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劇評が掲載されました。日経新聞 2008年10月30日

ちょっと間が空いてしまいましたがもう一件、劇評が掲載されました。日経新聞、執筆は馬場駿吉先生、ボストン美術館の館長さんです。

現在、矢野は仕事の関係で静岡にいて、まだ掲載紙が手許にないのですが、紙面の写真を写真家の構久夫さんがデータで送ってくださいました。有難うございます!

今回の公演では、思いもよらず非常に好意的な劇評ばかり、三件も戴けて。有り難いことです。とても、励みになります。

これからも頑張ります。もっともっとたくさんの方にご覧頂けるよう、来年は東京、名古屋だけでなくほかの土地にも、公演に行こうと考えています。現在鋭意選定中。近々に確定させます。決まり次第ご案内しますので、お楽しみに~。

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演劇「Little Eyolf ―ちいさなエイヨルフ―」

作家夫妻の心理的波乱描く

 新進気鋭の演出家、矢野靖人(名古屋出身)の主宰する演劇shelf(東京)は今年一月、ギリシア悲劇「トロイアの女」の再構成版「悲劇、断章」を名古屋(七ツ寺共同スタジオ三十五周年企画)で上演。古典を現代に重ね合わせる手腕に注目させられたが、今回のイプセン原作「Little Eyolf -ちいさなエイヨルフ-」(10月9日-13日、同スタジオ)でも矢野は見事に一世紀以上の時間差を消した。
 不気味なネズミ女に誘われて、足の不自由な幼い息子エイヨルフが海に命を奪われる―そんな衝撃的な出来事に見舞われる作家夫婦とその周辺の心理的波乱を描く。
 妻は夫の執筆への没頭や子育てよりも夫婦間の深い愛情に固執する。一方、夫は執筆の行き詰まりを機に、息子の将来への心遣いと共に異母妹への兄弟愛とも異性愛とも分かち難い感情に心を傾けてゆく。そこへ発生するのが息子の溺死事故。妹は母の古い手紙から兄の作家とは血のつながりのないことを知って、結婚の申し込みを受けていた技師と去ってゆく。作家夫妻はエイヨルフへの慰霊の念をこめて地域の不幸な子供たちのための奉仕活動に身を捧げたいと決意する。
 あらすじはこのように短くまとめることが出来るのだが、欲望、愛情、嫉妬、良心、欺瞞などを微妙に絡めた台詞が状況に反転、変転を次々呼び起こす演出は様々な突起をもつ劇世界を造り上げることになった。結末も夫婦関係の再生と見せながら、どんな事態にも結局は折り合いをつける本性――それが人間の欠点でも美点でもあることを示していて興味深い。妻リータ役の川渕優子は氷と炎両面を秘めた演技により八月、利賀公演で最優秀演劇人賞を受賞している。
(演劇評論家 馬場 駿吉)

  • 2008.10.30 (木) 23:03
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朝日新聞に掲載された紹介記事 (2008年9月29日)

ちょっと前後してしまいましたが、公演前に朝日新聞に掲載された紹介記事を掲載しておきします。カンパニーの活動記録までに。

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Little Eyolf ―ちいさなエイヨルフ―

9~13日、大須・七ツ寺共同スタジオ

 名古屋出身の気鋭演出家、矢野靖人が主宰する劇団shelfが、利賀演劇人コンクール最優秀演劇人賞受賞の「Little Eyolf ―ちいさなエイヨルフ―」(矢野構成・演出)=写真=を9~13日、大須の七ツ寺共同スタジオで上演する。
 足に障害を持つ息子に過剰な愛情を注ぐ父、夫の愛を得たいがため息子にしっとする妻、不気味なネズミばあさんの訪問、息子の水死――、男女の性愛と愛憎に切り込んだイプセン晩年の代表作を、「人生のうそ」をテーマに再構成した。
 「生きる理由を見つけた夫婦の再生の物語。観客の想像力を刺激する簡潔な舞台上で繰り広げられる骨太なドラマと俳優の造形美を見てほしい」と矢野。主ツンは川渕優子、大川みな子、今枝千恵子、青木佳文ら。開演は9、10日が午後7時半、11、12日が午後2時と7時半、13日が午後2時。3500円。

  • 2008.10.25 (土) 09:44
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劇評が掲載されました。名古屋タイムズ2008年10月20日

