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俳優と台詞との関係、

というか、距離感にいて。

昨日はA.C.O.A.を観ながら、観劇後の「トーク!」やその後のサロンで史朗さんの話を聞きながら、

それから今日はオリビエ・ピィを観ながら、ずっと考えてたことなんだけれど、俳優と台詞(言葉)との理想的な関係って、やっぱりどれだけ上手に喋れるか、ではなくて、どこまで(自分の喋ってる)それを“聞けるか”なんだと思う。

台詞を軽々に自分の言葉にしてしまわずに、しかしどれだけ丁寧に、且つ大胆に取り扱うことが出来るか。客席と舞台、俳優と観客との間に言葉をどれだけ丁寧に置いて、生かしていくことが出来るか。

こう書くと小難しく聞こえるかもだけど、それにはつまり、徹底的に“自覚”的に“無心”になることなんじゃないかと思う。

といって、俳優のするべき仕事のうち、発話に関わるそれの比率がどの位かというと、別に僕もそれほど高く見積もってるわけではありません。

けど、やっぱり大事なんだな、言葉が、いちばん。言葉というか、厳密には、大事なのは言葉に喚起される(俳優が自分の内側に抱え持ってる)イメージの大きさなんだけど。大事なのは。

いや、イメージという言葉では言い尽くせないな。

ビジョン、感覚、衝動、妄想―――それらが、漠然としたものではなく俳優の神経やからだの筋肉、何より呼吸や重心の位置に、具体的・実際的に関係する(している)ようなもの、意識的にも無意識的にも、身体に変化を及ぼすものとしての―――それを、考えています。

  • 2008.06.29 (日) 02:19
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  • Yasuhito YANO

物語の面白さ、ではなく

物語ることの面白さ、そのコミュニケーションの豊かさをこそ、追求したいと思う。
母親が子供に繰り返し、読んで聞かせる絵本のような。その手触りのようなものを大切にしたい。
その儚さ、切なさ、暖かさのようなものを大切にできれば。
しかもそれが、出会っていない他者に向かって開かれたものであれば。

  • 2008.06.14 (土) 10:17
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  • Yasuhito YANO

総括シンポジウム 「演出の重力を巡って」@七ツ寺共同スタジオ

今週末はまた名古屋です。七ツ寺共同スタジオの35周年記念総括シンポジウムにパネラーとして参加するのが主目的。と、それにあわせて打ち合わせを何件か。

時間があったら土曜日は、ガレリアフィナルテビューイングルームで開催されている アマノ雅広 北義昭 『写真による藝術+++++』展 を見に行きたい。

ファイル 96-1.jpg

『写真による藝術+++++』 は、京都を拠点に活動されている写真家・アートキュレイターのアマノ雅弘さんと、同じく写真家の喜多義昭さんの個展。アマノさんとは現代美術家の水谷イズルさんのご紹介で、『悲劇、断章 ― Fragment / Greek Tragedy』 を観に来て頂いたのがご縁。作品をとても気に入ってくれて終演後、劇場の外でけっこうな時間立ち話したのを憶えている。肩書きが写真家兼キュレーターということで、アーティストの枠に収まらず多面的なご活躍をされているのも興味深い。お会いするのがとても楽しみ。

アマノ雅広
http://masahiroamano.net/

トップにオープニングイベントの様子がアップされている。展示を背景に白塗りで踊る寂光さん。うーんカッコいい写真だ。

日曜の午前には次回公演の出演者と基礎稽古をする予定。公演前には名古屋を離れ東京に出て来ている予定なのだが、二人ともそれまでに客演の予定や上京準備やらがあって、まだ名古屋にいるのだった。

