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小屋入りしました。

名古屋公演の会場、七ツ寺共同スタジオに小屋入りしました。今日は一日移動&作業日。そういえば「小屋入り」というのも業界用語なんですよね。一度普通に笑われたことがあります。「小屋って・・・(笑)」って。

会場といっても七ツ寺共同スタジオという場所は限りなく仮設劇場に近い空間。悪い意味で取られたくないんだけど、打ち棄てられた倉庫というか、廃屋というか。

常駐の管理者がいないせいというのもありますが、35年以上もの歴史ある場所で、しかもそもそもの発端からして、アングラ全盛期に“通常の劇場ではない”オルタナティブな場所として自分たちの<場所>を求め、有志の活動家たちが探し出し、共同で運営を開始した倉庫なわけですから、古びていないわけがない。あちこちガタガタです。だから、これが何度目になるか分かりませんが、僕らが使うときはいつも、この場所をとにかく(汚れとかいろいろなものも吹き溜まっているので、)徹底的に「掃き清める」ところから始めます。

そうして段々と自分たちの空間になっていくのが、こういう場所を使うことの醍醐味のひとつでもあるといっていいくらい。なんて、そうとでも思わなきゃやってられないくらいのボロ小屋なんですけれども、それでも僕はこの場所を愛して止みません。何より人なんですね。人。この劇場のオーナーの二村さんという人は、彼がいなかったら、彼に拾われていなかったら今の僕はなかった。と、心からそう思えるような大切な恩人の一人です。

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写真はこちらもほぼ毎回、仮設する勢いで作っている客席。年配の方やお洒落な服装をした(ヒールを履いたような)女性にはたいへん不親切な設営なのが、どうにも申し訳ない限りなのだけれども。

ここを使う若い人たちにはどうか、ボロい場所だからといって粗雑な扱いをせず、大切に、愛情を持って使っていって欲しいと思います。

中日新聞に公演紹介記事が掲載されました。

イプセン集大成
最後の戯曲上演
劇団シェルフ

 禁欲的なほどシャープな表現で迫る東京の劇団shelfがヘンリク・イプセンの最後の戯曲「私たち死んだものが目覚めたら」を上演する。名古屋公演は十月二日~四日、大須の七ツ寺共同スタジオで。
 名を成し年老いた彫刻家とそのモデルや妻の関係を軸に、イプセンが考える芸術家のあるべき姿を描く。構成・演出の矢野靖人は「芸術を厳しく追い求めた男と生の根源的な不安を描いた戯曲で、国内の上演例はごく少ない。集中的にイプセンを取り上げてきたが、今回を区切りとし、集大成にしたい」。過去のイプセン作で所属俳優の川渕優子が利賀演劇人コンクールの最優秀演劇人賞を獲得するなど劇団の評価を高めてきた。
 出演は阿部一徳、片岡佐知子(ク・ナウカ)、川渕ら。開演は二日午後七時半、三日午後二、同七時半、四日同二時。3500円。電話090(6139)9578=shelf

9/28(月)中日新聞に公演紹介記事が掲載されました。

今回、稽古スケジュールの都合上、事前のマスコミ訪問がまったく行けてなかったのですが、それにも関わらず中日新聞の担当Mさんが先週末わざわざ連絡をして来て下さって、電話取材が実現しました。有難いことです。公演も観に来て下さるとのこと。有難うございます、Mさん!

それから、そうそう。新聞といえば、今日(9/28)と明日(9/29)と、実は一部に公開で公開通し稽古をやっているのですが、

明日の公開稽古には、公明新聞の論説部長Kさんが見学にいらして下さることに。こちらは通しをご覧になった後取材をし、東京公演の初日10/9(金)に合わせて同日付の公明新聞の1面コラム「北斗七星」に記事を書いて下さるそうです。本当に有難い。

こちらのブログでもきっとご紹介すると思いますが、みなさん、ご機会ありましたら是非! どちらも掲載紙をお手に取ってご一読下さいませ。

  • 2009.09.29 (火) 02:52
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名古屋公演初日まであと5日

昨晩から毛利先生の 『イプセンの世紀末―後期作品の研究』 を読んでいる。昨日、ススムが稽古場近くの古本屋で見つけてきた本。これが頗る面白い。イプセンの後期作品、特にここ数年僕が関心を持って考え続けているイプセンの後期4作品についての論考。なぜ今まで持ってなかったんだろう。まったくリサーチ不足だ。本当に恥ずかしい。

とにかく資料がとても豊富。おそらく日本初演時の(成城演劇研究所公演『私たち死んだものが蘇ったら』農協ホール、1970年)毛利さんの演出の「失敗」談から、それ以降の反省、あるいは前後の作品との絡み(翻訳の問題)やイプセンの初稿からの改定、執筆途中のメモの変遷などの資料、あるいはムンク絵画から受けたイメージについてなど、とても面白い。

取り敢えず今日中に「私たち死んだものが目覚めたら」の章を読み終えよう。

名古屋公演初日まであと5日。だけど京都公演の楽日までと考えると、この作品との付き合いはまだ今回に限っても1カ月近くある。初日までに作品を仕上げるのは大前提だけど、最後の最後まで思考を続けたい。僕には僕の、作品を通して観たい景色がある。作り出したいビジョンがある。

