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2011shelf volume 12 "Composition/Ibsen (from "Ghost")" digest movie

"Composition/Ibsen (from "Ghost")"
written by Henrik Johan Ibsen and directed by Yasuhito YANO
@ Atelier GEKKEN (Kyoto)

  • 2013.05.01 (水) 08:00
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  • Yasuhito YANO

劇評が掲載されました。中日新聞 2011年11月19日(土)

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安住恭子の舞台プリズム shelf「構成・イプセン」

人を縛る観念 端的に描く

 イプセン作品に取り組んでいるshelfが、「構成・イプセン」(矢野靖人構成・演出)を上演した。「幽霊」を中心に他の作品も織り交ぜた構成で、数年前にも上演しているが、今回は戯曲をより深く捉え直し、因習や道徳律との葛藤と悲劇を端的に見せた。
 「幽霊」は、夫を亡くして十年になるアルビング夫人と、長年海外で暮らしていた息子、召使いとその父親、そして彼らの後見者的立場を自任する牧師をめぐる物語。主には牧師と夫人の結婚をめぐる議論で、牧師が主張する結婚観がいかに彼女と周囲の人間に不幸をもたらしたかを明らかにして行く内容だ。夫人が「幽霊」と呼ぶところの、人を支配するその観念をクローズアップして、イプセンの中でも象徴的な作品とされる。
 そして物語の枝葉を切り落とし、議論の本質を構成した今回の舞台は、「人形の家」の挿入もあって、心と行動を縛る観念への妻の目覚めと反発をより分かりやすく示した。更に今回は、その「幽霊」を男女の俳優が演じた。常時彼らの周囲を徘徊し、ときには彼らのセリフを語るのだ。
 そのことによって観念の濃密さを視覚化しただけでなく、人間への批評性を強めたようだ。因習や道徳律に限らず、人は時代の空気や多数の意見に縛られている。イプセンが提起した問題は、今も続いているのだ。相変わらず出演者たちには内圧の高い演技が要求され、川渕優子と三橋麻子がせりふを深く響かせた。だが、出演者によってはそれが力みだけに終わったように思う。(六日、名古屋・七ツ寺共同スタジオ)

  • 2011.11.22 (火) 06:58
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コメント一覧

| 萩 (11.22 08:06) 編集・削除

確かに川渕さん他、女優さんたちは素晴らしかった。
比べると男優さんたちがちょいイマイチだったかな。たたずまいに品が欲しかったな。

| 矢野靖人 url (11.22 08:14) 編集・削除

萩さんへ

コメント有難うございます。ご指摘の点、難しい問題ですね。

品、とは安住さんは書かれていませんが、演出意図としては男性陣のキャストには(特に牧師の)“通俗性”を前面に押し出したかったというのがあります。原作を読むとお分かりになるのですが、このマンデルス牧師という人物、因習に凝り固まっている一方で相当、金銭に対して煩い(上演では孤児院に保険をかけるとかかけないとか、という重要なくだりがあるのですが、それは演出の都合上カットしました。)という側面があります。

あるいは、息子オスヴァルの“過剰な”生の充実感への欲求。そのことと、自我に目覚めた女性の一見クールに見える自意識の在り方というか、理性的な側面との対比。それが実は、人間存在の表裏を為していて、しかもその裏表はいつでも反転し得るということが描きたかった。

つまりここでは、品よりもいわば滑稽さを提示したかったという意図があります。そうするとそこに品、を求められても、両立はなかなか難しいですよね。

しかしそもそも、佇まいの品、とは何を指されているのでしょうか。僕にとっては、男優たちの佇まいには演技の通俗さと同時に佇まいの“美しさ”を苛烈に求めていました。そして、それは、(自画自賛は美しくない行為なのであまりしたくないのですが、それでも)ある程度実現できていたと自負しています。

こうなると、しかしやもすれば議論が成り立たなくなってきてしまうのですが、萩さんがいったい舞台芸術に何を求めていらっしゃるのか? それは果たして、shelfが表現しようとしているものと近しいもので在り得るのか。という、つまるところ、そもそも個人的嗜好が、もう少し丁寧にいえば美意識の在り方が異なるのではないか? という問題が否応なしに絡んできます。