で、午後にマレビトの会 『パライゾノート』 観劇とシンポジウム。シンポジウム詳細は下記のとおり。

七ツ寺共同スタジオ35周年記念企画
現代演劇の地平―三人の演出家による三ヶ月、三作品連続公演
総括シンポジウム「演出の重力を巡って」

2008年3月30日(日)@七ツ寺共同スタジオ

パネラーは、矢野靖人(shelf)、寂光根隅的父(双身機関)、松田正隆(マレビトの会)という演出家三名。司会は演劇評論家の安住恭子さん。入場無料。マレビトの会『パライゾノート』上演後に、七ツ寺35周年記念公演のいずれかのチケットの半券をお持ちの方であればどなたでも入場できます。お問い合せは、七ツ寺企画 Tel. Fax 052-221-1318(七ツ寺演劇情報センター) info@nanatsudera.org まで。

+ + +

シンポジウムといえば、京都の「演劇計画2007」内の企画で、この1月に演出家フォーラムというのがあったのだった。本番直前で当然観に行けなかったのだけど、フォーラムのサブタイトルや、松田正隆さんの「議論のためのメモ」など、とても興味深い内容。

計画Ⅲ演出家フォーラム<演出> の可能性
~異郷の言葉が投げかけるもの~
―演出・発話・翻訳―
http://www.tp-kac.com/KAC_TP_j_forum.html

+ + +

菅孝行の 『戦う演劇人』 を読んでいる。異様な迫力とこのリアルな手触りは、著者が生きてきた時代の当事者としての意識からか? 毎日新聞に渡辺保の書評が出ていた。

今週の本棚:渡辺保・評 『戦う演劇人--戦後演劇の思想』=菅孝行・著(以下、サイトより引用)


◇演出家3人をめぐる60年代精神史

二十世紀日本の現代演劇の精神史である。演劇の理論家である著者が人生の晩節に及んでこの本を書こうとした動機は、自分自身を含めて、二十世紀の時代、社会、政治体制、そして何よりも演劇そのものと戦って来た人間の軌跡を後世に伝えたいと思ったからである。

そのために著者は三人の演出家を選んだ。千田是也、浅利慶太、鈴木忠志。これはなかなかうまい選択であった。千田是也は、六〇年代の小劇場演劇の旗手たちが打倒目標とした「新劇」の代表的な存在であり、戦前から「新劇」の苦難の道を歩んで来た人である。

浅利慶太は、その初期においてやはり「新劇」を批判して出発、その後俳優や劇団の自立を目指し、今日劇団四季を経営して、演劇界でもっとも収益を上げている存在である。鈴木忠志は、著者と同じく六〇年代演劇から出発して独自の演劇観によって世界に認められ、「新劇」のメッカであったモスクワ芸術座で「リア王」を演出して私たちを感動させた。三人の功績についてはいろいろ議論があるだろうが、彼等が時代や社会や政治体制と戦い、そこに独自の業績をうちたてたことは疑いがない。その三人を語ることは同時に二十世紀の演劇の歴史を語ることでもあった。

なかでも面白いのは、千田是也と共産党のかかわり、その関係をめぐっての社会主義リアリズムの問題である。ここではリアリズムが西欧から輸入されたあと、政治的に利用されたいきさつが鮮明に描かれている。リアリズムとは一体何か。今でも必ずしも明確でないこの芸術的手法がうきぼりになった。

もう一つ圧巻なのは鈴木忠志である。鈴木忠志の仕事の時代的な背景、その表現方法がどのようなプロセスを経てつくられたかが克明に描かれると同時に、その仕事の持つ意味が明快に論じられている。鈴木忠志について書かれた文章は少なくない。しかしその仕事の真価をこれほど明晰かつ客観的に論じたものは少ない。鈴木忠志の作った舞台、たとえば去年の三島由紀夫の「サド侯爵夫人」や一昨年の「シラノ・ド・ベルジュラック」、モスクワ芸術座の「リア王」は現代演劇の最もすぐれた作品であり、その成果は、これまでの戯曲中心主義からは決して生まれなかった革命的なものだが、その方法の秘密、その歴史的な意味がここには鮮明に描かれている。

この面白さ重要さは、そこに著者自身の体験の裏づけがあったからである。千田是也はかつての「敵」、鈴木忠志は著者がともに生きた六〇年代演劇のもっとも輝かしい成果の一つだからである。ここには六〇年代を生きた人間の、あのパラダイムの変化の中で戦った人間の持つ体験が生々しく息づいている。

