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「出口なし」― 現代劇作家シリーズ5:J-P.サルトル「出口なし」フェスティバル 参加作品

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Still from video by TANJC

2015年5月4日(月・祝)19:00開演★ 5日(火・祝)14:00 / 19:00開演 @d-倉庫

構成・演出 / 矢野靖人
出演 / 三橋麻子、文秉泰、川渕優子、森祐介

ブレヒト、イヨネスコ、アラバール、寺山修司...現代の著名な劇作家の作品を一本取り上げ、その戯曲だけを連続上演する die pratze主催(共催/d-倉庫、助成/芸術文化振興基金)による「現代劇作家シリーズ」は、第5弾に参加します。

今回取り扱う戯曲は、20世紀を代表する哲学者サルトルの『出口なし』。とても手強いテキストです。ですが、この偉大な実存主義の哲学者に真正面からぶつかって、いつものshelf作品よりさらにソリッドな、切れ味の鋭い作品に仕上げたいと考えています。どうぞご期待下さい。

[料金]
一般前売 2,500円、当日 2,800円
学生前売 2,200円、当日 2,500円(要・学生証提示)
通し券一般 5,800円、通し券学生 5,000円
*通し券はd-倉庫のみで販売

[チケット取扱]
shelf :
tel. 090-6139-9578
e-mail. info@theatre-shelf.org

RESERVA予約システムから予約する

・受付開始は開演の60分前です。
・本公演は、初期型 との二本立て公演です。
・上演時間は二作品で合計 2時間を予定しています。
★の回は終演後にポスト・パフォーマンス・トークがあります。

[会場]
d-倉庫
〒116-0014 荒川区東日暮里6-19-7-2F
03‐5811‐5399
日暮里駅南口徒歩7分(JR山手線・京浜東北線・常磐線、私鉄京成線・日暮里-舎人ライナー)
 

■演出ノート

他者からの視線、そしてその視線によって規定される個の在りようがキーになるのだと思う。「出口なし」という戯曲(テキスト)を取り扱うということは、どうしたって劇作家としてのサルトルのみならず、哲学者サルトルの辿った思想、及び政治活動(アンガージュマン)の道筋を、歴史的な経緯や背景をつきあわせて検証しなければならないだろう。現象学との出会い。実存主義の起こり。そしてその思想的な限界。今・ここに存在している“私”を思索の出発点とする実存主義は、個人というものの従来的な意味・価値が崩落を起こしているこの21世紀の現代において、いまだアクチュアルな思考のためのツール足り得るのか。

とまれ、“地獄は他人だ(Hell is other people)”というあまりにも有名な「出口なし」の台詞に振り回されないよう、周到な準備をして制作に向き合いたいと思う。

矢野靖人


  • 2015.03.09 (月) 12:31
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  • Yasuhito YANO

2015年3月のオープン基礎稽古

2015年3月オープン基礎稽古のご案内です。shelfは基本、創作期間以外についても週に3日基礎稽古を行っているのですが、それを広く一般に開放してみよう、というのがオープン基礎稽古という「場」です。

簡単なボディワーク(ストレッチ、呼吸法、重心のコントロール等)か中心ですが、参加者の顔ぶれ次第では、短いテキストを使ったシーンスタディをやったりもします。

参加費は場所代として一人500円。世田谷区内の公共施設(千歳船橋や明大前付近が多いです。)でやっています。

2015年3月のスケジュールは下記です。

7日(土) 18:00~22:00
10日(火)18:00~22:00
12日(木)18:00~22:00
17日(火)18:00~22:00
24日(火)18:00~22:00
28日(土)18:00~22:00
31日(火)18:00~22:00

ご興味持たれた方がいらっしゃいましたらぜひ、お気軽に矢野(yano@theatre-shelf.org)までご連絡下さいませ。(場所はご連絡頂いた方に直接お知らせします。)
 
 
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  • 2015.03.07 (土) 14:27
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  • Yasuhito YANO

三軒茶屋

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三軒茶屋という街が意外と好きなんですね。猥雑さ、雑然としたヤミ市の名残りを残しながらも、世田谷区の文化行政の中核としてのターミナルでもあるという。昨日は派遣仕事の終わりに川渕と待ち合わせて、三軒茶屋で作戦会議をしました。
 
 

  • 2015.03.07 (土) 10:59
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  • Yasuhito YANO

『LUCY』, and 『THE MACHINE』!!

