works - これまでの上演作品

AN UND AUS|つく、きえる

作 / ローラント・シンメルプフェニヒ

訳 / 大塚 直

演出 / 矢野 靖人

あらすじ

沿岸の小さな町の港にある小さなホテル。日常のなか、毎週月曜に必ず不倫を重ねる三組の中年カップル。心の中で葛藤を抱きながら、誘惑に誘われ、日々の喧騒から逃れるかのように。ホテルのスタッフである若者は、湾岸警備のため高台にいる恋人の娘と携帯電話のメールで常に連絡を取り合っている。お互いを深く愛し合いつつも、二人が直接に出会うことはない。「まるでミツバチとクジラみたいに。」やがてカタストロフィが世界を襲い、ホテルは――世界は水の底に沈んでしまう。

レビュー

震災を語ることは可能だろうか。それは共通体験になり得るものだろうか。いな、そこにはむしろ交わらない体験の、個別性が浮かびあがる。 中島智(芸術人類学者、武蔵野美術大学)

演者たちの噛み合わない会話は、まるで死者たちの追想のように響く。さながら夢幻能のように。その意味では、本作は「現代の演劇」ではなく、世界が決定的に変容してしまった時代の古典なのかもしれない。 太下義之(文化政策研究者、独立行政法人国立美術館理事)

演出ノート

大規模な災害や、戦争などの災悪が起きたときのその災悪の記憶の仕方に関心がある。記憶の仕方、あるいは記憶のされ方について。現実(リアル)の確かな手触り(リアリティ)を、それがふとした瞬間に失われて分からなくなることがある。それは大きな災害や災悪に出会ったときに起きやすい事象だと思う。

一見すると何とも不可思議で奇形的といって差し支えないような人物描写から始まるシンメルプフェニヒのこの戯曲は、しかし詩的で美しく、寓意的な物語だ。そしてそのように事物から適切な距離を取って物語ることだけが、不条理で、普通の感覚では受け止め切れない、感情の落としどころのない災悪の記憶の仕方、歴史に対しての人類の落とし前の付け方として最も適した方法なのかもしれない。

アウシュビッツ以降、詩を書くことは野蛮である、と言ったのはアドルノだった。 詩は、無意識の記憶に似ている。そして詩は、無意識の発露たる夢に似ている。

人間はそれがリアル(現実)だからリアリティを感じるんじゃない。リアリティを感じるからそれをリアル(現実)だと思うのだ。

詩的でカタストロフ的とも思えるようなシンメルプフェニヒのこの戯曲を出来るだけリアルに、即ち現実(リアル)の不可解さをそのままに舞台の上に上げてみたいと思う。そしてそこからの恢復の手段としてのリアリティとしての物語(フィクション)の在り方を突き詰めてみたい。
矢野靖人

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