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稽古、授業、観劇、観劇(2)

昨日11/9(金)は、とあるご縁で立教新座高校の選択授業、「戯曲を創造的によむ訓練」 に、特別講師としてお招き頂きまして、1時限目(8:40am 開始!)という朝も早くの時間から、埼玉県は新座市にあるキャンパスに行って来ました。

授業の内容について、

「“Hamlet”(ちくま文庫版 松岡和子訳)を、既成のイメージや注釈にとらわれず、それらを相対化し新しい“Hamlet”の読みや解釈を試みようという、きわめて向こう見ずな講座です。」

とは、担当のT先生の言葉。

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「読解力をつけるためのテクニックを戯曲の領域で行う」という趣旨のもと4月から通年で1コの戯曲を読み、いろいろと湧き出る疑問を学生同士、自由に議論して来ました。というとても贅沢な授業内容は、確かにご担当のT先生のお人柄あってのものでしょう、何度か事前に、9月から数えて数回、事前に打ち合わせをの場を設けて頂いた上で、また授業に臨む前にいくつか生徒たちに用意しておいて欲しい課題を考えた上で、アシスタントにshelfの川渕優子を連れて“授業”して来ました。

国語の授業、ということで、ややもすれば言葉の「意味」の解釈中心になりがちな先生と生徒たちに、演劇制作の現場に立つ者の視点から、言葉をどう「使う」か。言葉の意味ではなく「価値」というか「機能」について一緒に考えてみたいというのが僕らのメインテーマだったのですが、

いやいや、生半可に演劇をやっている俳優や演出家なんかよりもずっと柔軟で、

しかもそのほとんどが観劇経験1回あるかないかという子たちなのに、とても丁寧に戯曲を読み込んでいて。

ときには彼らの解釈に、僕らの方がはっとさせられることさえありました。

積極的な生徒たちと、たったの100分という短い時間(じっさいには、例によって盛り上がった挙句休憩をすっとばしてしまったので都合120分の、苦笑)でしたが、とても楽しかったです。

川渕も日記に書いていますが、

http://theatre-shelf.org/kwbch/diarypro/

「何より、目で読むのと、声に出してやってみるのとでは、見えてくる世界がこんなにも違うのだと、面白がってくれたことが楽しくて。素直に学生さんたちが驚く姿を見て、ああ、これ大切にしたいなあと」

本当に、僕も心からそう、思いました。機会があったらまた是非、呼んで欲しいです。授業でなくてもいい。彼らにまた会って、いろいろと話をしてみたい。

授業が終わって午後からは、SPAC新作「巨匠」(木下順次/作、宮城聡/演出)を観に静岡芸術劇場へ。

ファイル 55-2.jpg

http://www.spac.or.jp/07_autumn/giant.html

こちらについてはまた機会(と時間)があったら、まとまった文章を書きたいのですが、

宮城さんのSPACでの仕事、立ち居振る舞いを観ていて本当に、いろいろ思い、考えさせられました。演劇の「公共性」、なんていうと鯱張ったイメージが付きまとうのですが、そうじゃなくもっと単純に(演劇の)観客という存在について、いろいろと考えました。

何に感動したって、宮城さんの演出の、木下順二の劇作の手つきがとても丁寧で、誠実で。

ああ。こういうことが、こういうことこそが実はいちばん大事なことなんじゃないのかって。そう思いました。

ともすればどこかで、演劇人が陥りがちな作品至上主義というか、アーティスト至上主義というか。それってあまりに視野狭窄なんじゃないの? という妄信みたいなものや、

その一方でそれを「如何に売るか」とか、自分たちや自分たちの表現をどう「演劇界」に位置づけるか。そのための評価を獲得するか、みたいな、

あるいは作品やアーティストを固定したコンテンツとしてしか捉えられないようなそんなせまっくるしい考え方に対して、どうにかして“そうじゃない”演劇の「可能性」を提案したい。

最近ずっと、そんな想いに駆られていた自分にとって、宮城さんの仕事の誠実さ、丁寧さは心の奥底のほうに、ズシリと響きました。

極端な話、遠くギリシアの時代の演劇を思えば、今とはまったく違う「機能」をこそ、演劇は果たしていたわけだし、当然そのころはマーケティングの発想なんてなかったんだし――資本主義/市場中心の発想の外へ行かなければ、公的な助成のもとで作品を作ることの意義って、実はけっきょく、うまく説明しきれないと思うのです。

  • 2007.11.11 (日) 04:34
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  • Yasuhito YANO

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