記事一覧

William Forsythe - One flat thing reproduced 01/03

最近、ダンサーがパフォーマンスをしているときにどんな意識とからだでいるのかがとても気になっている。

つまり「役」を与えられていない人間が、それでもどんなふうに「演じているのか。」

その意識の在りようについて考えているのだけれども、それはshelfで求められる舞台での立ち方がどうやら普通の演劇とは違う意識の持ち方、からだの在り方を求めているらしいことが分ってきたからだ。のっぴきならない身体。無意識も含めた意識の蠢きをありのままに現前させること。プレザンス。

shelfで所謂「役」を演じることは求めていない。しかし、「役」の「セリフ」を発語するに足る「意識」及び「身体」のあり得べき状態については徹底的にこだわっている。

冒頭の話に戻るが、ダンサーである彼/彼女らが、何を拠り所として立っているのかと言えば、身体の感覚(感情じゃないよ!)だとしか思えない。これが、普通の俳優にとってはかなり難しいらしいのだ。

  • 2013.05.20 (月) 08:23
  • Permalink
  • archive::「班女/弱法師」
  • Comments(0)
  • TrackBack(0)
  • Yasuhito YANO

「演劇」に奉仕するために

「班女/弱法師」、順調に瞑想しながら、それでも一歩一歩進んでいます。春日もtwitterに書いてたけど、昨日の稽古はいろいろ発見があって、ホントに面白かった。願わくば劇団員の春日だけでなく、他の客演俳優陣にも発見が訪れてくれていると嬉しいなと思いつつ。でも、ま。大丈夫だろ。なんて珈琲を啜りながらの朝。

shelfは、感情ではなくからだから芝居を作る。それは、からだこそが、こころを作るからだと思っているからだ。からだという言葉で分り難ければ、感覚。といってもいい。外から受け取るもの。そして内側を変えるもの。間違っちゃいけないのは、感覚と感情はぜんぜん別物である、ということ。

感情を、「表現」してはいけない。たぶん感情は言葉に置き換えられるものだ。言葉にできることは大抵、割り切れる。そしてそれが言葉に置き換えられるものだったら、何も俳優が表現することはない。それをどれだけ上手に装飾して説明して見せても、読書したときにおこる読み手の想像力には敵わない。

演技に必要なのは、感情や意識の表現ではない。決してない。どれだけ上手く言葉を操ろうと、俳優が“役を演じている”限り、それはけっきょく空虚なものでしかない。少なくともそんなものは、僕は、見たくない。

必要なのは、先ずそこに「存在」することだ。人が生まれて、そこに生きていること。それは言葉では決して割り切れない。言葉にできない。絶対に。それが、僕が俳優って業の深い仕事だな、と思うと同時に祝福された仕事だなとも思う所以だ。

こころは、少なくともオトナの心はたぶんに言葉によって出来ている。自分の語彙にない感情には、たぶん、なかなか陥らなくなってるのがオトナだ。しかしコドモは違う。言葉をほとんど知らない幼児や赤ん坊の、彼/彼女らの表情がどれだけ豊かなことか。その豊かさをどれだけのオトナが持ち得ていようか。

今、だから僕は稽古場で求めているのは、技術のある俳優じゃないんだな。とつくづく思う。子どものような目で世界と他者といちいち新鮮に出会いつづけられる俳優が、僕は素敵だと思う。見ていていつも驚かされる。でも難しいんだな、これが。なかなかに、オトナになってしまった人にはこれは出来ない。

だから今僕が切実に感じているのは、俳優をして世界と新鮮に出会いつづけて貰えるようにすること、“演じる”ことから自由になって貰うこと。そのための方法を一演出家として、方法化しなければならないと考えている。自分の作品を「演劇」という現象に奉仕させるために。この世界のために。

  • 2013.05.13 (月) 10:41
  • Permalink
  • archive::「班女/弱法師」
  • Comments(0)
  • TrackBack(0)
  • Yasuhito YANO

そして再び僕の心に谺するのは、ルーグウィンのこの文章なのです。

成功とは他の人の失敗を意味します。成功とは私たちが夢見つづけてきたアメリカン・ドリームです。我が国の3000万人を含む様々な地方の人々の大半は貧困という恐るべき現実をしっかり見据えながら生活しているのですから。そう、私はみなさんに御成功を、とは申しません。成功についてお話する気もありません。私は失敗についてお話したいのです。

 なぜならみなさんは人間である以上、失敗に直面することになるからです。みなさんは失望、不正、裏切り、そして取り返しのつかない損失を体験することでしょう。自分は強いと思っていたのに実は弱いのだと気づくことがあるでしょう。所有することを目指して頑張ったのに、所有されてしまっている自分に気づくことでしょう。もうすでに経験ずみのことと思いますが、みなさんは暗闇にたったひとりで怯えている自分を見出すことでしょう。

 私がみなさん、私の姉妹や娘たち、兄弟や息子たちすべての人々に望むことは、そこ、暗闇で生きていくことができますように、ということなのです。成功という私たちの合理的な文化が、追放の地、居住不可能な異国の地と呼び否定しているそんな土地で生きていくことを願っています。

(「左ききの卒業式祝辞」と題された作家ル=グウィンによるミルズ・カレッジ卒業式の講演、1983年)

【『13日間で「名文」を書けるようになる方法』高橋源一郎(朝日新聞出版、2009年)】

  • 2013.05.12 (日) 04:14
  • Permalink
  • archive::「班女/弱法師」
  • Comments(0)
  • TrackBack(0)
  • Yasuhito YANO

Le Sacre Du Printemps by Pina Bausch Wuppertal Dance Theater

ピナ・バウシュ振付の「春の祭典」。

「弱法師」の俊徳登場までの(あるいは。俊徳との最初の接触における両親たちの心の在り方の)イメージが今回、何故か、この作品に繋がりました。もちろん、直接的に模倣するわけではないですが。

あくまで演出家としての僕の直観です。生贄として集団から神に捧げられる一人の女性。集団の無意識――個々の人々が持つ意思の集積ではなく、質的変化を起こし変質してしまった集団の「意思」、と「無意識」。

あくまでイメージであり、これをそのまま模倣するというのではありませんが。

  • 2013.05.12 (日) 03:37
  • Permalink
  • archive::「班女/弱法師」
  • Comments(0)
  • TrackBack(0)
  • Yasuhito YANO

d-倉庫のwebインタビューに答えました。

shelf次回公演(6月下旬)に向けて、上演会場であるd-倉庫のインタビューに答えました。近作の話から、東京で公演をするということについて、矢野の演劇観、次回作である三島由紀夫について、などなど語っています。d-倉庫のホームページに掲載されています。お時間の在るときにご一読ください。

ファイル 1025-1.jpg

d-倉庫 artist interview no.87
http://www.geocities.jp/azabubu/interview/in_087.html

  • 2013.04.18 (木) 05:34
  • Permalink
  • archive::「班女/弱法師」
  • Comments(0)
  • TrackBack(0)
  • Yasuhito YANO