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Samuel l Jackson from Pulp Fiction

懐かしい映画ですが、人間の発語“行為”について考えるとき、僕の脳裏にしばしば浮かぶのがこの有名なシーンです。クウェンティン・タランティーノ監督の映画『パルプ・フィクション』プロローグから、サミュエル・L・ジャクソンが演じる殺し屋が人を殺す前に聖書の一節を暗唱するシーン。つまり、人はいつも日常的な会話をばかり発語しているのではなく、時に書かれた言葉を朗誦しつつそれを一つの行為とするという。


心正しき者の歩む道は、
心悪しき者の利己と暴虐の不正によって包囲される。
祝福されるべきは、愛と善意の名において暗黒の谷で弱き者を導く者。
なぜなら、彼こそが兄弟を守護する者にして
迷い子たちを見出す者だからだ。
そして、おまえがわたしの兄弟を毒し、滅ぼそうとするとき、
わたしはおまえに激しい怒りでもって大いなる復讐の鉄槌を下す。
わたしがおまえに復讐の鉄槌を振り降ろすとき、
おまえはわたしが主であることを知る。

発語という行為と書き言葉との関係について、これほど雄弁に語っている映画はなかなかないと思うのです。劇中では「エゼキエル書25章17節」からの引用だと言われていますが、じっさいにはかなり脚色されているようです。

アツくなることと熱狂すること、それと集中することとの違い、あるいは観客や聴衆の受け皿になるというとについて

一昨日稽古場で、スズキ・メソッドのトレーニングのうち“スロテン”と呼んでいる訓練をしながらいろいろ考えたり話したりしたこと。その、メモとして。俳優は、舞台上でアツくなってもイイが、(真っ直ぐに、一足飛びにアツくなれるのであればそれはそれでその演者の持つ大きな特性の一つなのだろうけれど、)アツくなるのと、熱狂的になるのとはぜんぜん違うという話。つまり、集中するというコトはどういうことなのか? という話なのだけれど、それで思い出したのが下記の動画、マイケルジャクソン、1992年10月1日のルーマニア・ブカレストライブの記録なのであった。

Michael Jackson dangerous jam @ bucharest 2012

何千人何万人というな巨大な観衆が、それも卒倒する者が多発するくらいの熱狂を帯びて、彼のそこに在る姿、つまりマイケル・ジャクソンという稀代の大スターとしての彼を前に制御不能な群集がが相対しているなかで、その彼/彼女らの熱く気の違ったような強烈な感情と期待と熱狂をと、マイケル本人はどのように受け止めていたのだろうか。

身じろぎ一つしない数分間。そのときの彼のからだは、果たしてどのような状態にあったのだろうか。というようなことをyoutubeでこの動画を見ながら若い俳優たちと話したのだけれど、

おそらくは、僕が思うに彼のこころとからだはそのとき熱狂とはまったく異なる、遠く離れた状態にあって、内面、というものがあるとすれば、だが、それはとてもクールだったんじゃないか。ただし、その大衆の熱狂を受け入れられるだけの大きな“受け皿”のような、空っぽで、しかし強く深い大きな“媒体”として、そこに意志と宿命をと持って虚心に、見られるからだに対して究極的な集中を持ってそこに存在していたのではないだろうか、と。

ジョン・レノン、然り。あるいはアメリカン・ポップ・アートの旗手アンディ・ウォーホル然り。何れも熱狂的なファンに取り巻かれながら、時代に求められ、しかしそのさなかで不遇な死を遂げた大スターだけれど、

これは某漫画の半ば受け売りなんだけど、トップに在る者、それはパフォーミング・アーツに限らず、ミュージシャンだったり現代美術のアーティストや、あるいはアスリートであったとしても、とにかく彼らのような圧倒的なスターは(僕らのような凡庸な存在とはそもそも比べるべくもないのだけれど、)それを“やりたい”からやっているのではなく宿命のようなものを持っていて、“やらなければならない”から、そこに居たのではないか。そしてそのようなからだを、私たちパフォーミングアーツにその身を捧げている者はどのように捉え、考え、実践に結び付けていくべきなのか。そんなことはしかし、可能なのだろうか? というような話。
 
 
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ジョン・ウィンストン・オノ・レノン (John Winston Ono Lennon) | 1940年-1980年

