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パノプティコンもしくはパンオプティコン(Panopticon)邦訳は一望監視施設について

サルトルの戯曲『出口なし』が地獄に落ちた人間の極限状態を描いているとして(じっさいにサルトルがそこまで意図していたかどうかはともかく、)一読して僕がイメージした空間はしかし、“地獄”というよりかむしろ現実世界そのもので、しかもそれがディフォルメされたような言説空間であって、そしてもう一人の20世紀の偉大な思想家ミシェル・フーコーが、自著『監獄の誕生―監視と処罰』のなかで「主体化の装置」の一つとして転用、社会のシステムとして管理、統制された環境の比喩として用いたことで有名になった“パノプティコン(一望監視施設)”だった。


“パノプティコン(一望監視施設)”は、そもそもはイギリスの哲学者ジェレミ・ベンサムが設計した刑務所その他施設の構想で18世紀に考案された。円形に配置された収容者の個室が、中央にある多層式看守塔に面するよう設計されており、ブラインドなどによって、収容者たちにはお互いの姿や看守が見えなかった一方で、看守はその位置からすべての収容者を監視することが出来るというもの。


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ベンサムによるパノプティコンの構想図


 ここで重要なのは、「見られているかもしれない」という可能性を与えることで、獄房に収監された囚人が、いつ看守に監視されているか、いないのか分からないままにすべての方向から監視されてしまうということにある。見られている可能性があるが故に、囚人の側に自己監視の作用が生じて、それが規格化され、矯正されていく。フーコーは先に挙げた『監獄の誕生』の中で、ここに「権力」の本質があると考えた。


 フーコーが分析する西欧社会の“権力装置”は、諸個人の身体を操作対象とする政治的技術論、つまり「身体技術論」として構成されている。それは言説と非言説的実践とを一定の図式によって調整配置したものであり、身体のレベルにある現実―たとえば監獄とか、セックスなど―を経由して諸個人に直接作用するものである。また効果の面からいうと、この権力装置は把握した諸個人の身体をすべて「主体=身体」として規格化するように働く。
 諸個人をその多様性のままに捉え、その一人一人すべてを主体化する権力装置を図解するものとして、フーコーは次の二つの事例を分析している。

 ①監獄制度において囚人を収容する建築物である「一望監視施設」(パノプティコン:Panopticon)。
 ②キリスト教社会が発展させた「セクシュアリテ」(性的欲望、行動、現象などの総体:sexualité) の領域における「告白」の制度。

 これらの装置はいずれも近代社会の権力構造を端的に図解するものであり、次の二つの特徴を持っている。
 第一に、これらの装置は監獄や性現象(セクシュアリテ)の領域にとどまらず、社会の全域に一般化しうる作用モデルである。たとえば、パノプティコンは監獄だけでなく、学校、工場、軍隊、病院などに適用される。また、「告白」の形式は宗教だけでなく、医学、精神分析、裁判、教育などの諸制度に適用される。
 第二に、これらの装置における管理方式は、諸「個人」からなる近代的な「社会」空間を維持する基本的な技術論を構成するものである。その管理方式とは諸個人の多様性を配慮しながら、彼らをその全体性において捉えるものであり、個別化と全体化という二つの原理を同時に充たしている。

p175- 内田隆三著『ミシェル・フーコー』(講談社現代新書)


「主体」の問題と「権力」装置の構造の問題。


サルトルの生没年月日が1905年6月21日-1980年4月15日で、フーコーが1926年10月15日-1984年6月25日。構造主義の台頭によって、(実存主義は)「主体偏重の思想である」として批判の対象となったサルトルのその死に際し、5万人がその死を弔った群集のその中に、当時構造主義の旗手と目されていた(フーコー自身は、自分が構造主義者であると思っていたことはなく、むしろ構造主義を厳しく批判していたのだが、)フーコーもいた。


