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   <title>Composition / Ibsen</title>
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   <updated>2006-12-28T23:24:58Z</updated>
   <subtitle>shelf 名古屋公演 「構成・イプセンーComposition / Ibsen」 に関する特設サイトです。</subtitle>
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   <title>最終レポート shelf名古屋初日</title>
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   <published>2006-12-28T23:23:05Z</published>
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   <summary>演出と俳優、スタッフのコミュケーションは、開場１０分前まで続いていた。 そのため...</summary>
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      <name>katayama</name>
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         <category term="稽古場レポート" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
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      演出と俳優、スタッフのコミュケーションは、開場１０分前まで続いていた。

そのためどうしても慌ただしが残り、若干の混乱の中、観客は受付から劇場へと入って行った。
演出家は本当に最後まで粘ったのだ。


      劇場に入ると、俳優達はすでに舞台上に待機していた。
全く動かない俳優達の身体が緊張感を作り出している。
照明は直接彼らを照らし出すのではなく、全てが間接照明によって作り上げられている。
形だけは西洋的で、古びれた感のある衣装。
それらが混在となり、クラシカルな、それでいて幻想的な印象を受ける。

しばらくしてどこからか、ノイズのようなとぎれとぎれの音が聞こえる。
それが俳優の一人レギーネ役の佐直由佳子（第七劇場）の口から発せられた歌だと気づくのに、そう時間はかからなかった。

芝居が始まった。
今度はノーラ役の川渕優子（shelf）が口を開く。表題や役の紹介をする。
『構成・イプセン-Composition/Ibsen』
この作品はそうやってつくられた。
芝居の始まりは、僕の稽古場レポートの終わりだ。

僕の仕事は、普段観客が触れることのない稽古場でのレポートを書く事によって、少しでも観客が劇場に足を運ぶ手がかりになればということだった。
なのでこの後は僕が書くべき事ではないと思っている。

だが、このレポートを読んでくれた人の中には、もしかしたらヤキモキしてフラストレーションが溜まる人もいるかと思う、当たり前だ。
なのでもう少しだけ。
他の方が書いた文章を紹介する形でご容赦願いたい。
まずは演出家、矢野靖人の書いた文章を紹介する。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
■ 戯曲「幽霊」 について

ギリシャ悲劇にも比せられるイプセンの傑作。三幕の家庭劇。愛のない結婚を否定しつつも、因襲的な観念に縛られて放縦な夫のもとに留まり、夫亡き後も家名を守るため偽善に終始してきたアルヴィング夫人。夫の偽りの名誉を讃える記念式典を前に、可愛い一人息子のオスヴァルが、病を患って帰ってくる。帰国した息子は夫人の召使いのレギーネを自分の伴侶にと望むが、彼女が他ならぬ彼自身の異母妹であることを知らされる。

親の犯した過ち。その償いをさせられる子。誰もが無自覚なままに繰り返される悲劇。―――法や道徳、宗教への不敬、近親相姦や自由恋愛の擁護、性病など当時の社会ではタブーであった様々な題材を取り扱いながら、近代以降の人間の精神の在り様に迫る、イプセン代表作の一つ。

「わたしたちには取りついているんですよ、父親や母親から遺伝したものが。でもそれだけじゃありませんわ。あらゆる種類の滅び去った古い思想、さまざまな滅び去った古い信仰、そういうものもわたしたちには取りついてましてね、そういうものがわたしたちには、現に生きているわけではなく、ただそこにしがみついているだけなのに―――それがわたしたちには追い払えないんです。」　

■ notes

イプセンは創作に際し家庭劇、ことに現代劇にその基礎を置いた。それは一般に、当時の生活状況や道徳問題について、自らの批評や疑問を紹介するためであったと云われている。しかしながら現在、彼の戯曲がいまだ有効なのは、そこに提示された疑問や批評そのものによってではない。むしろその疑い続けるという姿勢そのものであり、酷薄なほど徹底した人間に対しての客観、悪意にも似た冷ややかな視線がそこに内在する故である。

戯曲「幽霊」において描かれる幽霊とは即ち、広く人間の因襲のことである。そしてまた、遺伝・宗教・社会制度・歴史・家庭等、人間を規定する――しかし実体のない――人間を取り巻く様々な枠組そのものをも含意している。

我々は日常、様々な慣習や常識・理性や、広くは文化といった後天的な制約によって、かろうじて社会と精神の均衡を保っている。にも関わらず「幽霊」は、そこには実はなんの根拠のないことを暴いてしまう。それらすべてを「幽霊」にすぎないと断じ・切り捨てたとき、わたしたちの眼前に日常の深い裂け目が顕わになる。

