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呼吸

凄く当たり前のことなのかもしれないけど、基礎稽古をしていて最近気づいたこと。呼吸について。10カウントという1から10までをロングトーンで息を吐きながら数える。それも一定の圧で同じ太さで息を吐き続けて、それにあわせて指を開きながら、感覚も同時に開いていく。というトレーニングがあるんだけど、それをやってて気づいたんだけど、息が苦しくなって息を吸う、のだけれど息を吸ってる時はその息の苦しさは楽にならなくて、実際には息を吐いているときにこそ息が楽になるということ。

考えてみれば当たり前で、息を胸いっぱいに吸っているときには酸素は肺の中に充満しているだけで身体を巡っていない。息を吐いているタイミングにこそ、酸素は身体を巡っている。そんな単純なことを、稽古をやっていて最近になってようやくリアルに体感したというか、息を吐いているときに視界が開けて感覚が開けて行くのを体感して、とても面白かった。

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ところで上の図は鳩の身体の気嚢(きのう)。気嚢というのは、そこにいったん空気を蓄えることで、鳥類の肺がそうなんですが、息を吸ったときだけでなく、吐いた時にも新鮮な空気が肺に流れ込むのだそうです。(ヒトなどの肺では、吸い込んだ酸素と、吐いた二酸化炭素が混ざり合っている。)着色されている部分が、気嚢というとても薄い膜からなる袋だとのこと。たいていは5対あって、腹部のかなりの部分を占めていて、首のあたりにもあります。

鳥類の骨には穴や空洞があいているのですが、かつてこれらは体を軽くするためと考えられていました。しかし実際には、これらの構造は、気嚢の一部が骨の中にも入り込んで、含気性構造をした骨(含気骨)を形成しているからなのだそうです。  

今日、日中NHKを観ていて知ったのですが、現生鳥類にある気嚢(きのう)が、恐竜(獣脚類)にも存在したらしいことがわかったそうです。気嚢という構造を持っていたから、あの巨体にして俊敏な運動を可能にしていた。

全然知らなかったよ。

気嚢、いいなあ。あれ欲しいなあ。と稽古の帰りに妻が呟いていました。

谷川道子「ドイツ現代演劇の構図」(論創社)読了。

長かった…。けど面白かったです。写真資料も豊富で、舞台写真など見ているだけでもいろいろな刺激を受けた。

現代・ドイツ・演劇という三つのタームを並べてそれを通した構図から、日本や、世界の演劇を俯瞰しようという意欲作。<68年>を折り返し地点とする時代背景から説き始めて、それ以降が中心に描かれているのだけれども、ドイツ演劇といいながら世界の演劇状況が複雑に絡み合ってくる現代演劇の地平が見渡せて、とても良かった。

それにしてもドイツ演劇に関する教養がないせいもあって、出てくる固有名詞や専門用語をいちいち調べながら読んでいたので、時間がかかってしょうがなかった。自分の教養不足がホント嘆かわしい。

あと、谷川道子さんの文章、非常に分析的で理知的で面白いのだけど、至極客観的というか。学者さんだからしょうがないのかも知れないけど、途中に差し挟まれている太田省吾さんとの対談を読んでいて、二人の言葉の手触りが驚くほど違っていて。

太田省吾さんはさすが実演家というか、言葉が非常に主観的というか物質的で、手触りがゴツゴツしているのだ。言葉に当事者としての力があるというか、良く分からない、難しいことを喋っていても言葉が上滑りしない。血肉が通っている感じがする。すっと通り抜けていかない。頭に、からだに響いてくる。

太田省吾さんは、太田省吾さんに限らず鈴木忠志やその他の時代を作った演劇人たちや芸術家、建築家なんかもみんなそうなんだけど、ちゃんと自分の言葉を持っているのだと思う。それにひきかえ学者や研究者は、えてして業界用語(専門用語)を使って喋っている気がする。

僕もちゃんと、自分の言葉を鍛えていかなければと思う。分かるんだ、自分が今ちゃんと自分の言葉でしゃべっているのか、他人の言葉で喋っているのかどっちなのかってのは。意外と。

自分にも、それを聞いている人にもきっと。

二十年ぶりに接骨院に通っている。

4月からこちらの4ヶ月、鬱が酷くてほとんど寝たきりのような生活をしていたせいで、体重が8kg減った。最初寝違えたかな、と思っていたのだけど、どうやら体重の急減が原因らしい。首の右側の付け根から方にかけて常に重い痛みがあって、右手の親指や人差し指にまで痺れがある。

