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「ブラン-マントの通りでは(Dans la Rue des Blancs-Manteaux)」

「出口なし」の劇中でイネスが唄う鼻唄。ジュリエット・グレコ(Juliette Gréco)。

「ブラン-マントの通りでは(Dans la Rue des Blancs-Manteaux)」

Dans la rue des Blancs-Manteaux
Ils ont élevé des tréteaux
Et mis du son dans un seau
Et c'était un échafaud
Dans la rue des Blancs-Manteaux

Dans la rue des Blancs-Manteaux
Le bourreau s'est levé tôt
C'est qu'il avait du boulot
Faut qu'il coupe des généraux
Des évêques, des amiraux,
Dans la rue des Blancs-Manteaux

Dans la rue des Blancs-Manteaux
Sont v'nues des dames comme il faut
Avec de beaux affûtiaux
Mais la tête leur f'sait défaut
Elle avait roulé d'son haut
La tête avec le chapeau
Dans l'ruisseau des Blancs-Manteaux

ブランマントの通りでは、
四脚台を組みあげて、
桶に粉糠を詰めこんだ。
これぞすなわち首斬台、
ブランマントの通りでは。

ブランマントの通りでは、
首斬り爺さん早起きだ。
とてもさっても忙しい、
将軍、僧正、提督の、
首を斬るのだ、忙しい、
ブランマントの通りでは。

ブランマントの通りでは、
立派な奥方おめかしで、
しゃなりしゃなりと集まった。
ところがどっこい首がない。
首は帽子ともろともに、
ばっさり落ちてころがった、
ブランマントの溝のなか。

1949年、アメリカの「ライフ」誌にサン・ジェルマン・デ・プレのアイドルとしてグラビアに載ったジュリエット・グレコ。彼女はその年に歌手デビューするのですが、持ち歌がなかった。そんな彼女にサルトルが贈った曲が、この曲。

もともとサルトルが、戯曲『出口なし (Huis clos) 』の中の劇中歌として作詞・作曲。ただし自身の作曲に満足していなかったサルトルは、ジョゼフ・コズマの所に持って行き書き直して貰うよう、ジュリエット・グレコにアドヴァイスしたのだそうです。
 
ファイル 1279-2.jpg
 

ジュリエット・グレコ Juliette Gréco | 1927年-

フランス・モンペリエ出身の歌手・俳優。現在も現役として活躍。多くの映画に出ているが1949年にはジャン・コクトーの「オルフェ」に出演。1970年代以降歌に専念し、自分の気に入った詩だけを歌ってきた。1961年と2011年6月に来日し日本でもコンサートを行っている。

JAZZ TOKYO|Photo Column 撮っておきの音楽家たち|#24. ジュリエット・グレコ
http://www.jazztokyo.com/column/hayashi/024.html

  • 2015.04.17 (金) 13:51
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  • Yasuhito YANO

『出口なし|Huis clos (1945) 』 の稽古をしています。

ファイル 1277-1.jpg

shelf次回公演 J-P.サルトル『出口なし|Huis clos (1945) 』、本日の稽古場から稽古風景を一枚。なかなか懐深いところに手が届きそうです。久しぶりの完全新作。毎日なかなかにスリリングな稽古場です。ご期待下さい。


公演詳細を改めて。

ファイル 1277-2.jpg

Still from video by TANJC

2015年5月4日(月・祝)19:00開演★ 5日(火・祝)14:00 / 19:00開演 @d-倉庫

構成・演出 / 矢野靖人
出演 / 三橋麻子、文秉泰、川渕優子、森祐介

ブレヒト、イヨネスコ、アラバール、寺山修司...現代の著名な劇作家の作品を一本取り上げ、その戯曲だけを連続上演する die pratze主催(共催/d-倉庫、助成/芸術文化振興基金)による「現代劇作家シリーズ」は、第5弾に参加します。

今回取り扱う戯曲は、20世紀を代表する哲学者サルトルの『出口なし』。とても手強いテキストです。ですが、この偉大な実存主義の哲学者に真正面からぶつかって、いつものshelf作品よりさらにソリッドな、切れ味の鋭い作品に仕上げたいと考えています。どうぞご期待下さい。

[料金]
一般前売 2,500円、当日 2,800円
学生前売 2,200円、当日 2,500円(要・学生証提示)
通し券一般 5,800円、通し券学生 5,000円
* 通し券はd-倉庫のみで販売

[チケット取扱]
shelf :
tel. 090-6139-9578
e-mail. info@theatre-shelf.org

RESERVA予約システムから予約する

・受付開始は開演の60分前です。
・本公演は、初期型 との二本立て公演です。
・上演時間は二作品で合計 2時間を予定しています。
★の回は終演後にポスト・パフォーマンス・トークがあります。