わたしはその場に立ちすくむ。

足元が揺らぐ。

逃れようとしても決して逃れることはできない、のっぴきならない現実に眩暈を覚える――

「構成・イプセン ― Composition / Ibsen」は、イプセンの戯曲「幽霊」を主軸に、同じく「人形の家」はノーラのテキストを補助線として、近代以降の人間の精神の在りようを改めて検証する試みである。

ギリシア悲劇にも比肩せられる本戯曲の圧倒的なカタルシスをご期待頂きたい。
―――――――――――――――――――――――――――――――――

そして名古屋の評論家亀田恵子さんの書かれた文章を紹介する。

―――――――――――――――――――――――――――――――――
『幽霊』とは、何だろうか？私たちの生きるこの時代における『幽霊』とはいったい、何者なのだろうか？

　客電がついたままの場内。うす暗い舞台上には、５人の役者たちがすでに存在していた。イスに腰かけたり、膝を抱えたまま顔を伏せたりしているが、彼らはピクリともしない。三方向を壁に囲まれた出口のない空間…舞台上には異常ともいえるような張り詰めた空気が流れ、白い衣装を着た女／ノーラ（川渕優子：shelf）が足先を舞台上からわずかにはみ出し座っていることで、舞台空間は外とのつながりを辛うじて保つという奇妙さを漂わせている。静謐なはじまりであった。

　舞台中央には簡素なイスが一客置かれ、そこには愛のない結婚を否定しながらも自らは立ち上がることの出来なかったひとりの未亡人、ヘレーネ・アルヴィングが座っている（三橋麻子：Ort-d.d）。タッチライトに浮かぶ身体の輪郭と、自らの影に沈んだ彼女の顔が一瞬、不気味に微笑んだように見えたあと、彼女の中に同じくイプセンの作品『人形の家』の主人公・ノーラがオーバーラップした。無機質な舞台空間がアッという間に古びた居間に転じる。そこでは彼女と子供たちの弾むような会話が展開するのであるが、子供たちの姿は見えない。彼女の声の抑揚によって、観客は子供たちの存在を感じはするものの、そこに実体はないのだ…アルヴィング夫人の中に棲みついたノーラが、ここで既に過去の遺物として描かれているのだろうか。自らの正義と、真実を求めて愛と家庭（子供を含み）を捨てた女の影が、彼女の中に存在していることが興味深い。

ト書きが読みあげられ、静止していた人物たちが起動した。「…マンデルス、牧師。」そうコールされたマンデルス（木母千尋：第七劇場）のリアクションはコミカルだが、非常に示唆に富んでいる。彼は自分の名が呼ばれると目覚めたように顔を上げるのだが、「牧師」と使命を受けると驚いたように自分を指さし、そして了解するのだ。これは、この物語の悲劇的な要素の核ともなるべきポイントのように私には思われる。人間は自らの意思で、この世に生まれてくることもなければ運命なるものの存在を知るすべを持たない。私たちの多くはマンデルスのように、無自覚に『自ら』を受けいれていくが、疑問のない受容がどれほど悲劇を生むかということ、この意識が本作品の大きなテーマにもなっていると感じたからである。

　本作品は多くの『異和』を含んでいる。含んでいるというよりも、むしろそれらによって仕組まれた虚構のイリュージョンだといえるかも知れない。

　アルヴィング夫人の息子、オスヴァル・アルヴィング（凪景介：Ort-d.d）の登場などはまさにそれを体現している。彼は舞台上に、観客の見える場所にはじめから存在していたのであるから、その人物が虚構の中の虚構に登場するにはこういった切り口が必要なのかも知れない。静かに舞台奥から歩をすすめ、右手からアルヴィング夫人とマンデルスが会話をしている居間に入って来るのだが、突然大声をあげ、アルヴィングたちの前を転がりながら左手に移動する。立ち上がっての彼のセリフは「失礼??書斎の方かと思ったもんで。いらっしゃい、先生。」というものである。大声で叫び、目の前を転がったあとで「失礼」も何もあったものではない、本来ならば。こんな異和がこの虚構空間では常套ルールとして場を支配し、観客はそのルールを驚きの中でキャッチしながら作品へと入っていく。見えていないもの、見えているもの、見えるはずのないもの…それらが、音楽の旋律にも似たセリフの、独自な解体によって提示され、観客はこういった状況の中で『幽霊』の登場を待つことになる。非日常では説明不可能な存在について、この作品はそれを説明可能にするシステムを持ったといえるだろう。『幽霊』とは何か、冒頭のこの問いがあらわになっていく。

