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太陽と呼吸

ここんところずっと、毎朝風呂に入った後に外で日差しを浴びながらテンカウント(shelfの稽古場で毎回行っているベーシック・トレーニングの一つ。背中に大きく呼吸を入れることを意識しながら、胸郭を開き、横隔膜を引き下げて息を吸い、丹田に重心を落としたままゆっくりと長く、同じ圧で1から10まで数える。)をして呼吸を整えているのですが、日に日に調子がよくなってきている気がします。

まあ何となくですが。

晴れていれば日差しが暖かでとても気持ち好いし(太陽って偉大!)少し肌寒くてもかえって心身が引き締まるので、自律神経も整うのではないかな、と。

あと今・ここに在ることだけに集中できるので、ちょっとした坐禅の時間のようになる。続けたいと思っています。* 写真はイメージ。

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  • 2015.04.12 (日) 16:50
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  • Yasuhito YANO

たとえるなら感覚は「ドーナツの輪」の部分で、

元・神戸製鋼社会人ラグビーチームのキャプテンで、1999年にはラグビーW杯日本代表に選出された平尾選手。現役時代からファンでした。同い歳だったとはぜんぜん意識していませんでした。

それはともかく、ここのところ稽古場で、基礎訓練とか俳優教育に関してずっと考えていたことが、言葉は違えど、ここにはっきりと書かれていてとても面白かったです。

まくパフォーマンスを発揮できなくて悩み始めたとき、僕らは「どこかにそれを解決する方法があるはずだ」「正解があるはずだ」と考えてしまいがちです。そして新たな情報を探し出しては取り入れるものの、しっくりこない。そこからまた「なぜだろう」と悩んでしまいます。

なぜそういうことが起きるかと言えば、感覚を置き去りにしているからです。ノウハウや知識が悪いわけではありません。ただ、新しい筋力トレーニングの方法だとか、いろんな手法を知って取り入れようとするときに、「これさえすれば、うまくいくはず だ」となぜか思ってしまう。

だから、それがうまくいかなければ、また別のノウハウなり正解を求めるといったように同じことを繰り返すのです。

見えない自分の体を内側から捉える。その感覚が重要であり、おもしろいところなのですが、いまは「科学的根拠に基づいた情報」が過剰に出回っていて、分かったフリができてしまう。だからいくら懸命にやってもうまくいかない。「科学的には正しいのに、なぜできないのだろう。それはきっと自分が間違えているからだ」と、ともすれば自分を責めることにもなる。

いまだから言えることなのですが、感覚がどういったものかを伝えるためには言葉が必要なのです。たとえるなら感覚は「ドーナツの輪」の部分で、言葉はドーナツの本体です。輪の部分は空気ですよね。実際には何もなく実体がない。ドーナツがそこにあることで生まれる空間なわけです。そのものずばりを名指すことはできない。
ただ、言葉にしようともがき続ければ(つまりドーナツができれば)、輪が生まれる。行間や身振り手振りをひっくるめて感覚が浮かび上がるのではないかと思うんです。

だからこそ知識や情報に頼るのではなく、自分の感覚を語る勇気を持って欲しいですね。「はっきり言えないから」と諦めてしまえば、明快な答えを求めてどこかに正解があるのではないかと勘違いし、自分の感覚を疑ってしまいますから。

平尾剛さんとか、為末大さんとか、バリバリのアスリートでありながら、同時にすごく知的で、深く鋭い思考の持ち主が最近少しずつ増えている気がします。彼ら/彼女らの言葉には、スポーツやパフォーミングアーツに関わる人たちだけでなくもっともっと多くの人がもっともっと耳を傾けるべきと思います。

#351 感覚と言葉をつなぐ試みがこの先の道を照らす

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  • 2015.01.26 (月) 16:23
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Michel Courtemanche - Russian Weightlifter