パノプティコンは、そもそも上述したようにイギリスの哲学者ジェレミ・ベンサムが構想・設計したものだったが、(ベンサムは、当時のイギリスの非人道的な刑務所事情に心を痛め、パノプティコンの建設に異様なほど力を入れて、父の遺産の一部で模型までつくり、英国議会に強く働きかけまでしていたらしい。)最初にパノプティコン型刑務所が建設されたのが実はアメリカだったというのが実に興味深い。


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パノプティコン型刑務所の例、旧プレシディオ・モデーロ(キューバ)内部の写真


『監獄の誕生―監視と処罰』などからなる一連の活動により「知」と「権力」の関係、「知」に“内在”する「権力」の働きを説明し、また未完に終わったフーコー最後の著作『性の歴史』研究により、古代を題材としながら本来あるべき人間像と社会像を探求し続けたフーコーは、1984年、サルトルが死去してからわずか4年後に、道半ばにしてエイズで死去した。57歳だった。


ちなみにパノプティコンとは、all「すべてを」(pan-)observe「みる」 (-opticon)という意味。...ここにも「眼差し」というサルトルを考える際にとても重要な述語が出現するとは、われながら思いも寄らなかった。


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ミシェル・フーコーMichel Foucault | 1926年-1984年
フランスの哲学者。『言葉と物』(1966)に当初「構造主義の考古学」の副題がついていたことから、当時流行していた構造主義の書として読まれ、構造主義の旗手とされた。フーコー自身は自分が構造主義者であると思っていたことはなく、むしろ構造主義を厳しく批判したため、のちにポスト構造主義者に分類されるようになる。代表作に、『狂気の歴史』『監獄の誕生』『性の歴史』など。

  • 2015.04.24 (金) 13:58
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  • Yasuhito YANO

"MODE"

"MODE"という言葉について考えている。より正確にいえばどこかで以前、"out of mode"という言葉を見聞きしたような気がしていて、ただこれはどうやら英語表現ではこれはないらしい。outmodeという動詞はあって曰く;

・verb (used with object), outmoded, outmoding.
 1. to cause (something) to go out of style or become obsolete.

・verb (used without object), outmoded, outmoding.
 2. to go out of style or become obsolete.

 Origin of outmode: French

とあったのでおそらくはフランス語表現が元になっているのだろう。いずれにしても"MODE"という言葉には一般的でニュートラルな意味合いでの、

a. 方法,様式,流儀(例:a mode of life 生活様式, 風俗)

という意味と、それよりもっと実際的な、

b.(機能上の)形態,様式,モードという意味(例:the receiving [transmitting] mode (通信機器の)受信[送信]モード)

という使い方、あと、

C.[the mode](服装・芸術などの)流行(の型), モード(【比較】fashionよりも気取った表現で、高級をほのめかす。)(例;It's all the mode. それは大流行だ。)

といった大きく三つの使い方があるようだ。

何がいいたいのかというとつまり、けっきょく“サルトルは時代遅れ”なのか? ということだ。

先に結論を書くのであれば、上に挙げたC.の意味ではきっと間違いなく、今や“サルトルは時代遅れ”なのだろう。

1940-1950年代ヨーロッパの知的なパラダイムであったJ-P.サルトルの“実存主義”は、レヴィ-ストロースと“構造主義”によって(いささか不当に)思想のメインストリームから退場させられた。―新しい方法は、先行する知的威信を砕くことによってその正当性を承認される。―しかし、その後に流行したいわゆる“ポストモダン思想”は、古典的な認識論を攻撃して、古典的な「真理」や「価値」の無根拠さにやっきになるばかりで、それは超越的な真理や従来の道徳的価値を否定することには成功したが、その代わりに、「ほんとう」や「真・善・美」という価値をどう新しく位置づければいいかについては、けっきょくのところほとんど何も語ることが出来なかったのではないだろうか。


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photo / Mode à Paris F/W 2015-16 | Yohji Yamamoto

  • 2015.04.21 (火) 07:16
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「ブラン-マントの通りでは(Dans la Rue des Blancs-Manteaux)」