わたしたちには取りついているんですよ、父親や母親から遺伝したものが。でもそれだけじゃありませんわ。あらゆる種類の滅び去った古い思想、さまざまな滅び去った古い信仰、そういうものもわたしたちには取りついてましてね、そういうものがわたしたちには、現に生きているわけではなく、ただそこにしがみついているだけなのに???それがわたしたちには追い払えないんです。」アルヴィング夫人は作品の中で言う。ここで言われている遺伝とは、この作品が発表された時代に１つの衝撃となって受け止められた性病という点への指摘だけではないだろう。現代的な事象に例えるなら、幼児虐待を受けて育った子供のその後や、自殺者を親に持つ子供の未来といったことに置き換えることも可能だ。古び去った思想や信仰への指摘だが、これは（私個人の考えにもよるが）それを享受する人間の側の形骸化である。マンデルスが、自分に牧師という天職が担わされたとき、なぜ何の疑問も苦悶もなく受け入れたのかということと同じである。思想そのものは時代を反映するという点でいえば、確かに古くなる存在であることは否めない。しかし、もっと問題なのはその思想に対する私たちの側の意識ではないだろうか。与えられたことに対して自問自答を忘れ、そこから派生する問題への意識、また感謝を忘れた者に、真のいのちなど存在するだろうか？これは思想の受容だけにとどまらない。『生きる』ことを問い、苦悶し、立ち上がろうとしない人間への警鐘であろう。舞台中央で『幽霊』を恐れるアルヴィング夫人はすでに、生きながらにして『幽霊』と化しているのだ。

ラストシーン近く。今や、二人きりとなったアルヴィング夫人とオスヴァルは夜明けを迎えながら、徐々に明るさを取り戻しつつある居間にいる。窓からはキラキラと輝く氷河と山々の峰が壮絶な現実をあざ笑うかのように見え、先ほど出て行ったはずの異母兄妹のレギーネ（佐直由佳子：第七下劇場）が、アルヴィング母子の様子を腕組みをしながら見ている。異母兄の、犠牲者としての最期を見つめる目はどこか他人事のようでもあったが、いよいよ兄オスヴァルが発作のあとにグッタリと子供ようになり、母アルヴィング夫人が絶叫するシーンでは悲しげな表情を浮かべた。それは今なお、止むことなく続けられる無自覚な受容と、自ら立ち上がろうとしない私たち自身、その犠牲となって死んでいく何か…そんなものを見つめる視線と重なる気がした。演出家の矢野靖人がフライヤーで観客に約束した『圧倒的なカタルシス』が、もしかしたらここに成就していたのかも知れない。
―――――――――――――――――――――――――――――――――

最後に一言だけ、僕の感想を。

もしこのレポートに興味を少しでも持っていただけたのなら、是非劇場へ足をお運びください。
演劇とは文学の立体化ではなく、また一部の人間が占領する表現ではない。

私とあなたの間にある、目に見えない、しかし確かにそこにある何かを目に見えるようにする表現なのだ。

shelfの表現はまさにそれだった。
稽古場レポートはその苦闘の跡だった。
その行為そのものが、演劇なのだ。
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   <title>稽古場レポート いや、shelf名古屋公演初日</title>
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   <published>2006-12-28T23:21:59Z</published>
   <updated>2006-12-28T23:25:55Z</updated>
   
   <summary>昼から再び七ツ寺共同スタヂオへ。 実は本日、ポストパフォーマンストークのゲストも...</summary>
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      昼から再び七ツ寺共同スタヂオへ。
実は本日、ポストパフォーマンストークのゲストも頼まれている。
昨日の打ち合わせの続きを挟みながら、稽古を見学させてもらうことにする。


      まず楽屋に挨拶に行く…昨日と同じ状況だったらどうしようと心配がつきまとう。
……おはようございます。
「おはようございます」
あれ？普通に返事が帰ってくる。
和気あいあいと衣装を着け、メイクをしている。
…なんだか皆、吹っ切れてやんの。
嬉しいんだけど、拍子抜けしてしまった。
事情を聞くと、昨日の稽古後お互いに話し合い、今日の進め方についてかなり意見を交換したとの事。納得して朝を迎えた訳だ、それならこっちにも教えてくれよ…どれだけ心配したと思ってんだ…全然寝てないのよ、僕は。

通し稽古を観ると、確かに東京での稽古よりも面白くなっている。
七ツ寺という空間の持つ力を最大限に生かしている。
shelfにはこういう緊張間のある場がよく似合う。
僕は成功を確信すると、自分の仕事へ戻った。
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   <title>稽古場レポート shelf名古屋公演前日</title>
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   <published>2006-12-28T23:18:04Z</published>
   <updated>2006-12-28T23:18:38Z</updated>
   
