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第五回 『構成-B』 :

創作ワークショップ初級 『まちから作品を創る』 最終回(4/23)の記録。


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前回に引き続き 「構成」 の話。この日は朝から鬱がひどくて、1時間近く遅刻してしまった。本当に申し訳ない。この場を借りてKさん、岸井さんに謝罪したい。本当にごめんなさい。

というわけで、参加者は、僕と岸井さんと、ワンダーランドに劇評を書いているKさんの3人。今日は最終回ということで、作品の創作まで行く予定。前回までのおさらいをしながら、「構成」という言葉について、お互いどのようなイメージを持っているかなど確認。

僕の場合、構成=時間軸の配置(通時的配置)+共時的な取捨選択・配置というイメージがあってまずその話をしたのだけど、岸井さん曰く、(それは決して悪い意味ではなく)非常に的確な近代的思考ですね。とのこと。

つまり、 「構成」 には、 「時間構成」 と 「空間構成」 がある。というのが近代以降の一般的な常識である、ということ。

僕は、どちらかというとソシュールの共時態/通時態という概念や、あるいはシンタグマ(語の統辞的関係)/パラディグマ(語要素の範列・連合関係)という述語概念を念頭に置いていたのだけど、面白かったのは、この 「時間構成」 と 「空間構成」 を、別個の概念として扱うのではなく統一しようとしたのがパウル・クレーで、彼は絵画空間のなかに時間構成をもたらそうとしたのだった、というエピソード。

ざっくりいえば、空間構成の方法を、“観察/鑑賞する者”の視線の動き(=それは時系列に沿った“運動”である)を基準に考え、それ(=視線の動き)をコントロールするために空間構成を考えようと、つまり時間構成を空間構成に落し込んで考えようとしたのだ。という話なのだけど、そのアプローチの可否はともかくとして、


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翻って自分の場合について。自分が演出を考えるときにはいつも、観客が舞台上の何を見ていたとしてもその視線が観客の関心の変化に連れて移動して、移動するその視線の流れが、しかしいつのまにか同じ場所(もの)に行きついてそしてそのようにして空間に張り巡らされたたくさんの糸が最終的に一本に撚り合わされるように、そしてそこにドラマの核心があるように、ということを僕はいつも考えている。


ワークショップの具体的な内容としては、「構成」の“並び順”についての重要性を確認するために、

1.街中を一定の距離に分けて何回か歩き、
2.その区分毎に感じたことを「言葉」(「言葉」については文章ではなく、単語か、修飾語のついた一文節程度がいい。例:都市の裏側の喧噪、腐食しているプラスチック etc )に残し、
3.区分毎に幾つか書いたその「言葉」のなかの一つをピックアップし、
4.最後に、その「言葉」(=テーマ)がもっとも伝わる場所を二か所探し、どちらを最初に見せ、どちらを後から見せるか決める。(ちいさな作品を作る。場所については、静止画で、この景色、と決められる場所がいい。)

という簡単な作業をまず行った。

見せられた景色×二つを通して、鑑賞者(景色を提示した人以外の参加者)が、果たしてそこからどのようなテーマを受け取ったか。

鑑賞者二人は、各々、受け取ったテーマ(だと感じたもの)を言葉にしていったのだけれど、面白かったのは(それはある意味では失敗だったのかも知れないけれど、)鑑賞者の二人が受け取ったテーマが非常に似通っていたのに対して、発表者の想定していたテーマが微妙にズレていた、ということ。

ここで注目すべきは、多少であっても、発表者と鑑賞者のテーマがズレていた、その一方で、(上に書いたこととと同じことなのだけど、)見方を変えれば、鑑賞者の側で受け取ったものが非常に似通っていたということだ。

果たして、ここで起こっていることはいったいどのようなことなのだろうか。

岸井さん曰く、発表者が真剣に、自分のテーマを説明しようとするのではなく、テーマがリアルに感じられるものを「選択」して配置していたからこそ、多少のズレはあっても、何かがきちんと伝わっていたのだ。ということだった。(このことは自分なりにもうちょっと考えを深めてみたい。)

ただ、少なくとも自分なりに理解できたことには、何か一つだけビジョンが提示されのだったらそれだけでは皆目見当がつかないところを、同一のテーマで二つ以上提示されることによって、そこに共通する(その二つのビジョンの背後に通底する)ものは何か? ということを、鑑賞者は必ず考える。そして、そのようなプロセス=連なったいくつかのビジョンの「構成の感覚」を感じるということを通じてこそ、「テーマ」は伝わるのだということ。

構成とは、 『並べること』 である。そして、構成によって、 『構成の感覚』 が発生する。テーマなどの複雑な情報は構成感覚を利用することによってしか表現できない。ここに時間表現が(あるいは時間表現である演劇が)必要とされる理由がある、ということ。

以下に引用する岸井さんの作ったハンドアウトそのままなのだけれど、この発見は、自分にとって本当に大きかった。


● 構成とは、 『並べること』 である。

● 作品構成の目的は、
 『テーマ(誰が何を指し示すか』 を伝えること
 に集中するとうまくいくことが多い

これは型(結果をまとめるための便利なテクニック)なので、あまり気にしないでもよいです。以下は、私が一番使う方です。

●伝えることを目的とする構成は、
 伝えられる側がどういう順番で受け取るか
 だけのもんだいである。

よって、考えるべきことは、並べられる要素とその順番だけです。

●構成によって、 『構成の感覚』 が発生する。
テーマなどの複雑な情報は構成感覚を利用することによってしか表現できない。ここに時間表現が必要とされる理由がある。

●構成要素を選ぶのは、自分にとって、それが REAL であるかどうかに集中するとうまくいくことが多い。

●選んだ要素を、構成感覚を考えて並べると、作品が完成する。

***

●作品創作は、
「あるがままを感じていき、(観察)
その中で出会ったものを意識的に選び取り、(選択)
選んだ者を伝えるために、(テーマ)
感じ取ったものを並べる。(構成)という手順で進む。


ワークショップはその後1時間の創作時間(自由時間)をとって、前回作成したチャートに従ってそこに現れた自分の「テーマ」を表現するための「作品」制作をして、それに対しての岸井さんの講評を以て終了した。

ここで僕がどのような作品を制作したか、については書かない。書いても意味がない、というよりか、ここが舞台表現というメディアのもっとも面白いところで且つその生命線だと思うのだけど、言葉で説明してもこのとき作った「作品」については絶対に記述しきれないからだ。

いや、記述することは出来るかも知れない、ただ、それを記述するということは作品の説明ではなく、僕の作った「作品」に対するレスポンスとしての、それとは別のまた新たな作品を作るという行為に他ならないのだと思う。(そしてそれは/それが他でもない批評という行為だ。)


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  • 2009.04.30 (木) 10:11
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  • Yasuhito YANO

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