記事一覧

第二回 『観察』:

「観察」のためには、

 「条件を決めること」
 「記録をとること」
 「記録を見返すこと」

が重要である。また、記録する際にはそのメモを、

 「観察」
 「感想」
 「意見」

に分けると良い。観察をする際は、

 「連続したもの」
 「断続的なもの」
 「一回性のもの」

に分けて記録すると記録しやすい。

じっさいにサウンドスケープの記録をやってみて、それを通して、観察したことの記録について考える。また、記録を公開し、共有した上で再度記録を取り直す(繰り返す)ことによって、「記録を見返すこと」を実践してみる。

サウンドスケープというのは、

・・・1960年代終わりに、カナダの作曲家レイモンド・マリー・シェーファーによって提唱された概念で「音風景」、「音景」などと訳される。風景には音が欠かせないという考え方で、そこからサウンドスケープデザインが生まれた。

「サウンドスケープ」とは、ランドスケープのランドを「サウンド」に置き換えた言葉で、音の風景という意味である。シェーファーの著書が翻訳されたとき「音風景」と訳された。近代では、音を環境から切り離し、あまりにも客観的に取り扱ってきたため、もう一度音を風景の観念でとらえ、その上で音をめぐっての関係性に注目し、日常生活や環境の中で音を風景としてどのようにかかわっているのかを考えるために、「サウンドスケープ」という概念が提唱された。(Wikipediaから引用)

というもの。用語の説明はさておき、やってみて面白かったのは、音を記録する際に、音源を探って言葉に書き起こす人(鯉の跳ねる音、鳥のさえずり等)と、擬音(トプン、ギチチチチチ等)で記録する人がいたこと。

また、鳥の声ひとつとっても、取りまとめる人と、カラス、すずめ、と分ける人、擬音で聞き分ける人、聞き分けようと思っても、あまり関心が向かない人があるということ。

やってみて自分で発見だったのは、自分は、記録をとる際に、観察者の側(記録をとっていた人たち)の出していた音、かばんを落とす、とかボールペンのキャップをはじくとかの音について、まったく捨象してしまっていたこと。

また、言葉と擬音を同時に記録していたのだけど、(水車の音、トプタパ・ザバザバ・ウンウンウンウン等)、その際、記録を箇条書きにするというより、どちらかというと絵を書くように、空間的な配置を記録にとっていたこと。

どちらもあまり意識していなかったので、他の人と比較してそれに気づいたとき、ちょっとショックだった。

ファイル 148-1.jpg

参加者で盛り上がったのは、(少し脱線したときなのだけど、)あることの「訓練」と、そのことに対しての自由さの獲得は、同時には得難い。という話。ピアノを自由に弾けるようになるためには、最初はどうしたって、繰り返し、繰り返しの「訓練」が必要で、ある種の抑圧が生じざるを得ない。という、

そんな話が出たのも、これだけ豊かな自然「音」を「記録」するのは難しい。から、音の「記録」 → 「記譜」 → 「楽譜」へと話がとんだから。

楽譜というのも、一度、音の豊かさを切り捨てて、音の長さと高低とに絞り込んだ結果、記録ができるようになったもの。では、例えば音以外の動き、や意識、について「記譜」をとるということについてはどうか。舞踊には有名な記譜法があるし、記譜法ではないけれど、スタニスラフスキーのなかに、「エリア」という概念があって、

それは例えば、夕飯を食べているときに、食べているものに集中しているのか、しゃべっている相手に集中して、何を食べているのか、が疎かになっているか。それとも、妻としゃべりながらご飯を食べているのに、テレビに夢中になっている、とか。

「そのときの自分のエリアはどこにあるか。」

という、つまり、意識している対象は何か。を、自分のとっている行動やしゃべっている内容とは分けて、把握するという方法。

そのほかにもいろいろ、心に残ったことはたくさんあったけど、そしてどれも自分が稽古場などで自然、演出をする際に意識して心がけているものばかりだったりしたけど、まさに、自分の抱えていた問題意識や方法論に対し、別の角度から光を当てられて今までとは違ったかたちで見えてくる。という、(先に述べたのと同じ)感覚。

取り敢えず時間を見つけて、近いうちラバンの著書も読んでみよう。

  • 2008.05.28 (水) 18:11
  • Permalink
  • ワークショップ 『まちから作品を創る』
  • Comments(0)
  • TrackBack(0)
  • Yasuhito YANO

トラックバック一覧

コメント一覧