   <summary>ずいぶん遅れてしまった。 書かなくては。 shelf名古屋公演のレポートの続きで...</summary>
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      ずいぶん遅れてしまった。
書かなくては。
shelf名古屋公演のレポートの続きです。
１１月２９日の夜から続きます。

      ――――――――――――――――――――――――――――
夕方には名古屋に到着するはずだったが、用事の為ずいぶん遅れてしまう。
名古屋駅に到着したのは、２２時になろうかという時間。
新幹線口では地元のカンパニー「双身機関」の寂光さんが迎えに来てくれていた。
車で公演場所の七ツ寺共同スタヂオに送ってもらう。
途中来年のお互いの予定と、shelfの状況について話す。

到着後、舞台を覗いて見ると何やら演出の矢野君が煮詰まっている。
そのまま知らないフリをしようかと思ったが、自分の使命を思い出し、挨拶をする。
現在の状況は、かなり悪いようだ。
しばらく話を聞き、２階楽屋の俳優達に顔を出す。
彼らの顔も暗い。
というか、そこにいる出演者初めスタッフ全員の顔が下を向いている。
……。
俳優達とも話をする。
どうやら最後の稽古の時点で、演出家と作品のつくり方について差異が大きくなってしまったらしい。

今回、shelfは演出の矢野君、俳優の川渕さんの２名しかいない。
しかし川淵さんはまだ入団したばかりで、shelfの演劇を体現しているとは言いがたい。
他の俳優は全て客演の為、演出家の意図をすぐに演じることができず、停滞してしまった時間が東京でも何度か見て取れた。
混乱した原因の一端だったのだが、それが公演前日にも起こってしまった。

俳優の１人、Ort-d-dの三橋麻子さんが「こんな時間が無い状況だから、作品を成立させる事を優先して、自分達から演出にあわせた方が良いのだろうか」ということを聞いてきた。
それに対して私は「あなた達は役者なのだから、あくまで役者としての要望を演出家に伝えるべきだ。俳優達が演出家の様に考える必要は一切ないだろう」と答えた。
その際、１階で矢野君に「君が進めたい様に俳優達を説得するべきだ、ここから先は我慢比べだ」と話をした事は黙っておいた。

矛盾しているように思えるかも知れない。
だが私は演出家と俳優のどちらかがどちらかに遠慮をするような表現行為を観に、わざわざ一週間稽古に付き合い、名古屋まで足を運んだ訳ではない。
そしてそんな、なあなあな行為を演劇と呼んだ覚えは無い。
そう考え、それぞれに自分たちの職務を全うするよう意見を伝えたのだ。
どちらにも誠実に答えた。

それだけを喋ると、僕は自分の来年度の公演打ち合わせの為、メガトン・ロマンチッカーの刈馬カオス君、来々舞子さんと近くの店に移動した。
途中TPTの大橋君も合流し、打ち合わせは日付が変わってもまだ続いた。
合間合間の話題に出るのは、どうしてもshelfの事だった。

大橋君に名古屋駅まで送ってもらい、僕は宿に向かったのだが、どうしても気になるのは明日の公演の事だった。 
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   <title>shelf 名古屋公演 「構成・イプセンーComposition / Ibsen」 公演レビュー</title>
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   <published>2006-12-09T02:36:09Z</published>
   <updated>2006-12-10T05:42:16Z</updated>
   
   <summary>☆2006年12月1日　19：00～　名古屋七ツ寺共同スタジオ ☆演出：矢野靖人...</summary>
   <author>
      <name>kameda</name>
      
   </author>
   
   
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      ☆2006年12月1日　19：00～　名古屋七ツ寺共同スタジオ
☆演出：矢野靖人／出演：ｓｈｅｌｆ


････････････････････････････････････････････････････････････････････････・・・・・・・・・・・・・・・・

　『幽霊』とは、何だろうか？私たちの生きるこの時代における『幽霊』とはいったい、何者なのだろうか？


　客電がついたままの場内。うす暗い舞台上には、５人の役者たちがすでに存在していた。イスに腰かけたり、膝を抱えたまま顔を伏せたりしているが、彼らはピクリともしない。三方向を壁に囲まれた出口のない空間…舞台上には異常ともいえるような張り詰めた空気が流れ、白い衣装を着た女／ノーラ（川渕優子：shelf）が足先を舞台上からわずかにはみ出し座っていることで、舞台空間は外とのつながりを辛うじて保つという奇妙さを漂わせている。静謐なはじまりであった。

