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「響きあう脳と身体」 甲野善紀×茂木健一郎

カンパニーメンバーから借りて読了。面白かった。うちにも一冊買おうと思う。「同時並列的知性」と「時系列の科学(論文主義)」とを対置させる考え方が特に面白かった。

Aの時にB、というような時系列に沿って単線的に記述する現代の科学の方法では、身体の武術的な運用、あるいは身体が日常的に行っている所作、コミュニケーションについても、その同時並列的で圧倒的な量の情報の遣り取りは、そもそも記述すらできない。それをただ言葉で説明したり説明されたりして得心するのではなく、自分の身体を使って、体感を通してそれを生きること。

それって実は、演劇が最も得意としているコミュニケーション方法だと思うのだけど、どうなんだろう? つまり演じるのではなくて存在する。というアプローチは、そのまま、その圧倒的な同時並列的な情報を身に宿らせるということだと思うのだけど。

あと、教育についての話が面白かった。メソッドやプログラムは、けっきょくそれを教える講師の人柄というか、その人のアウラ、感化力みたいなものを超えられない、という話。どれだけ精密にコピーをしても、ビートルズには慣れない。ビートルズの持つ圧倒的なエネルギーは体現出来ないという。

ワークショップで講師がやってる作業って、けっきょく事前にプログラムを精査していくような部分も必要なんだけど、それだけだとやっぱり、やっている方にも飽きが来る。飽きが来るというか、そんな作業に没頭するのはそもそもが不毛で、だって、向き合わなければならないのは今、そこにいる人間で、方法や技術なんかじゃ絶対にない。

ワークショップには、方法や技術を磨いていってもしょうがない部分がある。って言ってしまうとそれはそれで精神論に傾いてしまって危険な部分があって、楽器の演奏や絵画のデッサンのように演技や演出にも必ず言語化して教えられる方法というのが絶対に必要で、それはきっちり教えられなければならない、共有されなくてはならない教養だと思うんだけど、でもやっぱりそれ(方法や技術)だけではどうにもならないものが、厳として在る。

では、どうすればいいか。そのことに答えなんかないんだけど、少なくとも講師をやってる方が何かを分かっちゃっててはダメなんじゃないかと最近思っている。分かってることを伝える、教えるというスタンスは、演劇や人間をマニュアル化してしまう発想でしかなく、そんなものは絶対に間違ってる。可能性を思いっきり限定して、矮小化してしまう。自分が感じていることを伝えるのと、これが正解です、と何かを伝えるのとはまったく違うのだ。


  • 2009.01.21 (水) 19:16
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  • Yasuhito YANO

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