[衣装]竹内陽子 Yoko TAKEUCHI
[制作協力]天野三月 Mitsuki AMANO
[主催]die pratze
[共催]d-倉庫
[助成]芸術文化振興基金
[製作]shelf

[会場]d-倉庫
 〒116-0014 荒川区東日暮里6-19-7-2F
 03‐5811‐5399
 日暮里駅南口徒歩7分
(JR山手線・京浜東北線・常磐線、私鉄京成線・日暮里-舎人ライナー)

  • 2015.04.17 (金) 13:24
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  • Yasuhito YANO

shelfでは、制作スタッフ(アルバイト・インターン)を常時募集しています。

「制作」といっても、そもそもこの言葉のカバーする領域はちょっと広すぎる。プロデューサー、プロダクションマネジメント、アーティストマネジメント、広報、制作事務、フロントスタッフ(公演当日運営)、あるいは劇場の職員や、中間支援、学芸員(ドラマトゥルク)等々。アーティストとテクニカルスタッフ以外、という広い領域をカバーする言葉になっているのが現状かも知れません。(少し整理する必要があるのかもしれませんね。)

shelfでは取り敢えず、例えば長い目で見て、shelfのような中堅(?)カンパニーの活動規模の拡大期に興味があって、PR(パブリック・リレイション)とかブランディングとかって仕事に関心があって二人三脚で歩いていって貰えそうなフリーランスの制作者や、ぶっちゃけ今すぐ即戦力にならなくとも(別に、座付きにならなくとも良いです、)取り敢えず現場を経験しておきたい、という若手、そういう方がいらっしゃいましたら、薄謝ではありますが、ちゃんと謝礼をお支払いしてお仕事を依頼したいと考えています。

あちこちで繰り返してますが、少しでも引っかかったところがありましたらお気軽に、気兼ねなくお問合せ下さいませ。

矢野靖人

ファイル 1278-1.jpg

  • 2015.04.17 (金) 11:38
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  • Yasuhito YANO

太陽と呼吸

ここんところずっと、毎朝風呂に入った後に外で日差しを浴びながらテンカウント(shelfの稽古場で毎回行っているベーシック・トレーニングの一つ。背中に大きく呼吸を入れることを意識しながら、胸郭を開き、横隔膜を引き下げて息を吸い、丹田に重心を落としたままゆっくりと長く、同じ圧で1から10まで数える。)をして呼吸を整えているのですが、日に日に調子がよくなってきている気がします。

まあ何となくですが。

晴れていれば日差しが暖かでとても気持ち好いし(太陽って偉大!)少し肌寒くてもかえって心身が引き締まるので、自律神経も整うのではないかな、と。

あと今・ここに在ることだけに集中できるので、ちょっとした坐禅の時間のようになる。続けたいと思っています。* 写真はイメージ。

ファイル 1276-1.jpg

  • 2015.04.12 (日) 16:50
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  • Yasuhito YANO

発語という行為

チェーホフにしろシェイクスピアにしろ、岸田國士や三島由紀夫、サラ・ケインやベケットにしたって、そのテキスをを発語する際にいちばん肝要なのは、美しい日本語とか、語の意味がちゃんと伝わるとかでなく(それは大前提だ。)ただ、その発語を的確に“発語行為”とすることが出来るかどうかだ。

そこのところについては相当、shelfでは都度、現場で徹底している。徹底して俳優に要求するし、己れには徹底して言語化出来るようそれを課している、ただ、それは別段、うちに限った、限定的な方法とか理念とかではなく、すごく普通の、ど真ん中のそもそもの演技ということの本質だと思っている。

それはたぶん、いわゆるスタニスラフスキー由来のリアリズム演劇にも通じるし、と同時に能狂言や歌舞伎、文楽などの、例えば日本の古典芸能にも通底しているし、おおげさにいえば、近代以降の人間理解だけでなく、近代を超克すべき道筋の一つでもあり得るのではないか、とも考えている。

台詞を発語する、それを如何に“(発語)行為”として成立させるか。については、しかし以外に要件はシンプルで、ただ、一人で演らないこと、そのことに尽きる。如何に相手役や観客や空間、あるいは自分自身の身体や心を“使って”演技を組み立てるか。

常に環境と自己との間の回路を“開き”続け、つまり“感覚”を“開き”続けて、如何に即興的に受け取ったことを即座に自分の演技にフィードバックし続けるか。

なんていうと頗る複雑で難しい作業を俳優に課しているように思われるかもしれないが実は演技する、ということについてだけいえばかえってその方が、“楽”になるのだ。楽になるというのはつまり、如何に台詞を美しく喋るかとか、どう演ずるかなどといった邪魔な自意識に煩わされずに済むということだ。

俳優あるいは演出のための方法についてのメモ 201504