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第一回 『作品』 :

特定の条件の下、たとえば公園などで、自分が「気になるもの」や、「好きなもの」、「嫌いなもの」を見つけ、それを他人に対して「説明」してみる。

具体的には、まず、「気になるもの」と、「好きなもの」、「嫌いなもの」を見つける。さらに、この「気になるもの」を、

1.どうでもいいもの
2.大事なもの

とに分ける。

そして、それのどこが、「好き」だったり、「嫌い」だったり、「気になるけどどうでもいい」だったり、「気になる+大事」だったりするのか。他人に説明をしてみる。

好きなものや嫌いなものは、相手も同じ対象を「好き」だったり、「嫌い」だったりすると、その対象を自分が、「好き」だと言ったり、「嫌い」だと言ったりしても、納得されやすい。ただし、それは、単に「相手が」同じものを「好き」だったり、「嫌い」だったりするだけで、自分の「好き」や「嫌い」が、(その実感、質感が、)相手に伝わっているわけではない。

自分が「好き」なものを相手が「好き」じゃない場合は、(あるいはその反対も、)「へえ。」で終わる。か、「なるほどね。」で、終わる。か悪くすると、あなたはそれを好きなのは分かったが、私は別にそれをどうにも思わない。で終わる。

ところで、「気になるもの」で「どうでもいいもの」は、意外にみんな、特別な苦労なく「気になる」ということを共有してくれる。対象への興味を共有して、一緒になって盛り上りやすい。ただし、これも自分の「気になる」が、(その実感、質感が、)相手に伝わっているわけではない。

いちばん重要なのは、「気になるもの」で、かつ自分にとって「大事なもの」。大事な(important)ものは、切実な(serious)ものと言い換えてもいい。

それを自分の「いちばん長くやってきたこと」に関連付けて、話をしてみる。うまくすると、みんな黙って、聞き入ってくれる。そしてその対象を“一緒に”見てくれる。自分の見ているものを見て、自分の感じていることを想像してくれる。

この、“自分の” 世界の見え方、捉え方が、“伝わる”ことが作品ということなのではないだろうか。

だから、例えば自分が好きなものを並べただけでは、観客からそれを支持されたとしても、観客がそれを自分たちなりに「好き」なだけで、作家の「表現」が伝わっているわけではない。作品として成立していない。

先に述べた、「どうでもいいけど気になる」ものは、確かに「対照への共有することができる」=「相手に伝わる」のだけれど、作品を奪われてしまう。(伝わった瞬間、作家が不要になってしまう。)

作家にとっていちばん重要なのは、だから「気になるもの」で、かつ自分にとって「大事なもの」を見つけること。好きなものや嫌いなものではなく。

それだけが、作家と観客をつなぐ回路になる。

ファイル 147-1.jpg

その回路は、ニュートラルでかつ切実なものでなければならない。好き嫌いで判断できるものではなく(=ニュートラルである)、かつ切実なものでなければ(その切実さが作家にとっての切実さである、という意味で、そこで行われている表現が伝わるためには、作家の存在が“必要不可欠”でなければ)ならない。

作品が、作品として成立するためには、何よりもまず「対象」と、対象を指し示す「指」が、あればいい。
 
 

  • 2008.05.28 (水) 17:10
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  • ワークショップ 『まちから作品を創る』
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  • Yasuhito YANO

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