4月中は基礎稽古ばかりやっています。
内容は、先日紹介したような、片岡さんやケイスケに教えて貰った飛龍会系のボディ・ワーク(ケイスケは昔、Tさんがにしすがも創造舎で個人的にやっていた体操教室に通っていたことがある。)と、スズキ・メソッドが中心。
飛龍会の 「胴体力」 という考え方を知ってから、というか、ずっと以前からケイスケに聞きながら少しずつ、自分が消化できる範囲で稽古に取り入れて来てはいたのだけど、
最近になって、片岡さんのボディ・ワークや、書籍などから得た知識が自分の中でミックスアップされて、スズキ・メソッドに対する理解も、ずっと深まって来ている気がします。毎日発見があって、稽古がとても楽しい。
ボディ・ワークもメソッドも、共通する目標は “開かれた” からだを手に入れることだと思う。そして、重心と呼吸を大きく、且つ繊細にコントロール出来るようになること。
誤解されていることが多いんだけど、スズキ・メソッドって、きちんとした手続きを踏みさえすれば、からだを壊したりするようなものでは決してない。
例えば、若い俳優が、スズキ・メソッドをやりすぎて疲労骨折してしうことがある、というのも、きちんと身体を骨盤で支えて動いていればよいところを、歪んだ身体のままやってしまっていたからなのであって、歪みを矯正し、身体の(股関節・骨盤などの)正しい捉えができていれば、そのような惨事は起こらなかったはずなのだ。
また、重心と呼吸をより大きく扱う、というのは、甲野善紀氏が、
型稽古の本質的な意味は、現代ではほとんど誤解されていますが、もともとの、日本の武術における型稽古の優れたところは、「つい動いてしまう」とか、「普通にやっていると動きやすい」動きをあえて不自由に制限することによって、日常から飛躍したレベルの高い動きを、本人が発見できるように組まれていたと思うのです。
しかし、現在は、型って、ある形を真似して、それを反復練習することによってその動きをスムーズに、自動化していくためのものだと考えている人が多いんですね。
(「響きあう脳と身体」 甲野善紀×茂木健一郎)
と語るところのもの= 「普通にやっていると動きやすい」 動きをあえて不自由に制限することによって、日常から飛躍したレベルの高い動きを、本人が発見できるようにするためのものだし、
繊細にコントロールするというのは、伊藤式の、肩や骨盤の 「細分化」 という発想と同じもので、胴体の細分化が出来ると、例えば手本の動きの模倣なども簡単にできるようになる。これなんか、身体パフォーマンスである演劇にとって、とても重要な要素だと思う。
あるいはメソッドの、重心をわざとブレさせて、その上でそれを制御する。という発想は、 「居着くことを嫌う」 日本武道の教えにもかなっている。 「意識的に不安定な状態を使いこなすことで、予備動作や力みのない “居着かない” 動きを希求」 するという、武術の理合( 「不安定之理」 甲野善紀)に、これも同じだと思うのです。
といって、そもそもスズキ・メソッド自体、能や狂言などの日本の古典芸能や、伝統的な足の捌きを参照して生みだされたものだから、根本の発想が同じであって、当たり前といえば当り前なのだけれども。
見た目を追いかけるのではなく、“所謂” 鈴木メソッドに捉われない、身体の捉えを目指すべく、日々精進しています。