記事一覧

接骨院に行ったらちょっと大げさなことになってしまった。

基礎稽古、週に三日ですが、続けています。とても意義深い時間を過ごしています。

昨日は、「君のからだには“軸”がないね。」と、僕の観察結果を伝えたら、その子も実は、じっさいそのことを自分の当面の課題として捉えていたようで、なのでいろいろとからだの“軸”について、考察したり実験してみたりしたのでした。

簡単に、からだの“軸”とか、“丹田”とかって言葉にしてもそうなんだけど、何というか、“言葉”にしちゃうことで“身体感覚”ではなくアタマで理解して、分かったふうになってしまうことは、あまりよろしくない。というか、少なくとも俳優という職能に関して言えばそれは、徹底して忌避せねばならないことだと思う。

そして“丹田”も、からだの“軸”もそうなんだけど、いろいろ煎じ詰めて考えるときっとそれは自分のからだ“だけ”を見つめていてもよく分からないものだと思う。や、当たり前っちゃ当たり前なんだけど、そういうことに昨日、ふと気付いたのだった。

つまり、一言でいうと、今、自分のからだが向き合っている何がしか、自分の外にある“対象”こそが問題なのだ。つまり何と向き合っているのかという意識が問題で、否、問題というか、その意識がきっと必要なのだ。と思う。

何かしら外部と向かい合うことでそこに初めて“自己”が生ずる。のではないか? と。

そしてこれは別段、からだに関して言えるだけのことじゃなくて、表現行為すべてに言えることなのだと思う。(だから自分にしか興味のない人は、他人に興味がない人は少なくとも俳優には向いていない。)

shelfの基礎稽古では、第一に俳優に必要不可欠な技術として、先ず、単純でシンプルな身体操作の技術、つまり“呼吸”と“重心”のコントロール法を身につけることを目標としている。

だけど、それは(それは先述したように)やはり向かい合う対象があってのことなので、対象は相手役でも観客でも、自分自身の内なる他者であっても、神仏でも、空間そのものであっても、あるいはテキスト(言葉)であっても良い。先ずそれが在って、それと向かい合う際に初めて、向かい合うために必要なからだが想定される。

なんてこと書いてて、でもこれ「鶏が先か卵が先か?」という永遠の命題でもあるのかもなあ、なんて思ったり。

ところで実は、昨日、稽古でちょっと頑張っちゃって、肋骨を痛めてしまった。で、別用で通っている接骨院に行ったらちょっと大げさなことになってしまったのだった...


ファイル 1157-1.jpg


骨折はたぶん、してない。と思う。下の図の、上から数えて六本目と七本目をつないでいる辺りの、中央付近の軟骨がちょっと傷ついている様子。圧迫しても痛くないけど、圧迫した後に戻そうとすると激痛が走ります。


ファイル 1157-2.png


何ごとも無理したら、いかんね。

  • 2014.05.21 (水) 13:43
  • Permalink
  • body work
  • Yasuhito YANO

トラックバック

この記事のトラックバックURL
https://theatre-shelf.org/diarypro/diary-tb.cgi/1157

トラックバック一覧