イングランド・リヴァプール出身のミュージシャン。1960年代に世界的人気を得たザ・ビートルズのリーダー。ポール・マッカートニーと「レノン=マッカートニー」としてソングライティングチームを組み、大半の楽曲を製作し、メイン・ボーカルを務めた。1970年のビートルズ解散後はアメリカを主な活動拠点とし、ソロとして、また妻で芸術家のオノ・ヨーコと共に平和運動家としても活動した。1975年から約5年間音楽活動を休止した後、1980年12月8日23時頃(米国東部時間)にニューヨークの自宅アパート「ダコタ・ハウス」前においてファンを名乗る男性により撃たれ亡くなった。「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第5位。「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100組のアーティスト」において第38位。

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アンディ・ウォーホル(Andy Warhol、本名:アンドリュー・ウォーホラ(Andrew Warhola) | 1928年-1987年

アメリカの画家・版画家・芸術家でポップアートの旗手。銀髪のカツラをトレードマークとし、ロックバンドのプロデュースや映画制作なども手掛けたマルチ・アーティスト。1928年米国ペンシルベニア州ピッツバーグに東欧系移民一家の三男として誕生。カーネギー工科大学卒業後ニューヨークに移住し、グラフィック・デザイナーとして成功を収める。拡大するアメリカの消費社会と大衆文化を背景に、さまざまな表現手法を駆使した作品で美術界に大きな衝撃を与えた。

  • 2014.07.28 (月) 08:04
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  • 俳優あるいは演出のための方法についてのメモ
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  • Yasuhito YANO

俳優訓練について

僕は俳優訓練については一家言あって、取り敢えずその訓練を「これは訓練だ。」と思ってやってちゃいけない、という。スズキ・メソッド(身体操作の訓練)然り、ライン(発語行為についての訓練 *これは決して発声訓練ではない。)然り。それをただ訓練のためだとのみ捉えて何も考えずにやってたら、まあ、だいたい何にもならない。俳優として何の糧にもならない。

メソッドを踏む、その足腰の所作一つにしても、ラインを発語するその瞬間瞬間の発語の衝動についても、何故、今、それを為すのか。自分のなかに(訓練だからという理由ではないところの、)理由というか感情というか、何かしらの衝動がなければならない。なければ捏造したってかまわない。という、これがアタマでは分かっても実践に移すのが難しいのだけれども。


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(上の写真はshelfの稽古場風景を収めた旧い写真。206年5月のものです。...若いな俺。若くて尖がっててそして痩せている!)

ところで僕は、先鋭的な諸芸術や宗教、哲学や武術における直観にはすべて、いわゆる科学、サイエンスの最先端よりも先に立つものがあると考えているものです。身びいきでなく特に東アジアの芸術や武術、仏教の身体や心や世界認識の方法は少なくとも今現在の科学では説明出来ない事象を確実に捉えていると思う。

別段サイエンスを貶めるつもりはないが、明治期以降の様々な分野における“近代化”運動と(和魂洋才とか)あと昭和の敗戦以降の欧米による日本人の“再教育”によって、日本人はヨーロッパ的な思考様式を、東アジア的な基礎の上に接ぎ木されるようにして、我が身に修めて来た。

もちろんそのような思考様式なくして、今に至る科学技術や社会システムの“発展”はなかったと思うし、日本語という、これが割りと強固な思考様式の一つ、考えるための枠組みの一つなんだけど、その中にあってさえ私たちは今やそのヨーロッパ的な思考様式にどっぷり浸かっていてそれなくしては何も考えられないかのようになっている。

しかし今や、そのヨーロッパ的な思考様式が、制度として疲弊し切ってしまっているのではないか。というのが現在の僕の問題意識の中心の一つとして目の前に横たわって在る。いわゆるヒューマニズム(人間中心主義)然り、個人主義然り、資本主義然り。

良くも悪くも、ヨーロッパ由来のものごとの考え方については、悪い癖のようなものがあって、ものごとに因果関係を見出してしまう、というのとあと、何ごとにつけ二元論で考えてしまうというのがあると思う。こころとからだ、病と健康、生と死、善と悪。あと観察者としての私と対象としての自然、とか。

そう考えると俳優訓練って、実は何かしら技術を身に付けるというよりか、からだとこころに纏わり付いて付着してしまったいろいろの事どもを剥がす作業なのかも知れない。

おまけ。ちょっと美しい動画を見つけたのでリンク。型(制限)ってのがあるおかげでそこにどれだけ自由が生まれ得るかが分かると思う。

Final Female Kata. Rika Usami of Japan.
21st WKF World Karate Championships Paris 2012