最初、寝違えくらいだと思ってた時には整形外科に行ったのだけど、痛み止めの薬を処方されただけで4日間くらいするとおさまるから、と言われ、そのまま二週間放置されたのでこれじゃ埒があかない、少しでも治療をして貰えそうなところを、と、近所にあった接骨院に駆け込んだ。そしたらそこで受けた説明が、体重の激減が原因だろう、と。骨格筋の衰えて椎骨の間が狭まって、間から伸びている神経を圧迫しているらしい。整形外科ではレントゲンも撮って貰ったんだけど、そんな具体的な話はぜんぜん聞かされなかった。困ったもんだ。

今はほぼ毎日、接骨医に通って、電気治療と超音波治療、首の牽引などをして貰っている。ときどきマッサージをして貰うこともある。出来れば週に3日以上、2ヶ月くらい通ってくれと言われた。家にいるときには出来るだけしててくれ、と頸椎固定用の簡易な装具も渡された。いろいろと、憂鬱だ。

それにしても9月@鳥の劇場の上演テキストがぜんぜん決まらない。毎日基礎稽古ばかりをしている。

それはそれで大事なことなのだけれども、というのも演劇って、煎じつめれば声も含めて身体をどう見せるか、という表現だから、身体の取り扱い方に関するお互いの文脈や発語の方法が共有出来ていないと、どうしてもちぐはぐなものになってしまう。そのちぐはぐさを逆手にとって上手に表現に取りまとめる方法もあるのだろうけど、僕が今やりたいことはそういうことじゃない。時間はかかるかもしれないけど、もっと身体言語というか、発語に関しても統一された美しい文法が欲しい。そしてそのなかに、形式のなかに当て嵌めることでかえって違いのはっきりする俳優の身体、俳優の生活史も含めた、個々の人間の積み重ねてきた生の時間性、歴史性が見えればいい。生は、それを剥き出しにすることが出来ればそれだけでドラマを生むと思う。そこには時間がある。

テキストについては、候補は幾つかあるのだけれど、どうしても悩んでしまって、いろいろと戯曲以外にも小説や、別な書籍を読んだりしている。現実逃避か? いやいや。もっと深く考えたいのだ、今自分にとって必要なことは何なのか。あるいはそれを映し出すのに適したテキストはどこにあるのか。テキストを再現するのではない。上演に際しての、素材としてテキストがあるのだ。稽古場には日替わりでテキストを持ち込んだりしていろいろ試している。俳優には申し訳ないが、ギリギリまで試行錯誤をさせてほしい。

そうそう、晋がtwitterで呟いていたけど、断片的なモノローグを多用する方法、C.T.T.やアジア舞台芸術祭のときのドラマツルギーというか作劇法は、ポスト・ドラマ的っていうのかな。作ってて僕も面白いんだけど、今の僕の力量だと上演時間30分位が限界な気がしてしまう。今回は40分~45分くらいの作品を作りたいと思っている。あと、テキストの描いているドラマとは別なレイヤーでサブテキストというか別なドラマを構成しなきゃならない。しかも使ってるテキストとも響きあうかたちで。それが意外と難しい。

さあ。今日の稽古で使うテキストをまとめなければ。

「コンセプション」、「なぜベケットか」

劇団員の櫻井から借りた岡田利規 「コンセプション」 を読み終わって、白水社の 「なぜベケットか」 を読んでいる。イノック・ブレイター著。買ってからずいぶん積読してたんだけど、改めて読んでみると写真がいっぱい掲載されていてとても資料価値の高い本だ。というか、ベケットの写真は本人の写真も舞台写真も本当に見ていてぜんぜん飽きない。凄い。

一昨日夜から読み始めてもうじき読み終わるところなのだけれども、タイトルのイメージからベケットを読み解くような本かなと勝手に思ってたのが、どちらかというと伝記よりの印象だった。

ベケットの後期作品は読んでいてそのテキストを上演したい、という欲求を刺激するよりか、舞台作品の演出という行為に対しての、あるいは空間と時間の芸術としての舞台造形の可能性と限界について、自分の思考を深く強く刺激する。あと小説。戯曲よりも小説が読みたくなった。『モロイ』三部作(『モロイ』、『マロウンは死ぬ』、『名づけえぬもの』)、あと『事の次第』、『伴侶』、『よく見えないよく言えない』、『ワーストワード・ホウ』等々。あと機会があればベケットの映像(テレビ)作品を見てみたい。