ついつい、youtubeで懐かしい映像を見漁ってしまった...で、けっきょくのところ僕のパフォーミングアーツへの憧憬の原点はこの人だったのだった。ミシェル・クルトマンシュ(Michel Courtemanche)、カナダ人大道芸人。確か、中高生の頃にJust for Lough!という番組で見てもう、ぞっこん虜になったのだったと記憶している。彼ほどにナンセンスでパーフェクトなコメディアンを僕は他に、知らない。

山本光洋さんとJIDAIさんとクルトマンシュが見られればそれだけで生きて行けると思う、僕は。

  • 2014.10.20 (月) 00:58
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  • Yasuhito YANO

解剖学を学びたい。

解剖学を学びたい。自分が今、怪我人?だからか、(ここ半年以上接骨院にほぼ毎日通ってる、)以前にも増して身体の構造(骨格と筋組織の構造)と、その振る舞いに関心がある。

簡単にいうと関節の動きとか、歩くときの身体の運動の仕組みとか。

ぜんぜん関係ないかもしれないけど今マイブームなのが、背中の表面積を如何にして広げたり縮めたりするか。それは如何にして可能か? ということ。

鼠蹊部(そけいぶ・鼡径部。左右の大腿部の付け根にある溝の内側にある下腹部の三角形状の部分。解剖学的には恥骨の左右の外側・股関節の前方部にあたる。股間を構成する主要部分の1つ。)を起点に前半身を二つに畳むようにして前屈をして、肩関節と肩甲骨周りを出来るだけ緩める。肩甲骨を滑らすように落とす。動かす。脇の辺りの滞りを解消して、肩の中にスペースを作る。

昔はメソッドとか、念入りなストレッチとか一生懸命やってたけど、今は、ゆるく、ゆっくりと前屈したり、体側を伸ばすだけでも十分に身体が緩むし、コアがぎゅぎゅっとなる感覚がある。

あと、ホントは毎日湯船に浸かるのがいいんだけど、急いでいるときは着衣したままでもいいから、手首の内側、肘、膝に熱めのシャワーを浴びせる。そうすると不思議と緊張していた背中がふっとほぐれる。いろいろと滞っていたものが解消されて血が巡る。
 
 
 
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立ち方。強い立ち方。自然体を身につけたい。

骨盤を前後左右に振って可動域を確かめたうえでそれを真ん中に、ちょっと“入れる”感じで腰を整えて、骨盤をセットして、内転筋を引き締めて両足全体で(地面に支えられるのではなく、)地面の上に“立つべくして”立つ。しっかりと足裏全体を使ってで“地面をつかむ。”胸郭はその上に自然にまっすぐに乗せて、鎖骨が前に落ちたり後ろに落ちたりしないよう真っ直ぐに横に、首の根っこの辺りを基点にささげ持つ。ぶら下げる。身体の軸をきちんと意識して、(それは日常生活で感じているよりずっと背中側にある。)鳩尾の辺りをサランラップとかで巻いて締める感じで、腹横筋(で、あってるかな?)を締め、且つ胸を下げる。肩も落とす。

記述してみるとそんな感じなのだけど、この、強い下半身でからだと呼吸を支えて上体をゆるくキープして、いつでも発語(行為)をしたり、次のアクションに入れるような、そんな状態を作るのがとても難しい、らしい。若い子に対しては、どれだけ言葉を尽くしてももなかなか出来るようになって貰えない。

やっぱり稽古場に骨格模型が欲しいなあ。それもちゃんと関節の動くヤツ。

話はぜんぜん変わるけど、好きになれない顔、生理的に嫌悪感を感じる顔というのは、これはもうどうしようもなくやっぱり、ある。のだなあと思った。見るのも嫌だ、だから関わらない。そうしてしまってそれで自分の世界を狭めたくはないけど、まあ、事実実感として。

卑屈な顔、被害者面してるヤツ。そして媚びた表情。こういうのがいちばん嫌いだ。造形の問題でなくこれは間違いなく性格の悪さだと思う。表情ってのは、かたちじゃなくて動きのなかに現れる。ホントいただけない。観察対象としては遠くから見る分には頗る興味深くはあるのだけど。