「出口なし」の劇中でイネスが唄う鼻唄。ジュリエット・グレコ(Juliette Gréco)。

「ブラン-マントの通りでは(Dans la Rue des Blancs-Manteaux)」

Dans la rue des Blancs-Manteaux
Ils ont élevé des tréteaux
Et mis du son dans un seau
Et c'était un échafaud
Dans la rue des Blancs-Manteaux

Dans la rue des Blancs-Manteaux
Le bourreau s'est levé tôt
C'est qu'il avait du boulot
Faut qu'il coupe des généraux
Des évêques, des amiraux,
Dans la rue des Blancs-Manteaux

Dans la rue des Blancs-Manteaux
Sont v'nues des dames comme il faut
Avec de beaux affûtiaux
Mais la tête leur f'sait défaut
Elle avait roulé d'son haut
La tête avec le chapeau
Dans l'ruisseau des Blancs-Manteaux

ブランマントの通りでは、
四脚台を組みあげて、
桶に粉糠を詰めこんだ。
これぞすなわち首斬台、
ブランマントの通りでは。

ブランマントの通りでは、
首斬り爺さん早起きだ。
とてもさっても忙しい、
将軍、僧正、提督の、
首を斬るのだ、忙しい、
ブランマントの通りでは。

ブランマントの通りでは、
立派な奥方おめかしで、
しゃなりしゃなりと集まった。
ところがどっこい首がない。
首は帽子ともろともに、
ばっさり落ちてころがった、
ブランマントの溝のなか。

1949年、アメリカの「ライフ」誌にサン・ジェルマン・デ・プレのアイドルとしてグラビアに載ったジュリエット・グレコ。彼女はその年に歌手デビューするのですが、持ち歌がなかった。そんな彼女にサルトルが贈った曲が、この曲。

もともとサルトルが、戯曲『出口なし (Huis clos) 』の中の劇中歌として作詞・作曲。ただし自身の作曲に満足していなかったサルトルは、ジョゼフ・コズマの所に持って行き書き直して貰うよう、ジュリエット・グレコにアドヴァイスしたのだそうです。
 
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ジュリエット・グレコ Juliette Gréco | 1927年-

フランス・モンペリエ出身の歌手・俳優。現在も現役として活躍。多くの映画に出ているが1949年にはジャン・コクトーの「オルフェ」に出演。1970年代以降歌に専念し、自分の気に入った詩だけを歌ってきた。1961年と2011年6月に来日し日本でもコンサートを行っている。

JAZZ TOKYO|Photo Column 撮っておきの音楽家たち|#24. ジュリエット・グレコ
http://www.jazztokyo.com/column/hayashi/024.html

  • 2015.04.17 (金) 13:51
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『出口なし|Huis clos (1945) 』 の稽古をしています。

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shelf次回公演 J-P.サルトル『出口なし|Huis clos (1945) 』、本日の稽古場から稽古風景を一枚。なかなか懐深いところに手が届きそうです。久しぶりの完全新作。毎日なかなかにスリリングな稽古場です。ご期待下さい。


公演詳細を改めて。

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Still from video by TANJC

2015年5月4日(月・祝)19:00開演★ 5日(火・祝)14:00 / 19:00開演 @d-倉庫

構成・演出 / 矢野靖人
出演 / 三橋麻子、文秉泰、川渕優子、森祐介

ブレヒト、イヨネスコ、アラバール、寺山修司...現代の著名な劇作家の作品を一本取り上げ、その戯曲だけを連続上演する die pratze主催(共催/d-倉庫、助成/芸術文化振興基金)による「現代劇作家シリーズ」は、第5弾に参加します。

今回取り扱う戯曲は、20世紀を代表する哲学者サルトルの『出口なし』。とても手強いテキストです。ですが、この偉大な実存主義の哲学者に真正面からぶつかって、いつものshelf作品よりさらにソリッドな、切れ味の鋭い作品に仕上げたいと考えています。どうぞご期待下さい。

