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構成

構成台本を作っているところなのだが、近年まれに見るほど、構成作業に悩んでいる。うまくいえないけど靴下を脱ぐように言葉を裏返したいんだよな。そのためにどう身体を絡ませるか。文節を脱臼させるか。大失敗に終わるかもしれないきわどい作業。しかし続けるしかない。予め決めたコンセプトに沿って、今は目の前に在る道をひたすらに進むのだ。

  • 2012.05.06 (日) 05:31
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演出ノート/(2)闇の言語 【補筆】

ひとつ前のエントリで書いた演出ノート、アップしておいてなんだけれど、書いてて自分でいまいち納得がいっていない。スッキリしない。

違うんだ。きっともっとシンプルなことなんだ。思うに僕らは僕らの言葉を刷新しなければならない。そのときアンティゴネやノラのような人物たちの、社会を逸脱した言葉が役に立つんじゃないかということなんだ。

現代社会を組み立てているロジック、つまり言葉が、その耐用年数を過ぎているように思う。NHKのニッポンのジレンマではさかんに社会システムのバージョンアップが必要だ、と宇野常寛氏が言っていたけどざっくり書くとその感覚に近い。

そのことに気付いたのは、稽古場でふと、ル=グウィンの「左ききの卒業式祝辞」を思いだしたからだ。それまでは漠然と、今、上演するとしたら、アンティゴネなんじゃないか。という勘だけがあった。

社会の埒外に追いやられていた、フェミニズムの言語に今とても興味がある。といって巷で誤解されがちな戦闘的で被害者意識の強いフェミニズムではなく、男性との共存を求めるル=グウィンのような、

そういえばル=グウィンの「闇の左手」ってSF小説が積ん読になってたな。あれも読みたい。ああ。読みたい本がたくさんあってめまいがすることよ。

  • 2012.05.05 (土) 06:02
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  • Yasuhito YANO

演出ノート(2)/闇の言語

それは時代のせいなのか。それとも議論下手と言われている日本に限った話なのか。今、世の中で政治の言葉が非常に弱っていると思う。否、そもそも根本的に言葉の力に対する信頼が失われている気がする。

一方、今回扱う作品の題材のうち、例えばギリシア悲劇の登場人物たちの言葉は強い。

アンティゴネの言葉は強い。アンティゴネは政治の場で、“私”の言葉を徹底して貫き、政治の言葉を打ち破る。(そして私の言葉で以て私に殉ずる。)

その姿勢には一種の畏れすら感じる。飛躍するが、例えばイプセン「人形の家」のノラの勝ち取った“私”がアンティゴネの私に(一週回って)共鳴するように感じるのは気のせいだろうか。

 へルメル おまえは、家庭も、夫も、子供達もふりすてて行くのか。世間がなんというか考えてもみないで?

 ノラ そんなことは考えていられません。わたしにわかっているのは、こうすることがあくまで自分にとって必要だということだけですわ。

 -H.イプセン『人形の家』-

日本に限らず社会一般で、社会の規律(既存の価値体系)を突破して“私”の善をおこなうということについて考えている。

そのことについて是非を問うことはしかし社会の内部からは成し得ない。なぜならノラもアンティゴネも社会の外からやって来る(人間社会の決めた規律を突破してくる)存在だからだ。そして彼女たちの使う“私”の言葉は、人間社会を構築する政治の言葉(=男性言語)を揺るがす。故に彼女たち(の言葉)は社会を存立させ続けるために、闇に追いやられる。

今の日本でアンティゴネを題材に作劇をする意味は何か。

私はアンティゴネの苛烈な自己規定に憧れる。そして同時にクレオンやハイモンたちにも憧れる。余談になるが、私にはクレオンに誤りがあったとは思えない。クレオンは、至極社会的な人間だ。人間社会の規律を守ろうとして、しかし運命に、あるいはそれは神々の法=自然と言ってもいいかもしれない、それに無残に欺かれ敗れ去る姿が“美しい。”

そして何より登場人物たちは、例えのちになって主張を翻そうとも、己の言葉に、常に信を置いている。

(もちろん、クレオンには、人間社会を政治の言葉だけで制御できると思った人間の傲慢さがほの透けて見える。しかし当時は自然の法に対して国家の法を、集団を規律する法を為政者が自らの言葉で徹底的に律せねば、国家それ自体が成立しない時代でもあったのではないか?)

とまれ、クレオンやアンティゴネの主張は言葉の種類は違えども、徹底的に強い言葉に支えられている。

しかしクレオンとアンティゴネの言葉は、言葉の種類が違う。アンティゴネの言葉もノラの言葉も、既存の社会の法ではなく、いわば自然の法に則っている。

ノラ そんなこと信じるものですか。娘たるものに、年取って死にかけている父親の心配や苦労を省いてやる権利はないものでしょうか? 夫の命を救う権利が、妻たるものにはないものでしょうか? あたし、法律のことはよく存じません。でも、そういうことを許す個条がどこかに在るに違いないと思います。あなた、それをご存じないんですの、法律代理人のくせに? クログスタットさん、あなたはきっとろくでもない法律家なのね。

-H.イプセン『人形の家』-

そもそも法(の言葉)とは人間が、人間のために作ったものだ。しかし自然界に人間の法はしばしば通じない。(敢えて昨年の東日本大震災を思い浮かべるまでもなく、)天の法の前に人間の法は時に絶望的なまでに無力だ。

