で、観劇メモ。
昨日 8/29(水)、マチネで観たオーストラリアの「野がも」が素晴らしかったです。
写真を見て貰うと分かるかもしれないんだけど、完全に現代に置き換えられてました。置き換えというか、換骨奪胎というか、大筋は原作を読んでいれば追える程度に残しながら、ぜんぜん違う話になっていました。
美術も良くて、全面ガラス張りのスクエアに仕切られた空間が舞台で、二面方向に客席が仮設されていたな。小道具も全部リアルで、しかし置き道具は全くなし。そういえば、写真だと野鴨だけど、今回は家鴨を使ってたな。現地調達なのかな?
俳優のセリフは全部マイクごしでスピーカーから流されて、1シーンが長くて10分、短いと1分位で次々と暗転を挟んで場転を繰り返すんだけど、舞台全部がクリアに見えるときとほんの片隅しかライトアップされないときとのバランスがとても気持ち良くて、しかもその暗転もぜんぜん速くて、意味深じゃなくて、
ああ。そうか。これはきっと良い意味でテレビCMに慣らされた現代人の感覚なんだな。それにフィットする時間感覚を、演出が意図してたんだろう。とにかく芝居運びがとても心地よいリズムでした。
というか、演出だけじゃなく、前述したように完全に書き換えられているスクリプトがきっととっても好いんだ。
パソコンや携帯電話やタクシーが出て来る(さすがにタクシーは現物ではなくてオフステージの演出でした。しかも原作にないシーンがラストに付け加えられていて、そのシーンでだけ、ガラス箱のこちら側で演じられて。他の観客に聞いてみたら、最後のシーンはヘドヴィグの死後、一年後の1シーンで、おそらく墓参りに行った帰りの夫婦の会話とのことでした。)なんてのはもう、当たり前で、ヘドヴィグがもうSEXの話しはするし、グレーゲルスだっけ? エクダル家に「真実」をつきつけ、結果的に事件を引き起こす彼に、キスを迫るシーンがあったり、(そんなプロットは前述の一年後のシーン同様、勿論オリジナルテキストにはない。)
ともかくデティルしか書けないのが情けないんだけど、まるきり違う話しになってた、それなのに(そして例によって英語が3割くらいしか聞き取れないのに)感動したんだから。
観客も芝居が終わった瞬間にオールスタンディングオベーションだった。あんまり惜しいのでスタッフに頼んで、戯曲を貰えるようにお願いしてしまったよ。
http://www.belvoir.com.au/