼が変化を拒む本当の原因が垣間見えてくる。
フリッシュが分析し描くアイデンティティの在り様や人間同士の関係性など、個々人の個人的で小さな問題から、自己と他者との関係に潜む社会的、政治的で見えない権力に縛られた人間存在が浮かび上がってくる。それは目に見えない社会的、政治的(公衆衛生学的?)な恐怖と権力に縛られるコロナ禍の人間たちをも映し出しているように見える。
今回、shelfではこの戯曲の翻訳をマックス・フリッシュ研究者の松鵜功記氏に依頼し、初の日本語訳を制作した。松鵜氏は、ドイツ語作品の翻訳ではルーカス・ベアフース作『20000ページ』にて第八回小田島雄志・翻訳戯曲賞を受賞している気鋭の翻訳家である。
スイスの劇作家、小説・散文作家。チューリヒ生まれ。第二次世界大戦の終結を目前に控えた1945年に劇作家としてデビュー、戦後のスイスとヨーロッパを鋭く批判する作家として注目される。『バイオ・グラフィ:プレイ』(1967/1984)のほかに演劇では、ナチ台頭を許したドイツおよびヨーロッパの市民社会を批判する『ビーダーマンと放火犯たち』(1958)、ユダヤ人差別問題を個人と手段が作り出す他者に対する偶像に問う『アンドラ』(1961)、などがある。散文では、個人の記録に虚構の物語、現代史的出来事への考察、文学・演劇論などを組み込んだ日記形式の作品『日記1946-1949』(1950)および『日記1966-1971』(1972)、多くの言語に翻訳され、世界的に読者を獲得した『シュティラー』(1954)、『ホモ・ファーバー』(1957)などがある。
作 / マックス・フリッシュ
翻訳 / 松鵜功記
演出 / 矢野靖人
川渕優子 / 三橋麻子 / 沖渡崇史 / 綾田將一 / 横田雄平
上演時間2時間半を予定(途中休憩有)
恐れ入りますが、以下の事項をご確認のうえ、予約フォームもしくはこちらのPeatixサイトよりチケットのお申込をお願いいたします。
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