      　舞台中央には簡素なイスが一客置かれ、そこには愛のない結婚を否定しながらも自らは立ち上がることの出来なかったひとりの未亡人、ヘレーネ・アルヴィングが座っている（三橋麻子：Ort-d.d）。タッチライトに浮かぶ身体の輪郭と、自らの影に沈んだ彼女の顔が一瞬、不気味に微笑んだように見えたあと、彼女の中に同じくイプセンの作品『人形の家』の主人公・ノーラがオーバーラップした。無機質な舞台空間がアッという間に古びた居間に転じる。そこでは彼女と子供たちの弾むような会話が展開するのであるが、子供たちの姿は見えない。彼女の声の抑揚によって、観客は子供たちの存在を感じはするものの、そこに実体はないのだ…アルヴィング夫人の中に棲みついたノーラが、ここで既に過去の遺物として描かれているのだろうか。自らの正義と、真実を求めて愛と家庭（子供を含み）を捨てた女の影が、彼女の中に存在していることが興味深い。

　ト書きが読みあげられ、静止していた人物たちが起動した。「…マンデルス、牧師。」そうコールされたマンデルス（木母千尋：第七劇場）のリアクションはコミカルだが、非常に示唆に富んでいる。彼は自分の名が呼ばれると目覚めたように顔を上げるのだが、「牧師」と使命を受けると驚いたように自分を指さし、そして了解するのだ。これは、この物語の悲劇的な要素の核ともなるべきポイントのように私には思われる。人間は自らの意思で、この世に生まれてくることもなければ運命なるものの存在を知るすべを持たない。私たちの多くはマンデルスのように、無自覚に『自ら』を受けいれていくが、疑問のない受容がどれほど悲劇を生むかということ、この意識が本作品の大きなテーマにもなっていると感じたからである。

　本作品は多くの『異和』を含んでいる。含んでいるというよりも、むしろそれらによって仕組まれた虚構のイリュージョンだといえるかも知れない。

　アルヴィング夫人の息子、オスヴァル・アルヴィング（凪景介：Ort-d.d）の登場などはまさにそれを体現している。彼は舞台上に、観客の見える場所にはじめから存在していたのであるから、その人物が虚構の中の虚構に登場するにはこういった切り口が必要なのかも知れない。静かに舞台奥から歩をすすめ、右手からアルヴィング夫人とマンデルスが会話をしている居間に入って来るのだが、突然大声をあげ、アルヴィングたちの前を転がりながら左手に移動する。立ち上がっての彼のセリフは「失礼――書斎の方かと思ったもんで。いらっしゃい、先生。」というものである。大声で叫び、目の前を転がったあとで「失礼」も何もあったものではない、本来ならば。こんな異和がこの虚構空間では常套ルールとして場を支配し、観客はそのルールを驚きの中でキャッチしながら作品へと入っていく。見えていないもの、見えているもの、見えるはずのないもの…それらが、音楽の旋律にも似たセリフの、独自な解体によって提示され、観客はこういった状況の中で『幽霊』の登場を待つことになる。非日常では説明不可能な存在について、この作品はそれを説明可能にするシステムを持ったといえるだろう。『幽霊』とは何か、冒頭のこの問いがあらわになっていく。

　「わたしたちには取りついているんですよ、父親や母親から遺伝したものが。でもそれだけじゃありませんわ。あらゆる種類の滅び去った古い思想、さまざまな滅び去った古い信仰、そういうものもわたしたちには取りついてましてね、そういうものがわたしたちには、現に生きているわけではなく、ただそこにしがみついているだけなのに―――それがわたしたちには追い払えないんです。」アルヴィング夫人は作品の中で言う。ここで言われている遺伝とは、この作品が発表された時代に１つの衝撃となって受け止められた性病という点への指摘だけではないだろう。現代的な事象に例えるなら、幼児虐待を受けて育った子供のその後や、自殺者を親に持つ子供の未来といったことに置き換えることも可能だ。古び去った思想や信仰への指摘だが、これは（私個人の考えにもよるが）それを享受する人間の側の形骸化である。マンデルスが、自分に牧師という天職が担わされたとき、なぜ何の疑問も苦悶もなく受け入れたのかということと同じである。思想そのものは時代を反映するという点でいえば、確かに古くなる存在であることは否めない。しかし、もっと問題なのはその思想に対する私たちの側の意識ではないだろうか。与えられたことに対して自問自答を忘れ、そこから派生する問題への意識、また感謝を忘れた者に、真のいのちなど存在するだろうか？これは思想の受容だけにとどまらない。『生きる』ことを問い、苦悶し、立ち上がろうとしない人間への警鐘であろう。舞台中央で『幽霊』を恐れるアルヴィング夫人はすでに、生きながらにして『幽霊』と化しているのだ。

