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たとえるなら感覚は「ドーナツの輪」の部分で、

元・神戸製鋼社会人ラグビーチームのキャプテンで、1999年にはラグビーW杯日本代表に選出された平尾選手。現役時代からファンでした。同い歳だったとはぜんぜん意識していませんでした。

それはともかく、ここのところ稽古場で、基礎訓練とか俳優教育に関してずっと考えていたことが、言葉は違えど、ここにはっきりと書かれていてとても面白かったです。

まくパフォーマンスを発揮できなくて悩み始めたとき、僕らは「どこかにそれを解決する方法があるはずだ」「正解があるはずだ」と考えてしまいがちです。そして新たな情報を探し出しては取り入れるものの、しっくりこない。そこからまた「なぜだろう」と悩んでしまいます。

なぜそういうことが起きるかと言えば、感覚を置き去りにしているからです。ノウハウや知識が悪いわけではありません。ただ、新しい筋力トレーニングの方法だとか、いろんな手法を知って取り入れようとするときに、「これさえすれば、うまくいくはず だ」となぜか思ってしまう。

だから、それがうまくいかなければ、また別のノウハウなり正解を求めるといったように同じことを繰り返すのです。

見えない自分の体を内側から捉える。その感覚が重要であり、おもしろいところなのですが、いまは「科学的根拠に基づいた情報」が過剰に出回っていて、分かったフリができてしまう。だからいくら懸命にやってもうまくいかない。「科学的には正しいのに、なぜできないのだろう。それはきっと自分が間違えているからだ」と、ともすれば自分を責めることにもなる。

いまだから言えることなのですが、感覚がどういったものかを伝えるためには言葉が必要なのです。たとえるなら感覚は「ドーナツの輪」の部分で、言葉はドーナツの本体です。輪の部分は空気ですよね。実際には何もなく実体がない。ドーナツがそこにあることで生まれる空間なわけです。そのものずばりを名指すことはできない。
ただ、言葉にしようともがき続ければ(つまりドーナツができれば)、輪が生まれる。行間や身振り手振りをひっくるめて感覚が浮かび上がるのではないかと思うんです。

だからこそ知識や情報に頼るのではなく、自分の感覚を語る勇気を持って欲しいですね。「はっきり言えないから」と諦めてしまえば、明快な答えを求めてどこかに正解があるのではないかと勘違いし、自分の感覚を疑ってしまいますから。

平尾剛さんとか、為末大さんとか、バリバリのアスリートでありながら、同時にすごく知的で、深く鋭い思考の持ち主が最近少しずつ増えている気がします。彼ら/彼女らの言葉には、スポーツやパフォーミングアーツに関わる人たちだけでなくもっともっと多くの人がもっともっと耳を傾けるべきと思います。

#351 感覚と言葉をつなぐ試みがこの先の道を照らす

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  • 2015.01.26 (月) 16:23
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  • Yasuhito YANO

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