 

俳優が読んでおくべき一冊

なんとなく、自分の書棚の整も兼ねて、今、俳優が読んでおくべき本を紹介して行こうと思い立ちましたので、書きます。最初はアリストテレスの『詩学』と、世阿弥の『風姿花伝 』について。

『詩学』(しがく)は、文学理論について論じた古代ギリシャの哲学者・アリストテレスの著作。「模倣」または「再現」と訳される「ミメーシス」の概念を提示したことが有名です。悲劇(劇詩)を抒情詩や叙事詩などより上位に位置づけていて、文学の最高形態に位置づけていることも特筆すべき点の一つ。ですが、コムツカシイことはさておき、普通いろいろ何故そうなのか? について順序だてて考えなきゃいけないことをアリストテレス先生は例えば、

悲劇とは、一定の大きさをそなえ完結した高貴な行為の再現(ミーメーシス)であり、快い効果をあたえる言葉を使用し、しかも作品の部分部分によってそれぞれの媒体を別々に用い、叙述によってではなく、行為する人物たちによっておこなわれ、あわれみとおそれを通じて、そのような感情の浄化(カタルシス)を達成するものである。

と、どどーんと定義付けちゃうところから始まったりするんですね。こういうところが、すごい。言ってみれば、哲学書というよりは、実践のための指南書です。ギリシア哲学の大御所が書いた古典なのでちょっと身構えちゃうかも知れませんが、大丈夫。ページにして80ページくらいかな、とにかく短いので割りと簡単に読めてしまいます。あ、でも事前知識としてソフォクレスの『オイディプス王』くらいは前もって読んでおいたほうがいいかも。

『風姿花伝 (ふうしかでん、風姿華傳)』は、世阿弥が記した能の理論書。亡父観阿弥(かんあみ)の教えを基に、能の修行法・心得・演技論・演出論・歴史・能の美学など世阿弥自身が会得した芸道の視点からの解釈を加えた著述で、理論書であると同時にこれもまたかなり実践的な“実用書”でもあるところが面白い本です。成立は15世紀の初め頃。「幽玄」「物真似」「花」といった芸の神髄を語る表現はここにその典拠がある、と言われています。最古の能楽論の書であり、日本最古の演劇論。

『風姿花伝』については、『イギリスはおいしい』などのベストセラーで有名なリンボウ先生こと日本文学者、林望氏が現代語訳を書いていますので、こちらから読んでもいいかも知れません。


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アリストテレス | 紀元前384年 - 紀元前322年
古代ギリシアの哲学者。プラトンの弟子であり、ソクラテス、プラトンとともに並び称せられる「西洋」最大の哲学者の一人。その多岐に亘る自然研究の業績から「万学の祖」とも呼ばれる。イスラーム哲学や中世スコラ学、更には近代哲学・論理学に多大な影響を与えた。また、マケドニア王アレクサンドロス3世(通称アレクサンドロス大王)の家庭教師であったなどという逸話もある。


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世阿弥(ぜあみ) | 1363年-1443年
日本の室町時代初期の大和猿楽結崎座の猿楽師。父の観阿弥(觀阿彌陀佛)とともに猿楽(申楽とも。現在の能)を大成し、多くの書を残す。観阿弥、世阿弥の能は観世流として現代に受け継がれている。1374年または1375年、観阿弥が今熊野で催した猿楽(申楽)能に12歳の世阿弥が出演したとき、室町将軍足利義満の目にとまりその後義満の寵愛を受け、その後、観阿弥・世阿弥親子は将軍家に庇護されることとなる。しかし、義満の死後、足利義教の代になると、弾圧が加えられるようになり1432年、長男の観世元雅が伊勢安濃津にて客死。失意の中、世阿弥も1434年に佐渡国に流刑されるなど、晩年は不遇なものであった。世の字の発音が濁るのは、足利義満の指示によるもので、正しくは「世阿彌」。

岸田國士 「舞台の言葉」

そう、先に書いた近代戯曲研修セミナーは、研修3日目での発見を受けてふと思い出した岸田國士の評論にこんなくだりが在りました。ちょっと長いのですが、分かり易く具体例を挙げて書いてくれているので、その冒頭を引用します。