　ラストシーン近く。今や、二人きりとなったアルヴィング夫人とオスヴァルは夜明けを迎えながら、徐々に明るさを取り戻しつつある居間にいる。窓からはキラキラと輝く氷河と山々の峰が壮絶な現実をあざ笑うかのように見え、先ほど出て行ったはずの異母兄妹のレギーネ（佐直由佳子：第七下劇場）が、アルヴィング母子の様子を腕組みをしながら見ている。異母兄の、犠牲者としての最期を見つめる目はどこか他人事のようでもあったが、いよいよ兄オスヴァルが発作のあとにグッタリと子供ようになり、母アルヴィング夫人が絶叫するシーンでは悲しげな表情を浮かべた。それは今なお、止むことなく続けられる無自覚な受容と、自ら立ち上がろうとしない私たち自身、その犠牲となって死んでいく何か…そんなものを見つめる視線と重なる気がした。演出家の矢野靖人がフライヤーで観客に約束した『圧倒的なカタルシス』が、もしかしたらここに成就していたのかも知れない。


　　　文責／Arts＆Theater→Literacy：かめだけいこ


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   <title>カテゴリ「サロン」を追加しました。</title>
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   <published>2006-12-02T04:05:58Z</published>
   <updated>2006-12-02T04:08:32Z</updated>
   
   <summary> shelf名古屋公演「構成・イプセン―Composition/Ibsen」につ...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://theatre-shelf.org/blog/">
      
shelf名古屋公演「構成・イプセン―Composition/Ibsen」について、
366.0プロジェクトについて、等々。
ご意見・ご感想など何でもかまいません。お気軽にコメントをお寄せ下さいませ。

      
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   <title>稽古場レポート ７日目　東京稽古最終日</title>
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   <published>2006-11-29T09:43:22Z</published>
   <updated>2006-11-29T09:41:20Z</updated>
   
   <summary>本日は東京稽古最終日。 19時から通しの予定で、 Ort-d.dの倉迫さんも来る...</summary>
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      <name>katayama</name>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://theatre-shelf.org/blog/">
      本日は東京稽古最終日。
19時から通しの予定で、 Ort-d.dの倉迫さんも来るらしい。

用事を済ませ、なんとか通しの20分前に到着。
既に衣装を着て稽古をしていた。
照明さん、音響さんはじめスタッフも揃っている。

部屋に入った瞬間、空調のせいなのか急に咳き込んでしまう。
先月七ツ寺に泊まったときから体調が戻らない、埃アレルギーになってしまったのだろうか。
何回か出入りして薬を飲んだり、うがいをしているといつの間にか倉迫さんがいる。
挨拶をして、しばらく待つ…が、なかなか通しが始まらない

19時を回ったがまだ稽古をしている、どうやら今日は通しをしないようだ。
そのまま時間いっぱいまで稽古。
さまざまな事柄を残しつつ東京稽古終了。

はたから見ていると、矢野君は俳優と我慢比べに入ったのだと思う。
水面下では、泥臭い、しかしある種誠実な表現の戦いが行われていた。
お互いに洗面器に顔を突っ込み、どちらが先に顔を上げるのか。
それは名古屋へ持ち越されたのだ。

さて、図らずも東京稽古では芝居の完成形を観ることはかなわなかった。
少しでも宣伝の為になればと考えこのレポート（レポートなのか？）を書いてきたが、shelfの印象については初日の段階であるていど文章化にしたのではないだろうか。
自分なりにもう一度整理してみようと思う。

まず緊張感。
俳優は自分の存在する空間全てに意識をめぐらし、そこで起こったイレギュラーな音（床の軋み、足音、服の擦れ合う音）まで全てを認知する。

そして身体。
「立つ」という事を徹底的に稽古で行う、その「身体」と身体から出た「言葉」は緊張感を増幅させる。

つまり空間、身体、そしてそこに存在する目に見えない緊張感の微妙な関係がそこにはある。
俳優はそれについていつも微調整を強いられる。
何かが少しだけいつもと違うと、それを修正しない限りフィクションが成立しなくなる。
それが執拗な稽古の繰り返しの理由ではないだろうか。

表現には目に見える表現と、目に見えるがよく目を凝らさないと見えない表現が存在する。
いわゆる演劇のほとんどは前者の「目に見える表現」を行っている。
shelfは圧倒的に後者だ。
この「目に見えにくい表現」は日常では、なかなか気づくことができない。
例えば
車に興味がない人にとっては、いくら日常を暮らしていても車の情報はあまり認知されない。
ところが、いったんそれに気づくと世の中にこんなに車の情報があふれていたのかと、驚愕するはずだ。
「車」を自分の興味があるものに置き換えてみると判りやすいと思う。
世界は、みずから興味を持たない人には薄情なのだ。