「コンセプション」 は、岡田利規の対談集。2010年1月~2月に行われた、チェルフィッチュ 「わたしたちは無傷な別人であるのか?」 のリハーサル期間に行われたトークセッションを採録したもの。

言いたいことは分かるんだけど、でもこれ、読み進めるにつけ演出家(や劇作家)にとってもの凄く当たり前の問題意識を、言葉を少し新しくして語り直しているだけじゃないか? という気がしてしょうがなかった。その、言葉を新しくする、ということが重要なのかも知れないけれど。なんというか、読んでて驚きというか発見がない。

最小限の言葉と身体で、例えば 「ビールを片手に持っています。」 と(ビールを持っていないのに)ビールを持っている男を舞台に表象するというのは、ドラマ・リーディング的なト書きを扱って観客のイメージを喚起する手法と何が違うのか。

それよりか、例えば、能の演技では昔、演者が 「泣く」 とわざわざ言っておいてからそれから泣く所作をしていたというような事実を考えてみることのほうが面白いことだったりするのではないか。

言葉と身体と表象されるイメージとの関係について。

などなど、しかしいろいろと自分の考えを深めるきっかけにはなったから結果的には読んで良かったんだとは思う。

9月@鳥の演劇祭3に持って行くショーケース参加作品で使う戯曲の候補について、候補ってまだ決まってなかったのか?って話なんだけど、ちょっとベケットのテキストを検討していて、それで一昨日、上演権について問い合わせたりしてたんだけど、問い合わせ先のフランス著作権事務所の提示して来た上演料がバカみたいに高くってちょっと二の足を踏んでしまった。

どうしたものか。いずれにしても、いつかベケットには取り組んでみたいのだけれども。

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「コンセプション」/岡田利規著
天然文庫

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なぜベケットか/イノック・ブレイター著
白水社

建築家Y氏の結婚パーティー@名古屋

日付が思いきり前後するけど、7/30(土)には名古屋で友人で建築家のY氏の結婚パーティーがあったので名古屋に行って来たのだった。

結婚するということは無条件にめでたいことだと思う。そりゃ、結婚してから苦労もいろいろあるかも知れないけど、この世に生を受けて、何十億という人の中から偶然か必然か、たった一人、そこで出会った相手を生涯の伴侶に選ぶという行為。その奇跡を、僕は心から祝福したい。おめでとう健ちゃん、里英さん。

つか健ちゃん、9歳も年下の嫁さん貰うなんて許し難いな羨ましいぞ(笑)ただでさえ男子のほうが平均年齢が若いんだから、平均値になんか負けないよう、末長く可愛い嫁さんを愛ししてあげて下さい。

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そうそう結婚式では景品で折り畳み式自転車を貰ってしまったのだった。有難う。さっそく世田谷で大活躍していますよ。

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パーティ中盤で友人代表の祝辞を突然求められて、(ホント何も聞かされていなかったので思いつくまま喋っちゃったんだけど、)なんだかほとんど、自分の願望ばかりを喋ってしまったので少し反省しているよ。でもでも、あのとき言ったことは全部本気で、いつか僕のこの夢を君と実現出来れば思っています。別に日本じゃなくたっていい。世界は広いんだ。お互いに視野を広く、志を高く仕事をして行こう!

あのとき語った、自分たちで自分たちの劇場を作る、まで行かなくてもいいから、いつか近いうちに君の美術と僕の舞台とでコラボレート出来ればいいね。名古屋の古民家とか、美術館を利用できるといいなあ。

コメント一覧

| 矢野靖人 url (08.10 01:22) 編集・削除

そうそう。幹事を務めたW家夫妻、司会を務めたK君も、本当にお疲れさまでした! W家には翌日午前までお邪魔してしまい。本当に楽しい時間を過ごさせて頂きました。三人の子供たちにも沢山遊んでもらいました。みんな可愛かった! また遊びに行きたいなあ。

| W妻 (08.10 13:06) 編集・削除

やっくんは次いつ来るの?と娘が言っていました。
忘れられないうちにまた遊びに来て下さいね。

| 矢野靖人 url (08.11 03:21) 編集・削除

うわあ。嬉しいな。ほんと、忘れられないうちに行かないと(笑)

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