同じく、新聞評です。こちらは名古屋タイムズ、執筆は(竹)となっていますので、竹本真哉さんだと思います。あ、名前書いちゃって良かったかな? 名古屋ではもう、これからも定期的に公演を打たなければですね。

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ナゴヤ芸能見てある記

シェルフ「Little Eyolf ~ちいさなエイヨルフ~」古典を現代に打ち込む演出の力

 東京に拠点を置く劇団シェルフが9-13日、七ツ寺共同スタジオで「利賀演劇人コンクール2008」最優秀演劇人を受賞した代表作を上演した=写真=。
 原作は19世紀末のノルウェーの劇作家イプセンの「小さなエイヨルフ」。息子が障害を負ったことに深い悲しみと罪悪感を抱えた夫婦が、悔恨と責任、愛憎の中で言葉をぶつけ合っていく。
 演出家矢野靖人は名古屋市出身。昨年から公演回数も増え、確実に名古屋の演劇ファンに浸透している印象。
 派手さを廃したセットと衣装。役者の動きや表情を抑えながら、人間の内部に押さえ込まれた感情の熱が外ににじみ出してくるような矢野演出。言葉を頼りに舞台をとらえようとすると、観客は古典の長く冗長になりかねないせりふを、自ら積極的に取り込んでいくことになる。古典のせりふや設定をあまりいじらずに、現代にライブとして打ち込んでくる矢野のアプローチには、感心させられてきた。
 今作のシンプルにまとめられた舞台もシェルフのエッセンスを凝縮した魅力的なものだった。初日や楽日ではない回に観劇したが、緊張感は変わらなかった。舞台と客席の空気を濃密に一体化させる七ツ寺という劇場の魔力も、シェルフ作品と相性がいい。今後も名古屋を定期的に訪れてほしい劇団だ。(竹)

  • 2008.10.23 (木) 00:56
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劇評が掲載されました。中日新聞 2008年10月18日夕刊

中日新聞に劇表が掲載されましたのでご紹介します。10月18日夕刊です。執筆は安住さん。いつもいつも、有り難いことです。

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安住恭子の舞台プリズム

戯曲の本質に迫る

 古典や近代の戯曲を新たに読み直す作業を続けている若手演出家の矢野靖人が、再びイプセンに挑んだ。劇団shelfで上演した「Little Eyolf -ちいさなエイヨルフ」。
 本来の半分余りに構成しての上演だったが、その劇的世界を余すところなく伝えただけでなく、イプセンが近代を超えることを示してみごとだった。
 幼い息子を海で死なせてしまった夫婦と、夫の妹、彼女に恋する男らの物語。子供よりも何よりも夫への強すぎる愛をむき出しにする妻と、妹のひそやかな愛、その二人の間で揺れる夫の姿が描かれる。まず矢野は、この三人の関係に焦点を当てて構成し、心理をより強く凝縮した。
 さらに今回目を引いたのは、「ちいさなエイヨルフ」は実は、夫そのものだという解釈だ。その呼称はせりふでは、息子や妹に向けられる。けれども終始松葉づえを持って座り込み、愛を迫る妻や妹に対して観念的な博愛を語る夫から浮かび上がるのは、彼らの愛に支えられ一人で歩くことのできない男の姿だ。しかも彼はそのことに気付かない。彼らを愛し支えていると思い込んでいる。その隠された弱さ・・・。
 イプセンの戯曲に秘められたこの本質を、矢野は細心にせりふの奥を立ち上げる演出であぶりだした。その演出を身体化し、生々しく妻を演じた川渕優子が素晴らしい。
 (11日、名古屋・七ツ寺共同スタジオ)

  • 2008.10.23 (木) 00:52
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終わりました。

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ちいさなエイヨルフ、無事に千秋楽を終えることが出来ました!