矢野靖人という演出家にとって、戯曲はテキスト以上の意味を持たないのではないだろうか。
「目に見えない表現」を目に見える「戯曲」を通過させることによって、観客へ届ける。
その中により目に見えるようにする幾つかの仕掛けがある。
それは言葉であったり、身体であったり、空気であったりする。

ああ、
ここまで書いて、私は私の無力さを痛感する。
全てを言葉にする事が、今の私には不可能だ。

だが、
だがしかし、
それだから演劇という表現があるのだと思う。
私は劇作/演出家という職に足を踏み入れたのだと思う。

果たしてこれは何かの役に立つのだろうか、レポートなのだろうか。
きっと30日からのshelfの本番でも同じことを思うのだろう。

果たしてこれは演劇なのだろうか。

まとめは30日まで持ちこそうと思う。
本番が待ち遠しい。

この一週間は、私にとって、演劇のための演劇だった。
その問いかけはまだまだ続くのだ。
      
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   <title>稽古場レポート ６日目　番外編</title>
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   <published>2006-11-29T09:39:24Z</published>
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   <summary>本日矢野君は来ない。 自身のワークショップ発表会なのだ。 私は昼から劇団会議、そ...</summary>
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      本日矢野君は来ない。
自身のワークショップ発表会なのだ。

私は昼から劇団会議、その後すぐに後輩の芝居を観劇、その後自主稽古に顔を出して芸術劇場で山の手事情社を観劇の予定。

あぁ、なかなかに素晴らしい予定だ、グスン。

劇団会議で思った事を正直に話し、レスポンスを受ける時間がないまま池袋シアターグリーンへ観劇。
その後谷本、松丸と再度合流して飯を食べながら打ち合わせ。
東武百貨店で銀のぶどうへ寄り、差し入れ購入。

谷本、松丸と一緒にしばし見学。
俳優達は読み合わせをしていた。
なので特筆する事はなかったりする。
谷本を皆さんに紹介する。

20分ほど見学して芸術劇場へ。
途中谷本と鈴木メソッドや、ギリシャ悲劇について話す。

山の手を観るのは久しぶり。』
俳優、大久保美智子さんに無理を言って席を取ってもらったのだ。
作品はメーテルリンクでお馴染みの『青い鳥』
最初、客席の反応はどうなるかと思ったが、徐々に理解しだし、いつの間にか山の手ワールドに巻き込まれる。
最初から最後まで教訓めいた話なのだが、最後は「青いトリモチ。という冗談落ち。
観終わって何も残らない、素晴らしい。
大いに芸術的な刺激を受けました。
大久保さん素敵でした。

帰宅前に雨が降っていて、傘を購入。
うちには傘が、いったい幾つあるのだろう。

帰宅後お風呂に入ってすぐに就寝。
思ったより自分が疲れている事に気付く。

      
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   <title>稽古場レポート ５日目</title>
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   <published>2006-11-29T09:37:58Z</published>
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   <summary>本日は18時30分から見学。 今日は通しが19時から行われる。 私は２場の途中か...</summary>
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      本日は18時30分から見学。
今日は通しが19時から行われる。
私は２場の途中から３場までしか観ていないので、ようやくこ
の芝居の全貌がつかめる。

いやー、今まで何を書けばいいのか考えるのが辛かったよ。

見学者の中に知った顔がチラホラいる。
そのうちの一人、NEVER　LOSEにも客演した事がある小田さやかさんに「なんでいるんですか？」
と声を掛けられる。
うん…なんでいるんだろうね、僕もわからないや…
とは言わず、小田さんが参加してくれた『AM 3:00』から名古屋との交流が始まった事を告げる。
彼女はAAFリーディングでOｒｔチームの一員で名古屋公演の経験もある女優だ。
不思議な繋がりを実感しつつ、演劇界の狭さに触れる。

19時15分から荒通しが始まった。
何人かの役者は衣装を着け、所作や動きに支障がないか確かめるらしい。
残念ながら今日の稽古場は床が絨毯敷きで、いつもと勝手が違うみたいだ。
プロンプがいないので、私がその役を仰せつかる。
しかしだ、稽古を見ていない箇所だとそれが演出なのか、台詞を忘れたのかまったくわからない。
そういう芝居なのだ。
この俳優達は台詞を忘れたくらいでは意識が崩れない。
なのでわからない。
するとプロンプが遅れる。
結局演出家が代わりに台詞をあてる。
あぁ…私はあまりお役に立てませんでした、すみません。
しかも途中で「あれ？もしかしてこの内容書けないよね？ネタバレになるし…また書くことないや…」ということに気づく。
どうしよう。
結果だけ報告することにする。

