C.T.T.名古屋セレクション終わりました。非常に有意義な2日間でした。
ただ、いろいろありましてこれ以降、僕らはもうC.T.T.には参加しないと思います。shelfにはもう参加する意味がない。少なくとも本公演と同じような、上演だけを目的としているカンパニーとは多分、一緒に仕事が出来ない。
これは終わってから初めて気が付いたんだけど、C.T.T.に参加する、ということは僕にとって「他の二団体と一緒に仕事をする」ということでもあったのです。だから企画のコンセプトというか、C.T.T.という「場所」の意味が共有出来てないと、どうにもストレスが溜まってしまう。
事実、カヒローン君も藤井さんも相当のストレスを抱えていたようです。どっちが正しいとか、間違ってるということではなく、コンセンサスが取れていないとお互いに不幸なのだ、ということがいいたいのです。
今回に関していえば、僕は事務局に大いに問題があると思います。参加団体間には当然、目論見や認識の違いがあるはずで、本来そこの溝を埋めるのは事務局の仕事でしょう。誘って参加してもらった演出家に、積極的に自分たちのスタンスを提示して、相手の考えを知って。
C.T.T.とはどういう場所なのか。何故、何のためにこの3団体が合同で試演を行うのか。何故終演後に合評会を行うのか。
勿論そんなものは参加団体によってまちまちだろうし、ただ、安上がりに自作を上演したい、というだけの理由であっても、企画の趣旨に則れば許容されるべきだと思う。だいたいこういうことに正解はないし、だから内容や対象と共に変化してしまっても構わない、むしろ変化して行くべきものなのだろうけどそれでも、少なくとも事務局には、都度明確なスタンスがあって然るべきではないでしょうか。
今回は参加3団体に対しての事務局のスタンスが非常に不明瞭で、場当たり、ゲネの段階はもとより、本番を迎えてからも、二日間、僕らはとても大きなストレスを感じ続けました。
誤解を恐れずにいえば、今回、他の二団体はこれが合同の「試演会」であるということをまったく理解していなかったのではないだろうか。でなければあのように「合評会」の場で下を向いたまま、観客と向き合わずにいられるはずがない。それを苦手だから、と言うなら、合評会付の試演会になぞエントリーせず、自分たちのためだけに、自分たちで公演を打っていればいい。
普通の公演を行うのと同じ感覚で作って、宣伝していればそりゃ、普通にファンがそのカンパニーの作品だけを楽しみに来ますってば。そういうファンに限って、合評会なんて「必要ない」「演出家さんは喋らない方がいいと思います。」とか「作品だけで勝負して下さい。」なんてアンケートを書いて、合評会には参加せず、お目当ての劇団だけを見て帰ってしまう。観客投票だって、他のカンパニーを見なければ投票できないシステムなのにそれを知らないまま3票全部お目当てのカンパニーに投票して途中で帰ってしまったりする。少なくとも参加カンパニーがきちんと「試演会」という言葉の意味を理解していたらそんなアンケートは生まれない筈だと思うのだけれど、それは僕の理想に過ぎないのでしょうか。
名古屋の観客は成熟していないから、、、というのは言い訳に過ぎなくて、作り手側がきちんと趣旨を理解していれば、橋渡しは可能な筈です。少なくとも参加団体に対しては事前に事務局が言葉を尽くして欲しい。言葉を尽くさずに諦めてしまうのは観客をバカにし過ぎです。
あるいは、作品の完成形の上演を企図している団体と、ワークインプログレス作品として上演している団体との両方を受け入れていく方針なのだとすれば、今後は投票システムを撤廃した方がいい。それぞれの立っている土俵が違うのだから、評価のしようがないはずだと思うんだけど、、、どうなんでしょう。
今のままだと、ただのバトルロイヤルな、どっちが笑えるかコンテストみたいな、低レベルのものになってしまうと思います。事務局と参加団体と、お客さんとがルールを共有しないと。ルールなき観客投票なんて茶番です。
観客を選ぶということではなく、けっきょくはこれはC.T.T.という場所の、それを運営する事務局のホスピタリティの問題なのだと思うのです。
変な例えですが、例えばラーメン屋に行ったその隣の席で、ベトナム料理や寿司を食ってるお客さんがいたら気持ちが悪いし、勝手に持ち込みの弁当を広げている客がいたら他のお客さんはきっと混乱すると思うのです。が、そこが例えば街の広場で、そこに屋台がいくつか並んで出店していて、食べる場所場所だけ共有している、しかもその場所にはちゃんと、それぞれのお店のスタッフとは別の食べる場所をケアするためのスタッフ、ウェイターやウェイトレス、クリーンスタッフがいて、お客さんが気持ちよく飲食出来るよう心を配っている。
ラーメンが食べたい人はラーメンを食べればいいし、カレーを食べたい人はカレーを食べるだろうし、あるいはそうやって各国の店舗が並んでいる場所だからこそ、他のお店が目当てでいらっしゃった人にも、今日はラーメンやめてタコライスにしようかな? とか、可能性が開けると思うのです。駅ビルや郊外の大規模小売店に、ありますよね、そういう場所。そういう場所には、そういう場所としての楽しみ方があるように、ラーメン屋に来たつもりだったのになんでカレーをメニューに載せるんだ! と怒る人には、ぜひラーメン屋に行って頂きたい。それが、その劇団が単独で打つ本公演なのではないでしょうか。
僕が、C.T.T.という場所についてのコンセプト、イメージが共有できていないのでは? というのはそういう意味で言っています。お互いの好みの違いは関係なく、そこに来るお客様と何を楽しむのか、のイメージが参加団体同士で共有できるよう、事務局は全力を尽くすべきだと思います。
とまあ、斯様にして問題はいろいろ、笑ってしまうほどあったのだけれど、でも結果には満足しています。
shelfはかなりの良作を制作することが出来ました。その意味では、参加できて本当に良かった。C.T.T.の試演会の場という意味を正しく把握し、その利をきっちり活用出来たのは、僕らだけだったんじゃないかな。
おかげで1月の演目も確定出来たし、上演に向けての大きな可能性と幾つかの実際的な問題を洗い出すことが出来た。客席からも実に沢山のこの作品のための観客、作品制作のプロセスから共に楽しんでくれそうな人たちが見つかったし、何より今回の創作が、ワークショップもあわせてとにかく楽しかった。僕らの考える「悲劇」にはまだまだ可能性がある。アクチュアルな表現を獲得しうる。
ここのところに狙いを絞り込んだ、11月の千種文化小劇場でのワークショップがとても楽しみです。なんとしても参加者全員と答えのない新しい問題について考える、本当の意味での「ワークショップ」を実現したい。
C.T.T.事務局に苦言を呈したのは、あくまでもC.T.T.には大きな可能性があると思っているからです。ただし、現状の本公演と大差ない作品の上演だけを企図しているのであれば、それはおそらく近いうちに誰からも必要とされなくなるでしょう。
演劇を作る側の論理だけで「トレーニング」と称するのは間違っている。アゴラ劇場の支援会員制度ではありませんが、観ることは育てることです。乱暴な言い方をすればC.T.T.は観客にとっても「トレーニング」の「場」と成り得るのではないでしょうか。他でもない自分たちがより芸術文化を楽しむために、観客の皆さんにも消費する意識を乗り越えて、創造に関わって欲しい。それは決してコムツカシイことではなくジャニーズのジュニアを追っかけるような、宝塚の若手を愛でるような、マイナーリーグを楽しむような心持であって構わないと思います。そういう懐の深い、壮大な試みがC.T.T.には似合っている気がします。
今後のC.T.T.名古屋の活動に期待しています。