 舞台の言葉、即ち「劇的文体」は、所謂、白(台詞)を形造るもので、これは、劇作家の才能を運命的に決定するものである。
 普通「対話」と呼ばれる形式は、文芸の凡ゆる作品中に含まれ得る文学の一技法にすぎないが、これが「劇的対話」となると、そこに一つの約束が生じる。それはつまり、思想が常に感情によつて裏づけられ、その感情が常に一つの心理的韻律となつて流動することである。甲の白が乙の白によつてより活かされてゐることである。「心理的飛躍に伴ふ言葉の暗示的効果」が、最も細密に計画されてゐることである。
 これは、「自然な会話」と何も関係はない。この「自然な会話」が、「劇的対話」と混同されたところに、写実劇の大きな病根がある。殊に日本現代劇の大きな病根がある。「自然な会話」の総てが悪いのではない。「平凡な会話」が「自然なる」が故に佳しとされたところに、危険がひそんでゐる。

「今日は」
「いらつしやい。だれかと思つたらあなたですか」
「よく雨が降りますな」
「ほんとによく降りますな」
「みなさんお変りありませんか」
「はい、有りがたうございます、お蔭さまでみんなぴんぴんしてゐます。ところで、お宅の方は如何です。さうさう、奥さんがどこかお悪いとかで……」
「なあに、大したことはないんですよ。医者は脚気だと云ふんですが、何しろ、あの気性ですから、少しいいと、すぐ不養生をしましてね」
「それは御心配ですな。どうも脚気といふやつは……」

 かういふ種類の白は、一時、いやでも、おほ方の脚本中に発見する白である。こんな月並なことをくどくどと喋舌られてゐては、聞いてゐるものがたまらない。
「自然な会話」必ずしも、上乗な「劇的対話」でないことはこの通りであるが、その中に何も劇的事件がないからだ、内容がないからだと云ふかもしれない。
 それも慥かに一つの理由である。然し、そんならこれはどうだ。
「今日は」
「おや、こいつはお珍らしい」
「降りますね、よく」
「どうかしてますね」
「みなさん、お変りは……」
「ええ別に……。ところで、奥さんがどつかお悪いつていふぢやありませんか」
「なあに、大したことはないんです。脚気だと云ふんですが、何しろ、あの気性でせう、無理をするんです、少しいいと」
「無理をね……。脚気か……こいつ」

 前と同じ場面、同じ人物である。云つてゐることも違はない。文句を少し変へただけである。
 それだけで、既に多少「月並」でなくなつてゐると思ふ。会話が生きてゐる。より「劇的対話」になつてゐる。舞台の言葉になつてゐる。この二つの面の優劣は、さほど格段の差に於て示されてゐないことは勿論であるが、少しでもそれが認められれば、それでいい。
 この相違は、優劣はどこから来るか。前の方は、言葉そのものの印象がぼんやりしてゐる。言ひ換へれば、大抵の人間が、大抵の場合に、殆ど無意識にさへ口にする言葉使ひである。従つて心理の陰影が稀薄である。特殊な人物の、特殊な気持が、はつきりつかめない。つかめても、それに興味がもてない。つまり、お座なりといふ感じが退屈を誘ふ。機械的といふ感じが、韻律の快さと反対なものを与へる。感情の飛躍がないから注意力を散漫にする。
 これは単に一例にすぎないが、もつと複雑な心理や、重大な事件を取扱つた場面でも、これに似た表現上の欠陥が、人物の対話を「非舞台的」にしてゐることは事実である。実生活の断片、これほど自然な場面はない筈であるが、同時に多くの場合、これほど非芸術的な場面はないと云つてもいい。殊に現代日本人の生活に於て、この感が愈々深い。

http://www.aozora.gr.jp/cards/001154/files/43580_17339.html

「自然な会話」が、「劇的対話」と混同されたところに、写実劇の大きな病根がある。なんと、日本の“写実的な”劇の劇作家の筆頭で、文学座の創設者でもある岸田國士が、既に最初にその二つを区別していたのである。初めてこれを読んだときには、僕は本当に驚いた。それでは何故、何処から、日常生活の活写こそが俳優の、劇作家の、そして演出家の仕事の王道であって、どこに、役に成りきることが俳優の本分である。なぞという誤解を生むようなきっかけがあったのか。

当然のことながらスタニスラフスキーは勿論、そんなことはひと言だって言っていないのに、だ。

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コンスタンチン・スタニスラフスキー(Konstantin Stanislavski (Constantin Stanislavsky) 1863-1938
ロシア革命の前後を通して活動したロシア・ソ連の俳優であり演出家。本姓はアレクセーイェフ(Alexeyev)。