例えは拙いですが、フレンチのレストランに入っておきながら、そこで日本料理を頼んで、求めたものが出て来なかった! なんて文句を言っても野暮ですよね。

安住さんはそこのところ、つまり個人的な嗜好の問題には立ち入らないよう丁寧に評を書かれています。

もちろん、観客はお代を払って、時間を割いて観劇にいらして下さっているわけですから、観たものに対して好き勝手に文句をいう権利はあります。

しかし、そのことと、求めている表現がそこにあったかなかったかの責任問題とは別な気がするのです。けっきょくは、舞台芸術は、特に現代演劇は中身の分からない買い物である、という問題に行きつきます。

個人的には、そこには日本に健全な批評や真っ当なジャーナリズムが不在である、という大きな問題と、新作至上主義の横行や、費用対効果の問題、あるいは西欧などとの文化的背景の違いから再演や、ロングラン公演が小劇場演劇ではなかなか難しい、という問題が横たわっていると思っています。

マガジンワンダーランド wonderland に劇評を掲載頂きました。

執筆者は中世フランスの演劇および叙情詩を主な研究テーマとされている早稲田大学の片山幹夫氏です。

◎現代の象徴劇としての『幽霊』 片山幹生
http://www.wonderlands.jp/archives/19314/#more-19314

イプセン劇の象徴性について、shelfがここ数年取り組んできている課題に着目してくださっていたり、また能の形式との比較など、非常に刺激的な論考です。部分的に演出の意図とは異なる解釈もあるのですが、それも読みの可能性、読みの多様性と感じられて、とても興味深く拝読しました。

お時間ありましたらご一読ください。

  • 2011.11.17 (木) 06:46
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  • Yasuhito YANO

劇評を頂きました。

shelfのワークショップなどにも参加してくれている多摩美術大学3年次の女子学生Mさん(23)から劇評を頂きました。

大学の授業で「劇評を書く」という課題があって、shelfの「構成・イプセン」を取り上げてくれたそうです。瑞々しい感性に支えられた文章がとても素敵です。よろしければご一読ください。


shelf「構成・イプセン―Composition / Ibsen」

 90分間の上演中、全く息をつけなかった。
人物はほとんど、目を合わせての交流をしない。それぞれの場所に立って、それぞれの世界を見て言葉を発している。しかし、彼らのいる世界は、共通した、同じものだ。「幽霊」という戯曲の中、というより、「イプセンの戯曲」の中。客入れの時、すでに舞台上に佇む俳優の姿から、もうそれが伝わる。
アトリエ センティオは、非常に小さい、ホワイトボックスの劇場だ。舞台が一番低く、階段状の客席は畳張りで座布団がおいてある。そばに東武東上線が走っているため、不意に電車の通過音がやって来て、その度に劇場ごと小さく揺れる。ここでshelfの作品を観るのは二度目。このむき出しの、観劇には不利な要素を抱えた劇場に、イプセンの世界をどのように出現させるのか、神妙な気持ちで、座席についた。
 
舞台は、名もない女がト書きを読み上げるところから始まる。それまで、ただじっとしていたり、ライターのふたをかちかち鳴らしたり、時々姿勢を変えたりしていた人たちの中でただ一人、自由に動き回っていた女だ。彼女は登場人物一人ひとりの紹介を始める。名前を呼ばれると、その人物は明確な動きを示す。それで、凍結されていた物語が動き始めたことを、観客は理解する。それぞれの人物の動きは、まるで能を思わせるような、重々しく凝縮された、美しい動き。それでいてダンス的なのではなく、顔に表情が浮かぶように、身体にも表情がついた、という感覚。目は虚空を見つめ、相手を見るのではない。言葉は発せられる。
 
まずは、アルヴィング夫人と牧師の話。アルヴィング夫人が現在に至るまでの話をしているようだ。でも、情報量が多すぎて混乱してくる。二人はボクシングのように言葉を打ち合っているが、だんだんと牧師の打ち込みが激しくなる。気分が高揚し、体温が上がり、言葉は流暢になり、声が滑らかになっていくのが感じ取れる。一方アルヴィング夫人は、追い詰められ、顔を背け、追い立てられた獣のように、ぴりぴりとした緊張を顕にする。

牧師は、倫理や道徳の話をしている。妻の責任。母親の責任。先ほどの名のない女が、時折牧師の言葉を代弁する。「あなたはその責任を放棄した」。しかし、やがてアルヴィング夫人が、落ち着き払って目を見据える。実態などないのに、しばられる必要なんてないのに、どうしても心から追い払えないもの。幽霊の正体。

アルヴィング夫人が、牧師の思いも寄らない真実を語り、牧師は青ざめる。逆にアルヴィング夫人は饒舌になる。堰が切れたように、言葉は溢れ出てくる。夫の不実さという病について。その夫の真実を隠し、美しく飾り立て、世間にも息子にも嘘をつき続けてきた自分の半生について。
 