およそ芸術の精神史を書こうとすれば、第一に書く人間の歴史観が問われ、第二にその人生体験、その精神が問われ、そして第三にその演劇観を問われるだろう。著者が演劇の精神史を書こうとした時、そこには自ずから著者自身の歴史観、人生観、演劇観があらわれざるをえなかった。逆に言えばこの本の面白さは、その三点が明確に意識されたからこそ、三人の演出家の軌跡もまたうきぼりになり、三人の生きた時代が明確に浮上したのである。

ことは芝居に関わる。しかしここに描かれた時代の分析は決して芝居だけの話ではない。

毎日新聞 2008年1月27日

何気にシンポジウムに際して緊張しているのかもしれない。付け焼刃かもしれないけど、名古屋に行く前に出来るだけたくさん関連書籍を読み、いろいろと考えておきたい。

  • 2008.03.25 (火) 20:37
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  • Yasuhito YANO

Yさんのこと、あるいは世田谷パブリックシアターレクチャー2007について

世田谷パブリックシアターレクチャー2007『舞台芸術/史論』を受講して来ました。色々な意味で、大きな刺激を受けました。

今レクチャーにはCOLLOLの田口アヤコさんも出席していて、彼女とは講義が終わってから一頻り、久しぶりに一緒に飲むことが出来てそれもまた楽しかった。

"世田谷パブリックシアターレクチャー2007『舞台芸術/史論』は、全6回の連続講義なのだけれど、初回、二回目は講師は西堂行人さん。

リンク先を参照いただきたいのですが、
http://setagaya-pt.jp/workshop/2007/09/post_23.html


 20世紀は「演出家の世紀」だといわれる。舞台を統括する創造力の権力が演出家に委譲され、演出家を頂点とする集団が編成されていったからである。この傾向は劇作家とスター俳優の優位が保障されていた商業主義の劇場以外でいっそう強まった。日本の近代以降の演劇史、とりわけ20世紀演劇にも同様の傾向が発生した。演劇が娯楽としてのみならず、現実の動向を考察する思考装置となり、人間社会の未来の実験を試みる場となった時、演出家の役割は前にもまして重要性を帯びるものとなった。今回のレクチャーでは、日本の近・現代劇を通じて、演出家の仕事を考察するとともに、ますます重要になってきた、社会と舞台芸術をつなぐ媒介者としての演出家の役割を探ってみたい。

というコンセプトの通り、演出家とは如何な存在/機能か? という観点から、20世紀以降(チェーホフ以降)の演劇の歴史を、演出家的視座を持った作家の仕事の歴史 ― この、すべての要素が出尽くした、新しい・オリジナルなものの不在な/オリジナルが不可能な時代において、如何に“自覚的に”過去を参照しつつ・現代を照射するか? というアプローチこそが「演出家の視座」に他ならない。その点において、20世紀以降の演劇は知的階層を一つ上げた上で、如何な仕事を為し得るか? だ、という観点で、歴史を再構成するその手さばきは、確かに見事なものでした。

一方でしかし、20世紀の偉大な先達(チェーホフ、アルトー、ブレヒト、ベケット、ハイナー・ミュラー等)・演出家の視線を持った(演出家の視座を折込んだ劇作を物した)“作家”の歴史としてのそれは受容出来ても、そのカテゴライズから零れ落ちる、純粋な演出家の仕事(アンドレ・アントワーヌ、ゴードン・クレイグ、スタニスラフスキー、メイエルホリド、ピーター・ブルック、鈴木忠志、リュビーモフ、アリアーヌ・ムヌーシュキンら)の仕事の本質については、いまひとつ言及し切れていない感が拭えませんでした。

西堂さんの講義は今週末にもう一度あるので、是非この点について、聞いてみたいと思います。

で、Yさんのこと。

Yさんは世田谷パブリックシアター制作部に勤める制作者のうちの一人。で、レクチャー後、事務所でお仕事中のYさんにお声をおかけして、田口アヤコさんとshelfの川渕優子、Yさんとで三軒茶屋で飲んだのですが、これが本当に刺激的な話が出来て、楽しかった。