そうそう。報告。気に入って買ったのにいつの間にかはけなくなってたかわいいパンツが二枚、試しにはいてみたらはけるようになってたよ。

  • 2014.05.24 (土) 05:57
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| みぬま (05.25 10:47) 編集・削除

適切かどうか、少々悩むところはありますが・・・

山岸涼子のバレエ漫画、特に最近のものは、作者が50台になってからバレエを再開したこともあり、本人が実際に体験しつつ、指導者が学ぶような事柄を、絵入り(当然ですが)で、わかりやすく描いていることが、結構あります。

解剖学だけではなく、脳生理学にも踏み込んで、メンタルな強さ、しなやかさなどを作品の主題として追及しているものも多いです。

機会があったら、読んでみてください。
私も結構持っているので、お貸しすることもできます。

| 矢野靖人 mail url (05.25 11:38) 編集・削除

みぬまさん、コメント有難うございます。山岸涼子、好きです。『日出処の天子』にはもう、やられました。呼応気の本、読んでいないので探してみますね!

接骨院に行ったらちょっと大げさなことになってしまった。

基礎稽古、週に三日ですが、続けています。とても意義深い時間を過ごしています。

昨日は、「君のからだには“軸”がないね。」と、僕の観察結果を伝えたら、その子も実は、じっさいそのことを自分の当面の課題として捉えていたようで、なのでいろいろとからだの“軸”について、考察したり実験してみたりしたのでした。

簡単に、からだの“軸”とか、“丹田”とかって言葉にしてもそうなんだけど、何というか、“言葉”にしちゃうことで“身体感覚”ではなくアタマで理解して、分かったふうになってしまうことは、あまりよろしくない。というか、少なくとも俳優という職能に関して言えばそれは、徹底して忌避せねばならないことだと思う。

そして“丹田”も、からだの“軸”もそうなんだけど、いろいろ煎じ詰めて考えるときっとそれは自分のからだ“だけ”を見つめていてもよく分からないものだと思う。や、当たり前っちゃ当たり前なんだけど、そういうことに昨日、ふと気付いたのだった。

つまり、一言でいうと、今、自分のからだが向き合っている何がしか、自分の外にある“対象”こそが問題なのだ。つまり何と向き合っているのかという意識が問題で、否、問題というか、その意識がきっと必要なのだ。と思う。

何かしら外部と向かい合うことでそこに初めて“自己”が生ずる。のではないか? と。

そしてこれは別段、からだに関して言えるだけのことじゃなくて、表現行為すべてに言えることなのだと思う。(だから自分にしか興味のない人は、他人に興味がない人は少なくとも俳優には向いていない。)

shelfの基礎稽古では、第一に俳優に必要不可欠な技術として、先ず、単純でシンプルな身体操作の技術、つまり“呼吸”と“重心”のコントロール法を身につけることを目標としている。

だけど、それは(それは先述したように)やはり向かい合う対象があってのことなので、対象は相手役でも観客でも、自分自身の内なる他者であっても、神仏でも、空間そのものであっても、あるいはテキスト(言葉)であっても良い。先ずそれが在って、それと向かい合う際に初めて、向かい合うために必要なからだが想定される。

なんてこと書いてて、でもこれ「鶏が先か卵が先か?」という永遠の命題でもあるのかもなあ、なんて思ったり。

ところで実は、昨日、稽古でちょっと頑張っちゃって、肋骨を痛めてしまった。で、別用で通っている接骨院に行ったらちょっと大げさなことになってしまったのだった...


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骨折はたぶん、してない。と思う。下の図の、上から数えて六本目と七本目をつないでいる辺りの、中央付近の軟骨がちょっと傷ついている様子。圧迫しても痛くないけど、圧迫した後に戻そうとすると激痛が走ります。


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何ごとも無理したら、いかんね。

  • 2014.05.21 (水) 13:43
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