[料金]
一般前売 2,500円、当日 2,800円
学生前売 2,200円、当日 2,500円(要・学生証提示)
通し券一般 5,800円、通し券学生 5,000円
* 通し券はd-倉庫のみで販売

[チケット取扱]
shelf :
tel. 090-6139-9578
e-mail. info@theatre-shelf.org

RESERVA予約システムから予約する

・受付開始は開演の60分前です。
・本公演は、初期型 との二本立て公演です。
・上演時間は二作品で合計 2時間を予定しています。
★の回は終演後にポスト・パフォーマンス・トークがあります。

[衣装]竹内陽子 Yoko TAKEUCHI
[制作協力]天野三月 Mitsuki AMANO
[主催]die pratze
[共催]d-倉庫
[助成]芸術文化振興基金
[製作]shelf

[会場]d-倉庫
 〒116-0014 荒川区東日暮里6-19-7-2F
 03‐5811‐5399
 日暮里駅南口徒歩7分
(JR山手線・京浜東北線・常磐線、私鉄京成線・日暮里-舎人ライナー)

  • 2015.04.17 (金) 13:24
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「出口なし」― 現代劇作家シリーズ5:J-P.サルトル「出口なし」フェスティバル 参加作品

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Still from video by TANJC

2015年5月4日(月・祝)19:00開演★ 5日(火・祝)14:00 / 19:00開演 @d-倉庫

構成・演出 / 矢野靖人
出演 / 三橋麻子、文秉泰、川渕優子、森祐介

ブレヒト、イヨネスコ、アラバール、寺山修司...現代の著名な劇作家の作品を一本取り上げ、その戯曲だけを連続上演する die pratze主催(共催/d-倉庫、助成/芸術文化振興基金)による「現代劇作家シリーズ」は、第5弾に参加します。

今回取り扱う戯曲は、20世紀を代表する哲学者サルトルの『出口なし』。とても手強いテキストです。ですが、この偉大な実存主義の哲学者に真正面からぶつかって、いつものshelf作品よりさらにソリッドな、切れ味の鋭い作品に仕上げたいと考えています。どうぞご期待下さい。

[料金]
一般前売 2,500円、当日 2,800円
学生前売 2,200円、当日 2,500円(要・学生証提示)
通し券一般 5,800円、通し券学生 5,000円
*通し券はd-倉庫のみで販売

[チケット取扱]
shelf :
tel. 090-6139-9578
e-mail. info@theatre-shelf.org

RESERVA予約システムから予約する

・受付開始は開演の60分前です。
・本公演は、初期型 との二本立て公演です。
・上演時間は二作品で合計 2時間を予定しています。
★の回は終演後にポスト・パフォーマンス・トークがあります。

[会場]
d-倉庫
〒116-0014 荒川区東日暮里6-19-7-2F
03‐5811‐5399
日暮里駅南口徒歩7分(JR山手線・京浜東北線・常磐線、私鉄京成線・日暮里-舎人ライナー)
 

■演出ノート

他者からの視線、そしてその視線によって規定される個の在りようがキーになるのだと思う。「出口なし」という戯曲(テキスト)を取り扱うということは、どうしたって劇作家としてのサルトルのみならず、哲学者サルトルの辿った思想、及び政治活動(アンガージュマン)の道筋を、歴史的な経緯や背景をつきあわせて検証しなければならないだろう。現象学との出会い。実存主義の起こり。そしてその思想的な限界。今・ここに存在している“私”を思索の出発点とする実存主義は、個人というものの従来的な意味・価値が崩落を起こしているこの21世紀の現代において、いまだアクチュアルな思考のためのツール足り得るのか。

とまれ、“地獄は他人だ(Hell is other people)”というあまりにも有名な「出口なし」の台詞に振り回されないよう、周到な準備をして制作に向き合いたいと思う。

矢野靖人


  • 2015.03.09 (月) 12:31
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  • Yasuhito YANO

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