内容そのものも(ココに詳しくは書けませんが、)面白かったのですが、話の「話し方」が、とても気持ちよかった。地に足が着いているというか、演出家や俳優等、一般的な演劇人と話していると、ともすれば「フワフワ」した印象を残しかねないところ、Yさんの話は徹底的に現場の作業に裏打ちされたものばかりで。

個人的にも、自分が乞うた諸々のアドバイスについても自分が思ってもみなかった広く、広範な社会的な視点から、様々の、実際的な(但し相当にハードルの高い!)アドバイスをいただけて。本当に、有意義な時間を過ごすことが出来ました。

作品の出来がどうこうとか、演劇そのものがどうこうとかでない、広く社会を見渡した上で、その、自分が所属するコミュニティと如何に接点を作っていくか。コミットするか。

演劇や舞台芸術全般の「社会的価値」を無反省・無自覚に自明のものとするのではなく、如何に新しい言述で、社会に対し提言し、開いていくか。

我々演劇人は、もっともっと考えなければならない。

考えるだけでなく、そして実行に移して行かなければならない。

もっともっと我々はそのことに自覚的でなければならない。自省の意味も含めて、そのことを強く、実感しました。

  • 2007.09.12 (水) 01:44
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| 寂光根隅的父 url (09.12 10:33) 編集・削除

西堂さんに限らず、日本の評論家は小劇場の、特に第1世代の人たちが残した業績を充分総括せずに違う場所へ行きたがる、という印象があります。
一番総括が必要な時期、というのは小劇場と商業演劇の境界線が薄くなり、ともすれば小劇場が(創造の成果とは何ら関係のない資本や制度上の力量差のゆえに)回収される恐れが露呈した頃に(ほぼそうなっていますが)ミュラーミュラーって言い始めたんですから。
これは中が行き詰まった時に外圧に活路を求める黒船意識以外の何者でもありません。勿論海外の優れた作家を紹介する事は重要な仕事ですが、当時西堂氏は、ミュラーの登場を以って寺山は死んだ、などとぬかしていましたからね。
こうした馬鹿げたゲームに巻き込まれないためには、やはり鈴木忠志の採った戦略が正しいのではと思ってしまいます。

矢野さんも早く東京出たら?

| yasuhito mail url (09.15 02:26) 編集・削除

西堂さんのこと。

本文中には書きませんでしたが、実は10日(月)の故・太田省吾氏お別れ会に参列されたらしく。またその場で配布された「オマージュ ― 太田省吾」という非売品の小冊子をつい今しがた読み終えたところだった、とのことで、レクチャーは太田省吾さんについての話から始まりました。

非常に心が昂ぶっていらしたようで、これほど自分の中で太田省吾さんが大きな存在だったとは、と、お亡くなりになってから一ヶ月以上、特に悲しいとか、辛いとかいった感情は今まで沸いて来なかったのに、この小冊子を読んでいて、読み終わったときに急に、そのこと ― ああ、もう太田省吾さんの作品を観たり、新しい著作を読んだりすることは出来ないのだな、と実感して急に涙が溢れてきた。というようなことを述べられていました。

寂光さんの仰ること、分かります。が、一方で西堂さんの心情も理解に難くないのです。

大学のときにお世話になった、文学部のK先生を思い出しました。

当時流行っていたテクスト論や、構造分析的なアプローチはもとより、社会学的な見地からの解釈も含めた様々な方法で文学テキストを読み解いておられたK先生ですが、不出来な学生であった僕にとって、K先生についていちばん印象に残っているのは実は他でもない、先生がとても嬉しそうに、BSで再放送されていたTVアニメ「明日のジョー」について、解釈や文学そっちのけで楽しみにしておられた、そのご様子だったりするのです。