死ぬまで徹底的に考え続けたい。

  • 2009.09.27 (日) 09:56
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EDWARD MUNCH

エドヴァルド・ムンク(Edvard Munch, 1863年12月12日 - 1944年1月23日)は、19世紀~20世紀のノルウェー出身の画家。云わずと知れた『叫び』の作者として有名だが、ノルウェー出身の国民的な画家であることは日本では意外と知られていない。(そしてイプセンと同時代の人間で、イプセンとかなりの親交があったこともあまり知られていない。)とりわけ生と死の問題、そして、人間存在の根源的な孤独、嫉妬、不安などを主モチーフに人物画に描き続けた表現主義的な作風の画家として知られている。

イプセンが1828年生まれだから彼の方が35歳年上なのだが、1895年にクリスチャニアで開かれたムンクの個展でイプセンは、(当時この展覧会は論争を巻き起こしていた。)「とても面白い作品だ。ほんとうに、かつてわたしに起きたことと同じことが君にも起きるだろう。つまり、敵を作れば作るほど、友も増えることになることになる。」と励ましたという。

イプセンは特にムンクの 『フリーズ・オブ・ライフ』 というシリーズに感動をしたようで、ムンクはこれらの作品がイプセンの『私たち死んだものが目覚めたら』に影響を与えていると感じた。

ムンクはスケッチブックに、イプセンの言葉を多数残している。

今回、イプセン戯曲 『私たち死んだものが目覚めたら』 を取り上げるにあたって、彼の画集を手元において戯曲を読む傍らにしばしば眺めている。

いちばん見たかったのは 『フリーズ・オブ・ライフ』 で、これは愛・死、そしてそこからもたらされる不安をテーマにしたシリーズのようなもの。有名な 『叫び』 1893年を始め、 『マドンナ』 1894年-1895年、 『メランコリー』 1894年-1895年、 『不安』 1894年などが含まれている。


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『マドンナ』 1894年-1895年


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『叫び』 1893年


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『メランコリー』 1894年-1895年


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『不安』 1894年


ムンクはじっさいイプセン自身の肖像画を描いていたり、それこそイプセンの 『ヨーン・ガブリエル・ボルクマン』 から材をとった作品をいくつか書いているのだが、今回の 『私たち死んだものが目覚めたら』 についてもその主演女優と、自作(「女性三相(スフィンクス)1894年」)に登場する女性に類似点を見出していたようだ。

ムンクは「生命のフリーズ」のシリーズについての手記で、ムンク自身の絵についてこう書いている。「…3人の女性がいる――ひとりは白い服を着たイレーネで、これからの人生を夢見ている――それから裸の女のマヤは『生きる喜び』にあふれている――次は強ばった青白い顔の、木々の幹の間に立っている悲しげな女――病者を看取るイレーネの運命。この3人の女は、イプセンの戯曲で繰り返し登場するが、わたしのフリーズにも出てくる」。

(引用:「MUNCH」TASCHEN)

それにしても今回、戯曲を上演するに当たりいろいろな資料を手元に用意しているのだけれども、文章よりもこうしたビジュアルな資料の方が創作にはよほど大きな影響を与えてくれる。

写真資料は勿論、いや、写真資料よりもこうした同時代の作家の絵画や彫刻のようなもののほうが、時代の空気を――特にムンクの場合など、世紀末のどうしようもない人間の根源的な不安感を内包していて、とても参考になる。し、なにより面白い。

直接の因果関係はさておき、ムンクの作品でいえば、彼の有名な自画像(『タバコを持つ自画像』 1895年)や、 『思春期』 1894年、 『灰』 1894年、あるいは資料集にあった絵画の下絵を描くための彼自身が撮った写真や素描が僕はとても好きだ。資料を図書館から集めて来てくれた劇団員の蓮見に感謝。


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『グラン・カフェのイプセン』 1902年


最後の一枚はムンクの描いた 『グラン・カフェのイプセン』 1902年(カラーリトグラフ)ムンクはイプセンの舞台に関係する仕事をいくつか手がけている。

1896年の二度目のパリ長期滞在時には、ナビ派の画家が舞台装飾を手掛ける象徴主義的傾向をもった劇団「制作座」で上演された 『ペール・ギュント』 と 『ヨーン・ガブリエル・ボルクマン』 のポスターを制作したほか、1906年にはベルリンのドイツ劇場に新設された室内劇場の開設公演の 『幽霊』 のために、舞台装飾と衣装デザインを手掛けている。

上記のリトグラフはイプセンのキャビネ版写真をもとに制作されているのだが、当時イプセンはすでに床についたまま起き上がれない状態にあったという。この作品の構想は、番年イプセンが決まった時間に訪れていたカール・ヨハンセン通りのグラン・ホテルのカフェに座る姿から思いついたらしい。この場所は現在でも世界中からイプセンを訪ねてくる人たちの観光名所のようになっている。

