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終わりました。

ファイル 195-1.jpg

ちいさなエイヨルフ、無事に千秋楽を終えることが出来ました!

終わってみればあっというまで。

この儚さが演劇の最も大きな魅力の一つかも知れません。

写真はバラシの終わった七ツ寺共同スタジオ。

ご来場頂いた皆さまには本当に、有難うございました。

  • 2008.10.14 (火) 00:54
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  • archive::「ちいさなエイヨルフ(2008)」
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  • Yasuhito YANO

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2008.10.15 (水) 20:27 編集・削除

素人の乾燥です。

・セリフの間がないのに、違和感を感じました。「間抜け」とまでは申しませんが、あまりにもスタスタ、セリフが続くので、これは日本語のような顔をした外国語だと感じました。
言葉が相手に届き、理解されるまでの間が欲しいです。

・どうして裸足?西洋では裸足=ハダカ。裸足で演じることに、なにか特別な意味があるのでしょうか?

ysht.org url 2008.10.15 (水) 21:16 編集・削除

> 猫 さんへ

コメント有難うございます。ご指摘の件ですが、そうですね。本作のセリフはおっしゃる通り、いわゆる日本語の日常会話ではありません。“翻訳語”という特殊な日本語です。翻訳される以前の原語で読み・発話されるのであればともかく、私は、この状態=翻訳された日本語では、これは、日常言語のような振りをしてリアリズム的に上演することは不可能なものと考えています。

そこに如何に、新しい発語の様式を醸成するか。それがここ最近の私たちの試みの、主要なテーマのひとつです。

ですから、日本語のような顔をした外国語、というご指摘は肯定的であるにせよ否定的であるにせよ、核心に触れていると思います。非常に興味深く拝読しました。ご指摘、有難うございます。

六名の俳優のうち二名だけが素足であることについてですが、

これにももちろん演出的な意図があります。ただそれは、こう受け取ってほしい、という一つの正解があるようなものではありませんので、説明は出来ません。

ただ、ひとつだけ申し上げると、ここは西洋ではなくお客様も西洋人ではないので、私としては素足=裸、という意味はまったく持たせていませんでした。

といって、そのように解釈されるお客様(そのような文脈で物事を解釈されるお客様)がいらっしゃっても、それはお客様個々の受け取り方、感性、楽しみ方の自由ですので、私はぜんぜんかまいませんが。

2008.10.16 (木) 21:23 編集・削除

勘三郎のニューヨーク公演をテレビで観て、歌舞伎座と同じ演目なのになにかズレている。これは歌舞伎ではない、と途中でスイッチを切ってしまたことがありました。

後から、歌舞伎に詳しい人が、あれは間が速いから気色悪いのだよ、と教えてくれました。
ニューヨークはテンポが速い街だから、それに合わせて勘三郎が間を速くしたんだが、ダメだねえ、違うものにあがっちまったね、ということでした。

東京と名古屋では言葉のテンポが違います。歯切れのよい東京の言葉、もったりした名古屋の言葉、土地によって言葉の速度が違うので、東京の演劇は名古屋圏の人にはセリフが速過ぎると感じるのかもしれません。

というより、自分の理解速度が落ちてきただけなのかも(笑)

ysht.org url 2008.10.18 (土) 16:30 編集・削除

> 猫さん

なるほど、その話はとても興味深いですね。ニューヨーク公演の際にテンポを速くした歌舞伎、自分も見てみたかったです。現場に居合わせたニューヨーカーたちのリアクションも気になります。

ニューヨーカーに見せるために間を早くしたのであれば、もしそれが本当にそうなのだったとしたらそれがそれ以外の、その場に居合わせなかった人たちにとっては違和感を生ずるものになってしまう可能性は確かにあるでしょうし、ある程度やむを得ないことなのかな、とも思います。

それ以前に、そもそも舞台芸術を同じ空間で味わうことと、記録された映像で見るのとはやはりまったく違う体験ですので、その違いも差し引いて考えるとなるとなかなか一筋縄ではいかない問題だと思いますが。

東京と名古屋の言葉の(テンポの)違いについてですが、東京が歯切れがよく名古屋が持ったりしているかというと、むしろ私は逆の印象を持っています。名古屋のほうがずっと、関西圏のイントネーションに近いためかメリハリがあります。東京、といっても下町と、それ以外とではまた全然違いますが、

一方で高校時代までを名古屋市内で過ごし、大学時代を北海道は札幌で過ごした私のようなものにとって、地域の言語と東京のそれとはもっと相対化されていて、いわゆる東京の言葉、というのは実はもう存在しないのではないか? という思いも、矛盾する考えですがとても強いです。

いずれにしても、これはとても難しい問題ですね。

ysht.org url 2008.10.18 (土) 16:34 編集・削除

ああ。書いていて今さら気がついたのですが、確かに私はここ十年位を東京で生活していますが、生まれは名古屋ですし、俳優たちもみな富山出身、宮崎出身、千葉出身とあと名古屋出身と、静岡と、生粋の東京人は一人もいないのでした。

唯一音響スタッフだけが、恵比寿に実家のある東京人でしたが。

そう考えてみると東京の言葉って思われているもの(たとえば、猫さんがそう思われたもの)の正体は、いったい何なんでしょうね。