牧師が逃げるようにして去ったあと、アルヴィング夫人の息子、オスヴァルが現れる。
彼はどこかおかしい。肢体を不自然に縮め、目を見開き、身体は小刻みに震えているようだ。オスヴァルは自分の病状を語る。病気を原因に、絵描きとして活動していたパリから、実家のあるノルウェーへと帰ってきたらしい。「もう何も描けない」という息子に、「休みも必要」と慰める母。しかし身体は、慰めているというよりも、恐れているという表情。腫れ物に触るように、「愛している」と語る母。だが息子は、「母さんでは助けにならない」と言う。「僕を助けられるのは、レギーネだ」。
 
女中のレギーネが登場する。若く、艶やかで、美しいレギーネ。オスヴァルは、彼女を妻に迎えたいという。打ちのめされる母アルヴィング夫人。そして、母は息子に真実を語る決心をする。レギーネが、他ならぬオスヴァルの、異母兄弟であることを。

真実を聞いたレギーネは、身体を強張らせ、過ちを犯した母をなじり、「どうせ私もそんな女」と、家を出て行く。レギーネを失ったオスヴァルは落胆し、母の目を見て、最後の真実を語る。絶叫するアルヴィング夫人。徹底的に救いのない悲しみが、この家に訪れる。

親の犯した過ちが、子供に繰り返される不幸。それが、この戯曲の言わんとすることなのかもしれない。しかし私が観たものは、もっと生々しい、欲望と苦悩を抱えた人間だ。今そこにいる人物ではなく、かつてそこにいた人物。確かにそこにいた人々の、亡霊。本当に、なんというものを観たのだろうか。はっきり言って、よくわからない部分もたくさんあった。特に、最後の男と女のやりとり。それは希望のようにも見えたし、それとは全然関係ないもののようにも見えた。ただ、動かなくなったオスヴァル、泣き崩れたアルヴィング夫人と、目を見つめあう男と女、その情景だけが、いつまでも消えずに残っている。

衣裳は、カンバスに絵の具で色を染み付けたような布を使った、ごわごわした重たげなもの。特に、アルヴィング夫人とレギーネのカクテルドレスは裾が長く、足に巻きつくシルエットは美しいが、扱いが大変そうだった。また照明はシンプルで、効果的にシルエットを作り出すことが、空間的にも次元的にも奥行きを生み出していた。音響は、自然音と間違えそうな、水の流れる音や風が吹くような音。そのせいか、電車が通ってもまったく気にならなかった。

これで90分も経ったなんて。客電がつくと、客席はぞわーっとした空気に包まれていた。私たちみんな、幽霊を見てしまった。表に出ると、傾きかけた日光がまだ道を照らしている。路地を曲がって、見やった先にさっと影が動いて、私は立ち止まる。行きにも見かけた猫だった。でも私は目を閉じて、ゆっくり深呼吸をする。劇場を出たからといって、何も考えずに安心するなど、まったくできないことなのだ。

  • 2011.11.17 (木) 06:39
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  • Yasuhito YANO

四都市ツアー、無事終了しました!

長かったようで短かった2週間の旅公演、東京公演から数えると、実に足かけ4週間にも及ぶ長期公演が、日曜日、無事終了しました。

これだけ長い期間公演を打ったのは本当に初めてのことです。何事もなく無事に最終日を迎えることが出来たのが奇跡のよう。これもひとえに支えてくださった沢山の関係者の皆さま、何より劇場まで足を運んで下さったお客様のおかげです。本当に有難うございました。

カンパニーとしても随分体力がついたように思います。この作品を、shelfのレパートリー作品、代表作として残していくことが出来ればなあと思っています。(実は水面下で企画調整中なのですが、)来年も再演したいと思っています。


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写真はツアー最終地の静岡はアトリエみるめで。撮影は静岡アート支援機構理事長の(劇団渡辺の)渡辺君。みんないい顔していますね。ツアー最終地を、これから活動を始める産声を上げたばかりの新しい劇場で締め括れたことにも感慨深いものがあります。

そう。僕らの活動はまだまだ始まったばかりです。続けることだけがすべてではありませんが、立ち上げることより続けることのほうがやはりとても難しい。

shelfはこれからも自分たちのペースで演劇を続けていきます。

皆さまにはどうか、今後ともご支援ご声援のほどをよろしくお願いいたします。

  • 2011.11.17 (木) 03:54
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