最初の演出ノート(フライヤーに掲載したもの)に、僕は下記のような文言を書いた。

個が個であることのどうしようもなさを描きたい。様々なテクストをコラージュした作品になると思う。戯曲ありきではなく稽古場で集団から身体から、そして交わされる言葉から立ちあげる舞台作品を作りたいと思う。

「個が個であることのどうしようもなさ」とは何か。単に「人は最終的に分かり合えない」というようなセンチメンタルなことが言いたいのではない。ギリシア悲劇の時代には有効だった言葉=意思という概念が、今や相当に疲弊しつつあるということ。言葉に対する信頼感が失われているということ。特に政治の言語の信頼感の失墜というか、それに対する国民の諦めにも似た感情は、感情を僕は日々の生活を過ごす中でヒシヒシと感じている。

そんなことを想定して書いたのだがしかし、それでもなお、人間は言葉を使ってしかコミュニケート出来ない。

アンティゴネもクレオンも、そしてハイモンもよりよい「生」を求めて自己の信念に殉じた。

世界のニュースを見るまでもなく、今や人間は滅びへの道を辿っているように思える。しかかしそれ(滅び)に抗う人間の意志もそこかしこで働いている。それは個の意思によるものか、集団の無意識によるものか。(無意識もまた闇の言語だ。)

世界は、変えられるのだろうか。

人間の作った法と、自然の法との対立。

今、「アンティゴネ」を読むとき、僕の胸に去来するのは、人間はそんなに確かな存在じゃない。もっと不確かな存在なのではないかという思いである。それは男性中心の社会を構築するための“政治”の言語では言い表せない、表舞台には決して出てくることのない“闇”の中に存在する“私”の言葉によって成り立っている。

  • 2012.05.04 (金) 12:09
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shelf 13 [edit] 公演概要

ファイル 835-1.jpg

[構成・演出] 矢野靖人
 director: Yasuhito Yano

[出演]cast:

 川渕優子 Yuko Kawabuchi
 春日茉衣 Mai Kasuga
 小山待子 Machiko Koyama (zacco)
 日向野敦子 Atsuko Higano
 ミウラケン Ken Miura
 金原並央 Mio Kinbara (害獣芝居)
 森祐介 Yusuke Mori

[照明デザイン] 則武鶴代
 lighting design: Tsuruyo Noritake
[衣装協力] 竹内陽子
 costume design: Yoko Takeuchi
[音響・ドラマトゥルク]荒木まや
 Dramaturg: Maya Araki
[企画・制作]shelf
 Planning and production: shelf
[主催]atelier SENTIO、shelf
 Sponsored by atelier SENTIO, shelf

[日時] 2011年5月24日(木)~27日(日)
 24日(木)20:00
 25日(金)20:00★
 26日(土)14:00 / 19:00
 27日(日)14:00

・開場は開演の15分前、受付開始は開演の30分前です
・★の回は終演後、SENTIVAL!2012関連企画「トーク!」を開催いたします。
・会場の都合上、開演後のご入場をお断りする場合がございます。ご了承ください。

■チケット取扱い
 tel. 090-6139-9578
 e-mail. info@theatre-shelf.org
・お名前/ご希望の日時/券種/枚数/お電話番号をお願いいたします。折り返しこちらよりご連絡を差し上げます。
・ご予約は観劇日の前日まで随時受け付けます。
 
■前売り開始 2012年3月24日(日)

■会場/アクセス
 atelier SENTIO

 東京都豊島区池袋本町4-29-10-1F
 東武東上線「北池袋」徒歩5分、JR埼京線「板橋」徒歩10分
 http://www.atelier-sentio.org/

ファイル 835-2.jpg

■演出ノート(初稿)
自分のことをどうにも分かって貰えないような他者の存在にこそ“感謝”することが出来るか? という意味での他者への想像力。それは今・この時代を生きる我々の生きる意味、のようなものの謂いであると思う。個が個であることのどうしようもなさを描きたい。様々なテクストをコラージュした作品になると思う。戯曲ありきではなく稽古場で集団から身体から、そして交わされる言葉から立ちあげる舞台作品を作りたいと思う。

■上演時間 70分を予定

  • 2012.04.27 (金) 04:31
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ストン、

今日の稽古は自分的にはとても充実していた。バラバラだったピースがすっと繋がり、ストンと腑に落ちた。俳優に、スタッフに(今日は音響・ドラマトゥルクのまやさんと、名古屋から照明の則武さんとが来てくれていた。)一生懸命喋ったけど、コンセプトというかテーマというか、が、どこまで俳優に伝わったのか分からない。むしろみんな戸惑っていたようにも思う。

でもそんなもんだ。頭でだけ分かってもしゃーない。俳優は実感というか手触りというか、具体的な、身体に落とす作業をしていかなければ。

しかしソフォクレスとル=グウィンが響き合うとは思わなかった。テキストの強度も問題なく拮抗している。一方は戯曲、一方はスピーチだけれども、非常にすんなりと僕の中で組み合わさった。勿論まだまだ掘り下げて、水面下に沈め込むような作業をしなければならないことはたくさんある。それは承知している。水面下に沈めて、テキストを出来るだけ削りたい。削って、触れると血の出るようなテキストだけを残したい。

ファイル 834-1.jpg

ファイル 834-2.jpg

  • 2012.04.27 (金) 04:24
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