TSUTAYAでブルーレイディスクを借りてきて、リュック・ベッソン『LUCY』。ぶっ飛んだ。予告編からバカ映画感満載でなんとなく避けてたんだけどさすがはリュック・ベッソン。ど直球のファンタジーで、キワモノSFで、遊び心に溢れた超娯楽作。『E.T.』から『GHOST IN THE SHELL』から『マトリックス』も? 入ってて観ていてフツーにめちゃくちゃ楽しかった。満足。


“狂信的な”と評しても良いようなスカーレット・ヨハンソンのクレイジーな存在感。何を喋っても説得力のあるw 科学者役がどハマりしてるモーガン・フリーマン。で、ケレン味たっぷりのリュック・ベッソンの脚本と、演出。お腹いっぱいになります。映像もキレイだしコマ割りも巧みでリズミカルで、観ていてぜんぜん飽きが来ない。さすがです。拍手。

あと悪役のチェ・ミンシクって韓国の俳優がすげえカッコ良かった。リュック・ベッソン映画の悪役ってとどうしたってゲーリー・オールドマンが浮かんじゃうんだけど彼の仕事と比較してもまったく遜色のない。『シュリ』にも、『オールド・ボーイ』にも出演してるのね。見なきゃ。


で、一緒に借りて来ていた『ザ・マシーン』(原題"THE MACHINE")も続けて鑑賞。カラドック・ジェームズ脚本・監督。イギリス映画。こちらはもう、久しぶりに“パーフェクト”なSF(サイエンス・フィクション)映画。完璧。残酷なまでに美しくそして絶望的に哀しい。



不朽の名作リドリー・スコット監督の『ブレード・ランナー』(原作はフィリップ・K・ディックのこれまた伝説的なSF小説『アンドロイドは伝記羊の夢を見るか?(Do Androids Dream of Electric Sheep?)』)に最も近づいた映画、というふれこみに過度な期待を抑えてかなり引いた視線で観たのだけれど、めちゃくちゃ面白かった。とにかく面白かった。本当に。

“マシーン”と若き天才科学者を演じ分けたケイティ・ロッツと、脳を損傷してアンドロイド化した後に言葉を失った女性兵士を演じたプーネ・ハジモアンマディという女優二人の仕事がまさに革命的。こういう映画を観ると、普段、距離をとっている“リアリズム演技”の底力を見せつけられてしまって、ただもう、呆然とするしかない。

おそらく相当低予算のSFなのにも関わらず、コンセプトアートからセットデザイン、コスチュームデザイン、CG、そしてカメラワークまで本当に微に入り細に至るまで繊細な手が行き届いていて、神は細部に宿る、ではないけれどどれほど静かなシーンであっても映像にただただ、圧倒され続けました。お薦めです。

  • 2015.02.25 (水) 12:20
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  • Yasuhito YANO

演劇「作品」はそれのみにて果たして存立可能なものだろうか?

昨夜、いや一昨日の夜か。疲れからかウツからか睡眠がとても浅くって、いろいろな考えが浮かんでは消え、また浮かんでは、あ、これ面白いかも...なんて思いながら、起きてノートを取るなんてことも出来ず、そんなときにはしばしばとても歯がゆい思いをする。

一つだけ覚えている。走りながら考えること。ものを書いたり作ったりする際には、完璧を目指さずに、とにかく動くべきであること。そのことの比喩に、生命の生命活動そのものがとてもしっくりくるんじゃないか? と思ったのだった。

完璧に健康な状態なんてない。人間なんて常にどこかしらに不具合を抱えているし(眼鏡をかけているのだってそうだし肥満とかうつ病とか腰痛とか肩こりとかだって不具合だ。)それにだいたい常に何かしら補給しながら、つまり何かを食べたり飲んだりしながら、そうして身体を作りながら生きている。

そう考えると、例えば稽古場に入る前とか、本番前に出来るようなそんな完璧な準備なんて、そもそも一切存在しないのでは? と思ったのだった。もちろんいつも、創作や公演の準備は細心の注意と精神を傾注して行うのだけれど、しかしそれだって当たり前のようにして万全では決してない。

作品を上演するということについて―とくに舞台芸術において、その際に「作品」という言葉を使ってしまうと、そういうもの(舞台)が自律的に、それのみで存在するかのような錯覚を与えてしまう。のだけれど、実は、そうじゃないんじゃないか? というようなことを最近ずっと、考えている。

少なくとも観客と俳優と(スタッフと)一緒にその場(劇場)と時間を共有して、何かしらを考えたり感じたりする、そういう体験すべてが僕の考える舞台芸術の本質で、観客のいないところに(少なくとも僕の)「作品」だけが存在することは決してない。

そう考えると、さっきの生命の喩えじゃないけど、演劇を行うということは連綿と続く生命の一つの結節点のようなものでしかない。

なんていうとどうしたって、甲殻機動隊「GHOST IN THE SHELL」に出てきた“人形使い”を思い出してしまうのだけれども。(苦笑)

 
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それを言うならあなたたちのDNAもまた自己保存のためのプログラムに過ぎない。生命とは情報の流れの中に生まれた結節点のようなものだ。種として生命は遺伝子という記憶システムを持ち、人はただ記憶によって個人足りうる。たとえ記憶が幻の同義語であったとしても人は記憶によって生きるものだ。コンピューターの普及が記憶の外部化を可能にしたときあなたたちはその意味をもっと真剣に考えるべきだった...


 
  

  • 2015.02.18 (水) 17:35
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  • 装置としての演劇、あるいは
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  • Yasuhito YANO