西堂さんもが同じなのだといいませんが、言表として公言出来る部分と、現場の実際で、実感としては強固にありつつも、公言できない、公表できない内容というものがあると思うのです。(聞いてて面白いのはたいていいつも、そっちの方なのですが、、、笑)

(続く)

| yasuhito mail url (09.15 02:27) 編集・削除

ところで、西堂さんが演出家的視座という観点から演劇の歴史を解き解すその手さばきは、これは繰り返しになりますが、本文中にも書いたようにとても見事で、と同時にとても”面白い”ものでした。

面白い、って、つい見逃しがちなのですが、とても大事なことだと思うのです。

歴史を俯瞰するという立ち位置からすれば、個別の作家・演出家に立ち入りすぎると各論が強くなりすぎてしまい、本旨がぼやけることがままあります。だいたい、2時間という時間で演劇の歴史を論じるのは、幾らなんでも時間が短かすぎて。個々の事例については相当に、捨象する必要があったでしょう。

一方で、これはまた別の話になりますが、国内的な現代演劇の歴史を振り返ったとき、これから私たちが「劇場」というのを考える時にいちばん参考になるのは、小山内薫・土方与志・青山杉作の「築地小劇場」だと思う。と「築地小劇場」を引き合いに出し、昨今の「公共劇場」の在り方と比較した議論が、また興味深かったです。

劇場=アーティスト(俳優、作家、演出家、衣裳、美術等)の住まう場所とし、劇場=単なるハコではない、有機的に機能するファクトリーのような場所であるべきだ。という議論は既に多くの有識者からさんざんに喧伝されている事項ですが、

日本初の新劇の常設劇場が「築地小劇場」であったことを知る人は多くても、築地小劇場が俳優の養成所を備え、4年半で117作品! もの上演を行った常打ち小屋だったことや、山本安英や杉村春子、千田是也ら、近代の日本の舞台芸術を支えた先人の多くがここの俳優の養成所出身であったこと、何よりこの日本初の近代演劇の「劇場」が、土方与志が私財を投げ打って設立した「プライベート・シアター」であったこと、までを知る人はあまり多くないと思います。

半ば穿った見方かも知れませんが、世田谷パブリックシアターの主催レクチャーで、この「プライベートシアター」を取り上げる/歴史を振り返ったときに取り上げざるを得ないという構図は、西堂さんがどこまでそのことを意図せられていたのかは分かりませんが、

また誤解のないように書き添えると僕は、この世田谷パブリックシアターの教育・普及を含めた一連の事業にはとても好感を持っているので、批判的な意味はこめていないのですが、とても皮肉な現象で、いろいろと考えてさせられました。

や、ずいぶん長くなって、しかもちょっと、ずいぶんとっちらかったコメントになってしまいました。あまり長くなってもどうしようもないので、取り敢えずいったんアップします。

乱文どうかご容赦を。

東京に戻りました。

数えてみたら実に半月間も! 東京を離れてました。魚津 → 利賀村 → 名古屋 → 利賀村 → 名古屋の15日間、沢山の人に会って話をして、

ワークショップをして観劇して、稽古場にお邪魔して、会議や打ち合わせ、出演交渉にスタッフの依頼をして。

本当に沢山の人に出会い話をして来ました。

人に会いすぎて人にあてられて、ちょっと混乱している位です。いろいろ整理しなければ。

それにしても名古屋で偶然、札幌コンカリーニョの斉藤ちずさんに会えたのが嬉しかった。何でも2010年に愛知県で国際芸術祭を開催予定だそうで、その準備のためのワークショップで来名されていたとのこと。

政策の柱6【交流】多彩な交流が展開される愛知づくり
http://www.pref.aichi.jp/chiji/manifesto/manifesto06.html

国際芸術祭WS・シンポジウム
http://www.arpak-cdc.co.jp/geijyutusai/

面白そうなワークショップだったし、もっと早くに存在を知っていたら参加したのですが、今回はどうにも都合が着かず断念。ワークショップ後の飲み会の場にだけ参加させていただきました。呼んでくれて有難う、大橋くん。