参考) 『ムンク展』 画集 編集/世田谷美術館 発行/世田谷美術館、NHK、NHKプロモーション

イプセン戯曲について、あるいは作品ついてのビジョンとその実現のための具体的な戦略について

今回、稽古期間に入る前から、あるいは稽古中にもいろいろとイプセンの他の戯曲を読み直しているのだけれども、今回の 『私たち死んだものが目覚めたら』 は本当にイプセン戯曲の集大成のような作品だと思う。イプセンの描き出してきた人間のその深い造形のすべてが折り重なるようにして改めてこの戯曲に書き込まれている。「三幕の劇的エピローグ」(という副題が付いているのだけれど)だなんて、出来すぎだ。ほんと、劇的すぎる。

マイヤという本作の主人公、アルノル・ルーベックの妻として登場する女性が持っている焦燥感と不安とはまさしく 『人形の家』 のノーラが劇の終幕で気づいた、近代以降の人間存在への本質的な問いに起因するものであるし、『幽霊』 のアルヴィング夫人を追い詰めた人がどうしようもなく背負わされている業と歴史と因習は、あるいはその人生は、マイヤがまた無意識的に感じている、どうしようもなく人が逃れられない、自分の人生がこの先辿り得るかも知れない人生の可能性の一つであるし、他にもいろいろと、つまりイプセンの描いた戯曲に登場する過去のすべての女性の人生が、バリアントとしてこの戯曲の主たる登場人物であるマイアの人生と響き合う。

そういう意味では、イプセン戯曲で描かれてきた女性の正統の系譜にある登場人物はイレーネではなくマイヤなのだ。

そしてそれは、裏返せば主たる登場人物でありながら今回、そうではない、もう一人のヒロインであるイレーネは、イプセンが過去に描いてきたそれとはまた別の、新しい、今までになかった役割を担わされているといえる。(ただしその役割の萌芽だけは 『棟梁ソルネス』 のヒルデや、役割としては小さいながらも 『小さなエイヨルフ』 の鼠ばあさんにある、と、そう考えられなくはない。)

もちろん男性についても同じことが言える。ルーベックの問うている自分の生への問いや切実な希求、彼を追い詰めるものも含めて、彼を取り巻くそれらはすべて、アルヴィング夫人の息子オスヴァルの、ノーラの夫ヘルメルの気づいていたもの/気付かなかったために失ったものの延長線上にあるものであり、あるいは彼の人生は棟梁ソルネスの、ヨーン・ガブリエル・ボルクマンの人生の変奏でもある。その続編でありカバーである。

そういった諸要素を含みながらしかし、劇構造はこれまでになく恐ろしくシンプル極まりない。この戯曲には目に見えるドラマは何も起こらない、といってもいい。

本当に“演じる”ことが難しい人物ばかりが登場する。言葉やイメージとして書き出されていながら、一人の、現実に実在する“人物”としてそれを演じ、個人的な言葉として書かれている台詞を発語してしまうと途端にものすごく“小さく”なってしまう。戯曲の持っている魅力をすべて失ってしまう。イプセン存命の当時から、「この戯曲の真価を舞台で十分に発揮することは困難である」とされたのも頷ける。デンマーク王立劇場での上演に関し「俳優たちが小粒すぎる」との論評(Edvard Brandes)が残されているのだが、然もありなん、根本的にリアリズムな人物造形だけを頼りに、人間の生を舞台上に“再現”しようとするような手法では太刀打ちできない作品だと思う。今更ながら稽古場でそのことに直面して、本当に苦労している。この戯曲は本当は上演不可能なんじゃないかとすら思えることがある。

しかし我々は今回、この戯曲の上演を決めた。

では我々は、果たして今回、この難しい戯曲に対してどう立ち向かうのか。立ち向かって勝ちを勝ち取るのか。

そればかりはもう、是非とも劇場に立ち会って見届けて頂きたい! というところなんだけれども、少なくとも今、稽古場でいろいろなことを試しながら少しずつ、本当に少しずつだけれども、毎日、勝ち目、というか、作り出したい作品のビジョンについての確信と、それに近づきつつあるという手応えとを感じている。そして勝ちを取りに行くためのメンバーが揃っていると実感している。

アクロバティックなことをするつもりはない。実直に、素直にこのテキストに描かれているビジョンを再現したいと思っている。キーになるのは「語り」と、「遊び」だ。モチーフとは別に、戦略として(遊びとして)それを持ち込もう。

明日はいよいよ三幕に入る。週末にかけてほぼ、全体の構成が出来上がる。今考えている三幕の構成プランが俳優にきちんと届いたら、ひょっとすると一、二幕の考え方を大幅に変えなければならないかもしれない。それは段取りとか瑣末なことではなく、もっと本質的な、劇中で流れる時間との向き合い方の問題なんだけれども、

あるいはその程度のこと、なんだその程度のこと。と、俳優に簡単に分かられてしまうことかも知れない。それはそれでいい。ただこの週末が今回の稽古の山場になるのは確かだと思う。し、そうしなければならない。

怖いなあ。怖い。怖いですよいろいろと。本当に。

明日がとても楽しみだ。

  • 2009.09.18 (金) 02:15
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