■演出ノート
両親の過失で足に障害を持ったエイヨルフ。父親の息子への過剰な愛情と妻の激しい嫉妬。不気味な鼠ばあさんの訪問。そして小さなエイヨルフの溺死。写実的な作品から象徴主義的な後期作品へと移るイプセン晩年の代表作を、一組の夫婦の話として出来るだけシンプルに再構成しました。
演出の主題は「人生の嘘」です。イプセン作品に繰り返し登場する理想の追求と、人が生きていくということの欺瞞性。終幕、激しいぶつかり合いの後に突如訪れる男女の和解は、確かに欺瞞に満ちています。しかしこの欺瞞にこそ、人間の本質があるのではないか。
「小さなエイヨルフ」が脱稿したのが1894年、イプセンが66歳の秋。男女の性愛を深く描いたこの戯曲を60歳を超えて書いたイプセンの創作意欲の旺盛さには脱帽するばかりですが、これに先立って1884年に書かれた、今日ではイプセンの最高傑作とみなされることも少なくない「野がも」に、次のような一節があります。
グレーゲルス なに! ヤルマール・エクダルも病気だって?
レリング たいていの人間は病気さね、あいにくと。
グレーゲルス じゃ、どんな治療を施してるんだ、ヤルマールには?
レリング いつものやつさ。「人生の嘘」って注射で、体力をつけるんだ。
グレーゲルス 人生の――嘘? 聞き違えじゃないかね――?
レリング いやいや。まさにそのとおり――人生の嘘だよ。人生の嘘ってやつは、人を活気づける力を持っているからね。
(中略)
グレーゲルス エクダル注意も気の毒な老人だ。青年時代の理想を、だんだんあきらめたのに違いない。
レリング 忘れんうちに言っとくがね、ヴェルレの若旦那、――その「理想」っていう気取った言葉は、使わんことにしましょうや、「嘘」っていう便利な言葉があるんでね、――それで充分。
グレーゲルス 君はその二つに、共通点があるとでも言うのかね?
レリング さよう、チフスと発疹チフスぐらいにはね。
グレーゲルス レリング先生! 僕はヤルマールをあんたの手から救い出すまで、決して、あとへは引きませんよ!
レリング そいつは、いよいよ厄介だな、あの男には。平凡な人間から人生の嘘を取り上げるのは、その人間から幸福を取り上げるのと同じことになるんだからね。 |
それまでのイプセンの思想=理想に反し、この戯曲は(イプセンの作品中唯一といっていいほど)「人生の嘘」が肯定的に描かれている。それが、イプセン戯曲の中でもこの作品がとてもユニークな位置を占めているとされる所以ですが、
ここで描かれる「人生の嘘」には、欺瞞という言葉だけでは、その言葉の否定的な側面だけでは括りきれない人を活気づける力が確かにあり、かつまた理想という言葉では気取って響きすぎる、何かを見逃してしまうようなそんな、人生の矛盾とおかしさがある。イプセンの描くアイロニーが、ここに凝縮されているように私には思えるのです。
「野鴨」で描かれた「人生の嘘」ということを思考の補助線に、人間存在のアイロニーを出来るだけ丁寧に、シンプルなドラマとして舞台に乗せたいと思っています。ご期待下さい。
■ イプセンについて Henrik Johan Ibsen 1828-1906
ノルウェーの劇作家。
近代が抱えるさまざまな問題を取扱い、リアリズム劇を確立したことで近代演劇の父と言われる。
代表作に「人形の家」「幽霊」「野鴨」「ヘッダ・ガブラー」の他、グリーグが音楽を担当した歌劇「ペール・ギュント」等。戯曲だけでなく詩人としても名をはせた。「人形の家」に代表されるような女性の人権問題など、しばしば社会的・道義的なテーマについてのみ注視されがちであるが、今改めて読むとなればむしろ個人の自由や自己の確立という、近代の人間存在にかかるテーマのほうがより先鋭的で魅力的だろう。
日本においては坪内逍遥が1892年に初めて紹介。1909年には小山内薫・市川左団次らの自由劇場により本格的な舞台が上演された。1911年には文芸協会が松井須磨子主演による「人形の家」を初演。主人公ノーラの「新しい女」としての生き方が話題を呼び、イプセン・ブームを引き起こした。
イプセンを受容することから、日本の近代演劇の歴史は始まったといっていい。
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