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言葉の取り扱いを慎重に、しかし臆せず、且つ走りながら、私たちは自分自身の言葉を発していかなければならないのだと思う。

朝から陰惨なニュースが入って来てかなり、重い。酷い。残酷に過ぎる。こうしてまた憎悪が連鎖していってしまうんだろうなと思うとやりきれない思いがする。右にも左にも組する気はないけれど、例えささやかなものであっても僕は僕に出来るアクションを日々、起こしていかなければならないのだと痛感する。

もっともっと考えなければならない。もっともっと、想像力を駆使して“相手”のことを考えなければならない。決して憎悪の連鎖を繋げてはならない。

恐怖するその対象をこそ、そのものの理解に全力を挙げて努めなければならない。

言葉だ。言葉の取り扱いに最善の注意を払わなければ、慎重に取り扱いつつ、怖れず臆せずこんなときこそ、自分の使っている言葉が本当に自分の言葉なのか? と考え続けなければならない。おそらくは、走りながら、考え、発していかなければならない。

憎悪し、恐怖し、敵を探し出して暴力の対象とする流れが来る。きっと自分こそが最大の善意で、全くの正義なのだという顔をして。

そのような流れに対して、例えその姿が愚かに見えようと一人一人が冷静に、哀しみをいっぱいに抱えて、おろおろとしなければならないのだと思う。

人質にされ、暴力を振るうための材料にされ命を奪われたジャーナリストの後藤さんの書いた本が、全国で売り切れているというニュースが今、いちばんの救いで、光だ。
 
 

  • 2015.02.04 (水) 13:57
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  • Yasuhito YANO

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