というか、そう、実は、大橋くんに呼ばれて栄に行くまで、そんな席だとはぜんぜん知らなかったんですね。てっきりちずさんと七ツ寺の二村さんと、大橋君の3名だけかと思っていたんです。そしたら、行ってみたら上述のワークショップの後の飲み会の場で、20名を超えるパネラー・ワークショップ参加者の方々がいらっしゃる場だったというわけで。少々面食らいましたよ。それならそうと教えてよ、大橋くん(笑)。

それでも、世界劇場会議名古屋の藤井さんや、こぐれ日乗の木暮さんに初めてお目にかかることが出来て、いろいろとお話出来たのが好かった。

終電を逃して栄で午前2:00過ぎまで、ちずさん藤井さん木暮さん二村さんらと飲んだのですが、真面目な話からくだらない話まで、とても面白かったです。ヘンな方ですね。木暮さんて。京都橘大学で文化政策を教えていらっしゃるのですが、愛知県の国際芸術祭構想についてはこぐれ日乗でも言及されています。

愛知県の国際芸術祭基本構想検討調査ワークショップ
http://kogure.exblog.jp/6084427/

最終的に「芸術祭」の主軸となる芸術が、舞台芸術なのか、音楽なのか。あるいはじっさい幾らの予算で、どういう内容でやるのか、等、いまだ全く白紙の状態のようですが、「発信する」というのであればやはりそのための「育成」にもきちんと力を入れて欲しいと思います。

先にリンク先を挙げた県知事のマニフェストにもあるのですが、

○ 若手芸術家に活動発表の場を提供するなど、新進芸術家の育成・支援を進めます。

の部分ですね。

少し話がズレるかも知れませんが、名古屋の若い俳優やスタッフ等、演劇に関わる人々と話をしていて思うのは、彼・彼女らのビジョンの無さです。

やっぱり、参照できるようなモデルケースの不在が大きいのでしょうか。舞台芸術に関わる身近な「成功例」があまりに少ないので、自分は将来こうなりたいのだ。という未来像が、どうにも上手く見つけられないんじゃないだろうかと思うのです。

端的に言って「成功する」というときの「成功」イメージがとても貧困な気がします。テレビドラマや映画に出るとか、動員○千人を達成する! とか、東京に進出する! とか。演劇をやるって、そんな単純なことじゃないと思うんだけどな。

ふと、先日読んだ新書を思い出しました。


「ウェブ進化論」「シリコンバレー精神」の梅田望夫と脳科学者の茂木健一郎さんの対談なのですが、読んでて、「未来に展望を持つ」ということの大事さを痛感しました。あるいは予測する、ということの創造性。ビジョンを示すことの。

梅田望夫 My Life Between Silicon Valley and Japan
http://d.hatena.ne.jp/umedamochio/

茂木健一郎 クオリア日記
http://kenmogi.cocolog-nifty.com/qualia/

芸術分野に限らず、若手を育成・支援する場所を作るということは、そういったビジョンの提示も含め、自分たちの所属する国や地域社会の「あるべき姿」を想い描くことから始まると思っています。

国際芸術祭、魅了的なプログラムが実現されることを願っています。

や、しかしこんなに長く名古屋に滞在していたのに! それでもやっぱり案の定、ぜんぜんまったく時間が足りませんでした。

年末から年明け、名古屋の劇場は七ツ寺共同スタジオの35周年記念作品を名古屋に2ヶ月滞在して(レジデンスで)制作するということでその準備をしているのですが、なかなかに、なかなかで。

仕事自体はホント、めちゃくちゃ楽しいんですが、正直人手が足りません。名古屋でご一緒頂ける方、大募集です! 俳優も若干名募集していますが、特に制作スタッフを大募集。内容に応じて、僅かばかりではありますが謝礼もお支払したいと思っています。

俳優については、10月に七ツ寺共同スタジオでオーディションを兼ねたワークショップを開催予定、詳細確定し次第リリースします。ご興味を持たれた方は是非、お気軽にお問合せ下さい。

  • 2007.09.06 (木) 15:26
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  • Yasuhito YANO

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