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終わりました。

近代戯曲研修セミナー「森本薫を読む!」無事修了致しました。とても、とても大きくそして重い課題を頂きました。20年近く演劇創作に携わってきて培ってきたものもそれなりに在るはずなのですが、改めて今、未開の荒野に立たされている心持ちです。ああ、新しく一歩一歩、道なき道を切り開いていかなければならないのだな。そのことに気付かされるようなとても大きな体験でした。関係者諸氏、そして何よりも当日劇場まで足をお運び下さった皆様に感謝したいと思います。本当に有難うございました。

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写真は今回演出を担当させて頂いた二作品のうちの一本目は、『薔薇』 のゲネプロ時に撮ったものです。自分でいうのもあれですが、美しくも残酷な作品になったのではないかと思います。

もう一本の 『記念』 も、15分ととても短い作品ですが濃密で、これもまた残酷で、そして胸がキュンとなるような切ない作品になりました。

僕がドラマ・リーディングを手がけた最初のきっかけは、AAF戯曲賞ドラマ・リーディング(2005年、主催/愛知県文化振興事業団)が初めてでした。もう10年近くも前になるんですね。そしてその後、このAAF戯曲賞ドラマ・リーディングがきっかけで、2006年から2009年までの3年間、原則年に2回のペースで、横浜・相鉄本多劇場で 「横濱・リーディング・コレクション」(主催/横濱・リーディング・コレクション実行委員会、共催/横浜SAAC、横浜市市民活力推進局)という企画の芸術監督、兼総合プロデューサーをさせて頂いたのでした。


その時に身に付けた姿勢として、ドラマ・リーディングを演るにあたっては絶対に手に持っている戯曲を手放さないこと。そしてドラマ・リーディングであることを前景化するといいますか、登場人物を演じるのではなく、あくまで一俳優がそれぞれに戯曲を手にして、“読んで” いるのだということをきちんと提示してテキストと適切な距離をとる。というものでした。

今回の近代戯曲研修セミナーでもその姿勢をもって創作に臨みました。研修 (と、その成果発表) というぬるい言葉に甘えずに真剣勝負をしたつもりです。立ち会って頂いた皆様にお楽しみ頂けたのでしたら幸甚至極です。

最後に、ちょっと長くなりますが当日配布したンフレットに掲載した挨拶文を転載させて頂きます。

演出ノート/ご挨拶に代えて

「客観」 とか 「俯瞰(する)」 という行為はあくまで観念的なものに過ぎず、人間は世界に相対するに際してどうしたってその時代、生まれ育った環境等から影響を受けずに世界を認識することは出来ない。それは観察者がその観察対象を観察するにあたって、それ、つまり観察対象に対して観察者は影響を及ぼさざるを得ない、といっても良いかも知れない。

そのような地平において 「(他者のことを)分かる」 と思うこと。或いは 「分かった気になる」 ということは我々人間にとって最も忌避すべき態度の一つであって、裏を返せば 「分からない」 という態度を保持し続けることのみが、唯一、且つ “正しい” 態度なのかもしれない。

しかし、とすると例えば戦争や歴史について語る権利を持つ 「当事者」 とは一体誰なのか? という問題が生じる。というよりか、そもそも 「当事者」 とは誰か? 「当事者」 であれば何を語っても良いのか?

『記念』 を演出するにあたって考えたのは、誰にも等しく訪れ、そして私たちをおいて過ぎ去っていってしまう 「時間」 の残酷さを描くことは出来ないだろうか? ということだった。そしてその反対に(?) 『薔薇』 は時間の流れから取り残され、時間によって何かしらを解決して貰うことを許されず阻害され閉じ込められた極限の人間を描きたい。ということだった。それが果たして上手い試みだったのかどうか。それは舞台芸術という行為の宿命として、観客を前にして上演することを通してしか確かめられない。

最後に。やもすれば観念的に成り過ぎがちな一演出家の前に、大きな経験と知見とを以って、充実した研鑽の場を与えて下さった諸先輩方、関係諸氏に心からお礼を申し上げたい。そして何より、この会場に足を運んで下さった観客の皆様に感謝したい。

矢野靖人

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