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劇評を頂きました。

shelfのワークショップなどにも参加してくれている多摩美術大学3年次の女子学生Mさん(23)から劇評を頂きました。

大学の授業で「劇評を書く」という課題があって、shelfの「構成・イプセン」を取り上げてくれたそうです。瑞々しい感性に支えられた文章がとても素敵です。よろしければご一読ください。


shelf「構成・イプセン―Composition / Ibsen」

 90分間の上演中、全く息をつけなかった。
人物はほとんど、目を合わせての交流をしない。それぞれの場所に立って、それぞれの世界を見て言葉を発している。しかし、彼らのいる世界は、共通した、同じものだ。「幽霊」という戯曲の中、というより、「イプセンの戯曲」の中。客入れの時、すでに舞台上に佇む俳優の姿から、もうそれが伝わる。
アトリエ センティオは、非常に小さい、ホワイトボックスの劇場だ。舞台が一番低く、階段状の客席は畳張りで座布団がおいてある。そばに東武東上線が走っているため、不意に電車の通過音がやって来て、その度に劇場ごと小さく揺れる。ここでshelfの作品を観るのは二度目。このむき出しの、観劇には不利な要素を抱えた劇場に、イプセンの世界をどのように出現させるのか、神妙な気持ちで、座席についた。
 
舞台は、名もない女がト書きを読み上げるところから始まる。それまで、ただじっとしていたり、ライターのふたをかちかち鳴らしたり、時々姿勢を変えたりしていた人たちの中でただ一人、自由に動き回っていた女だ。彼女は登場人物一人ひとりの紹介を始める。名前を呼ばれると、その人物は明確な動きを示す。それで、凍結されていた物語が動き始めたことを、観客は理解する。それぞれの人物の動きは、まるで能を思わせるような、重々しく凝縮された、美しい動き。それでいてダンス的なのではなく、顔に表情が浮かぶように、身体にも表情がついた、という感覚。目は虚空を見つめ、相手を見るのではない。言葉は発せられる。
 
まずは、アルヴィング夫人と牧師の話。アルヴィング夫人が現在に至るまでの話をしているようだ。でも、情報量が多すぎて混乱してくる。二人はボクシングのように言葉を打ち合っているが、だんだんと牧師の打ち込みが激しくなる。気分が高揚し、体温が上がり、言葉は流暢になり、声が滑らかになっていくのが感じ取れる。一方アルヴィング夫人は、追い詰められ、顔を背け、追い立てられた獣のように、ぴりぴりとした緊張を顕にする。

牧師は、倫理や道徳の話をしている。妻の責任。母親の責任。先ほどの名のない女が、時折牧師の言葉を代弁する。「あなたはその責任を放棄した」。しかし、やがてアルヴィング夫人が、落ち着き払って目を見据える。実態などないのに、しばられる必要なんてないのに、どうしても心から追い払えないもの。幽霊の正体。

アルヴィング夫人が、牧師の思いも寄らない真実を語り、牧師は青ざめる。逆にアルヴィング夫人は饒舌になる。堰が切れたように、言葉は溢れ出てくる。夫の不実さという病について。その夫の真実を隠し、美しく飾り立て、世間にも息子にも嘘をつき続けてきた自分の半生について。
 
牧師が逃げるようにして去ったあと、アルヴィング夫人の息子、オスヴァルが現れる。
彼はどこかおかしい。肢体を不自然に縮め、目を見開き、身体は小刻みに震えているようだ。オスヴァルは自分の病状を語る。病気を原因に、絵描きとして活動していたパリから、実家のあるノルウェーへと帰ってきたらしい。「もう何も描けない」という息子に、「休みも必要」と慰める母。しかし身体は、慰めているというよりも、恐れているという表情。腫れ物に触るように、「愛している」と語る母。だが息子は、「母さんでは助けにならない」と言う。「僕を助けられるのは、レギーネだ」。
 
女中のレギーネが登場する。若く、艶やかで、美しいレギーネ。オスヴァルは、彼女を妻に迎えたいという。打ちのめされる母アルヴィング夫人。そして、母は息子に真実を語る決心をする。レギーネが、他ならぬオスヴァルの、異母兄弟であることを。

真実を聞いたレギーネは、身体を強張らせ、過ちを犯した母をなじり、「どうせ私もそんな女」と、家を出て行く。レギーネを失ったオスヴァルは落胆し、母の目を見て、最後の真実を語る。絶叫するアルヴィング夫人。徹底的に救いのない悲しみが、この家に訪れる。

親の犯した過ちが、子供に繰り返される不幸。それが、この戯曲の言わんとすることなのかもしれない。しかし私が観たものは、もっと生々しい、欲望と苦悩を抱えた人間だ。今そこにいる人物ではなく、かつてそこにいた人物。確かにそこにいた人々の、亡霊。本当に、なんというものを観たのだろうか。はっきり言って、よくわからない部分もたくさんあった。特に、最後の男と女のやりとり。それは希望のようにも見えたし、それとは全然関係ないもののようにも見えた。ただ、動かなくなったオスヴァル、泣き崩れたアルヴィング夫人と、目を見つめあう男と女、その情景だけが、いつまでも消えずに残っている。

衣裳は、カンバスに絵の具で色を染み付けたような布を使った、ごわごわした重たげなもの。特に、アルヴィング夫人とレギーネのカクテルドレスは裾が長く、足に巻きつくシルエットは美しいが、扱いが大変そうだった。また照明はシンプルで、効果的にシルエットを作り出すことが、空間的にも次元的にも奥行きを生み出していた。音響は、自然音と間違えそうな、水の流れる音や風が吹くような音。そのせいか、電車が通ってもまったく気にならなかった。

これで90分も経ったなんて。客電がつくと、客席はぞわーっとした空気に包まれていた。私たちみんな、幽霊を見てしまった。表に出ると、傾きかけた日光がまだ道を照らしている。路地を曲がって、見やった先にさっと影が動いて、私は立ち止まる。行きにも見かけた猫だった。でも私は目を閉じて、ゆっくり深呼吸をする。劇場を出たからといって、何も考えずに安心するなど、まったくできないことなのだ。

  • 2011.11.17 (木) 06:39
  • Permalink
  • archive::「構成・イプセン」 2011
  • Yasuhito YANO

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