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「鏡の中の鏡」

ミヒャエル・エンデは僕が子どもの頃読んで最も影響を受けている作家のひとり。ときどき説教臭さが鼻につくけど、やっぱりかなり重要なことを考えていた人だと思う。シュタイナーと演劇と、で、今の自分とつながるとはあの頃は夢にも思わなかった。

「はてしない物語」はぜったいにあの駄作映画の印象で判断してはいけない。夢幻的で不条理で迷宮的な、まさに字義通りのメルヘン。「モモ」は高校の学祭で芝居にした。僕はお話しをすることだけが得意なジジを演じた。「サーカス物語」は北大時代、まだ俳優をやってた頃にコンカリーニョのちずさん演出作品に。

でもたぶん、今いちばん直接に僕の創作のイメージの源泉になっているのは、短編が連鎖してお終いの来ない「鏡の中の鏡」。出だしは確かこんな感じ。


「許して。僕はこれ以上大きな声で話すことはできない。君が、そう、僕が語りかけている君がいつ僕の語りかけに気づいてくれるか僕にはわからない。そもそも、僕が君に語りかけているのに君は気づいてくれるだろうか? 僕の名前はホル。…」

ディテイルは多少、違うかもしれないけれど。


 芸術や文学のように、秘密や、多義性や、夢や、生の実質が問題となるところでは、合理主義は抑圧的にしか働きません。生のすべての領域に通用する普遍的な鍵などないのです。あるひとつの領域において判断の基準となる原則を、他のすべての領域に適用するなんて、到底許せないことです。
 
私の意図だなんて私に押し付けられてきたものは、どれも、私のではなくて、みんな、どこかの学者や批評家が解釈したものなんです。私は解釈には反対はしません。好きなように解釈してもらっています。ただ、そういう解釈によると、なんて私は賢いんだろうと、しばしば驚くだけです。
 
芸術がひとつの完成したフォルムになったとき、それは単一の「正しい解釈」を生むものではなく、重層的な意味を持つものになるからです。それでいいのです。いや、そうでなければ困る。だって作者の方でも、創作に従事するとき一元的な意味を狙っているわけではないのですから。


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ミヒャエル・エンデ Michael Ende | 1929年11月12日 - 1995年8月28日

ドイツの児童文学作家。父はシュールレアリスム画家のエドガー・エンデ。日本と関わりが深く、1989年に『はてしない物語』の翻訳者佐藤真理子と結婚している。1945年、16歳の時、疎開した14~15歳の少年が軍に徴兵され、一日訓練を受けた後前線に送られ、初日に学友3名が戦死する。ミヒャエルにも召集令状が来たが彼は令状を破り捨て、ミュンヘンまでシュヴァルツヴァルトの森の中を夜間のみ80km歩いて疎開していた母の所へ逃亡。その後、近所に住むイエズス会神父の依頼でレジスタンス組織「バイエルン自由行動」の反ナチス運動を手伝い、伝令としてミュンヘンを自転車で駆け回った。1948年、戦後に転入したシュタイナー学校を退学、演劇学校に入学。1950年、演劇学校卒業。1シーズンだけ舞台に立つ。主な著作に児童文学として、『ジム・ボタンの機関車大旅行』、『ジム・ボタンと13人の海賊』、『モモ』、『はてしない物語』。戯曲に『遺産相続ゲーム』、『サーカス物語』等。
 

  • 2014.10.08 (水) 13:57
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  • Yasuhito YANO

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