終わってみればあっというまで。

この儚さが演劇の最も大きな魅力の一つかも知れません。

写真はバラシの終わった七ツ寺共同スタジオ。

ご来場頂いた皆さまには本当に、有難うございました。

  • 2008.10.14 (火) 00:54
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| 猫 (10.15 20:27) 編集・削除

素人の乾燥です。

・セリフの間がないのに、違和感を感じました。「間抜け」とまでは申しませんが、あまりにもスタスタ、セリフが続くので、これは日本語のような顔をした外国語だと感じました。
言葉が相手に届き、理解されるまでの間が欲しいです。

・どうして裸足?西洋では裸足=ハダカ。裸足で演じることに、なにか特別な意味があるのでしょうか?

| ysht.org url (10.15 21:16) 編集・削除

> 猫 さんへ

コメント有難うございます。ご指摘の件ですが、そうですね。本作のセリフはおっしゃる通り、いわゆる日本語の日常会話ではありません。“翻訳語”という特殊な日本語です。翻訳される以前の原語で読み・発話されるのであればともかく、私は、この状態=翻訳された日本語では、これは、日常言語のような振りをしてリアリズム的に上演することは不可能なものと考えています。

そこに如何に、新しい発語の様式を醸成するか。それがここ最近の私たちの試みの、主要なテーマのひとつです。

ですから、日本語のような顔をした外国語、というご指摘は肯定的であるにせよ否定的であるにせよ、核心に触れていると思います。非常に興味深く拝読しました。ご指摘、有難うございます。

六名の俳優のうち二名だけが素足であることについてですが、

これにももちろん演出的な意図があります。ただそれは、こう受け取ってほしい、という一つの正解があるようなものではありませんので、説明は出来ません。

ただ、ひとつだけ申し上げると、ここは西洋ではなくお客様も西洋人ではないので、私としては素足=裸、という意味はまったく持たせていませんでした。

といって、そのように解釈されるお客様(そのような文脈で物事を解釈されるお客様)がいらっしゃっても、それはお客様個々の受け取り方、感性、楽しみ方の自由ですので、私はぜんぜんかまいませんが。

| 猫 (10.16 21:23) 編集・削除

勘三郎のニューヨーク公演をテレビで観て、歌舞伎座と同じ演目なのになにかズレている。これは歌舞伎ではない、と途中でスイッチを切ってしまたことがありました。

後から、歌舞伎に詳しい人が、あれは間が速いから気色悪いのだよ、と教えてくれました。
ニューヨークはテンポが速い街だから、それに合わせて勘三郎が間を速くしたんだが、ダメだねえ、違うものにあがっちまったね、ということでした。

東京と名古屋では言葉のテンポが違います。歯切れのよい東京の言葉、もったりした名古屋の言葉、土地によって言葉の速度が違うので、東京の演劇は名古屋圏の人にはセリフが速過ぎると感じるのかもしれません。

というより、自分の理解速度が落ちてきただけなのかも(笑)

| ysht.org url (10.18 16:30) 編集・削除

> 猫さん

なるほど、その話はとても興味深いですね。ニューヨーク公演の際にテンポを速くした歌舞伎、自分も見てみたかったです。現場に居合わせたニューヨーカーたちのリアクションも気になります。

ニューヨーカーに見せるために間を早くしたのであれば、もしそれが本当にそうなのだったとしたらそれがそれ以外の、その場に居合わせなかった人たちにとっては違和感を生ずるものになってしまう可能性は確かにあるでしょうし、ある程度やむを得ないことなのかな、とも思います。

それ以前に、そもそも舞台芸術を同じ空間で味わうことと、記録された映像で見るのとはやはりまったく違う体験ですので、その違いも差し引いて考えるとなるとなかなか一筋縄ではいかない問題だと思いますが。

東京と名古屋の言葉の(テンポの)違いについてですが、東京が歯切れがよく名古屋が持ったりしているかというと、むしろ私は逆の印象を持っています。名古屋のほうがずっと、関西圏のイントネーションに近いためかメリハリがあります。東京、といっても下町と、それ以外とではまた全然違いますが、

一方で高校時代までを名古屋市内で過ごし、大学時代を北海道は札幌で過ごした私のようなものにとって、地域の言語と東京のそれとはもっと相対化されていて、いわゆる東京の言葉、というのは実はもう存在しないのではないか? という思いも、矛盾する考えですがとても強いです。

いずれにしても、これはとても難しい問題ですね。

| ysht.org url (10.18 16:34) 編集・削除

ああ。書いていて今さら気がついたのですが、確かに私はここ十年位を東京で生活していますが、生まれは名古屋ですし、俳優たちもみな富山出身、宮崎出身、千葉出身とあと名古屋出身と、静岡と、生粋の東京人は一人もいないのでした。

唯一音響スタッフだけが、恵比寿に実家のある東京人でしたが。

そう考えてみると東京の言葉って思われているもの(たとえば、猫さんがそう思われたもの)の正体は、いったい何なんでしょうね。

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