１時間３０分程で通しは終了した。
出来は、悪かった。
俳優は思いのほか打ちのめされている。
でもそれを認めない成功はありえない。
それを確認していた。
当たり前のことに思えるかもしれないが、当たり前のことをちゃんとやれている人達は本当に少ないのだ。

稽古終了後、矢野君は音響の打ち合わせの為新宿へ。
私は俳優達や他の見学者と一緒に、居酒屋へ。

打ち合わせや細々とした用事のせいで、純粋な稽古時間が少しずつ削られてきた。
明日は矢野君が演劇千年計画のワークショップ発表会の為、稽古はない。
俳優は自主稽古をするみたいだ。

      
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   <title>稽古場レポート ４日目</title>
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   <published>2006-11-28T08:28:54Z</published>
   <updated>2006-11-28T08:30:23Z</updated>
   
   <summary>また冷え込みが厳しくなってきた。 少し用事があり、19時30分から見学。21時に...</summary>
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      また冷え込みが厳しくなってきた。

少し用事があり、19時30分から見学。21時には稽古終了なので、今日は余り観られない。
昨日の暖房を切った稽古場の様子を考え、俳優たちはきっと寒かろうと思い、マツキヨで「貼るカイロ」を購入する。

稽古をしている「みらい館大明」は旧小学校を利用した稽古場だ。
懐かしい教室のドアを横にスライドさせると…暖房がしっかり効いていた。
今日は前半に演出意図や段取りを決め、後半に一回だけ通して確認をするらしい。
皆コーヒーやしょうが湯を飲んでいる、暖かそう。
…あれ？と思いながらコソコソとカイロを渡す、必要なかったなぁ。

矢野君にしょうが湯を入れて貰い、クッキーをつまみながら皆の打ち合わせをボーっと見学する。
話はずいぶんと進んでいるので、皆が何を話しているのか余り理解できない。
周りが優しくし気を使っててくれる分、なぜか物悲しくなってしまう。
場所が旧教室のせいだからなんだろうか、外が寒かったせいだろうかアンニュイな気分になる。
アンニュイって言葉久しぶりに使ったなぁ、今の子はわからないだろうなぁ、まてよ？はたしてこれは稽古場レポートなんだろうか。
とそんな事を考えていると20時30分頃から、立ち稽古がはじまった。

初めてつけられた段取りや意図をよく咀嚼して、俳優達が動き出す。
時間を気にしながら最後まで進んだ。

これで明日は最初から最後まで通せる。
まだ形になりきれていないが、明日はようやく全貌がわかる。
今日は11月24日金曜日。
名古屋入りまであと少しだ。
      
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   <title>shelf 紹介、応援メッセージ：河村梓 （俳優）</title>
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   <published>2006-11-28T07:00:00Z</published>
   <updated>2006-12-04T08:05:21Z</updated>
   
   <summary>ドキドキしてるんです。 わくわくしてるんです。 みんなには内緒にしておきたいよう...</summary>
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      ドキドキしてるんです。
わくわくしてるんです。

みんなには内緒にしておきたいような、でもたくさんの人に知ってもらいたいような。
早く！って気持ちと、もったいないからまだとっておきたい気持ちと。

う～ん、例えて言うなら遠距離恋愛中の彼氏にもうすぐ会える！みたいな感じ？

あっ遠足前日！
文化祭直前とか！

いやいや、でもやっぱり恋愛の方がしっくりくるこの感覚。

そもそも別に何かに例える必要はないんですがね。


      ええと、何かと言いますと、今あたしが恋に落ちちゃっているカンパニー“shelf”の初名古屋本公演がいよいよやってくるんです。

演出の矢野さんとは偶然の出会いから一年ぶりの再会、そして先月から今月にかけて二度のワークショップと、数度の飲み会と。
なんだか、東京の人とは思えない急接近ぶりです。


そもそもあたしとshelfとの出会いは昨年のAAF。
リーディング４本立ての企画のうち、一本目がshelfによる『大熊猫中毒』でした。

リーディングと言うものを見たことがなく、「役者が座って台本持って読むんでしょ？」と思い込んでいたあたしは、度肝を抜かれました。
動いてる！！
ものすごく低レベルな驚きです（笑）
思い込んでいたあたしがいけないんですけど。

そして、観客が一番驚きと戸惑いを感じていたのが、作品の構造。
台本を読んでいる役者（という役？）同士の関係性が、物語の進行と共に変化していくんです。
そのあたりはセリフ以外の要素によって見えてくるわけですよ。

何じゃこりゃ！と訳が分からないままに終演。
でもこの訳が分からないという感覚は決して悪いものではなく。
後からじわじわと馴染んでくるんです。
感覚的なものを、理論的に捉えようとしていたから余計に訳が分からなかったんですね。
理論に裏打ちされた、でも非常に感覚的なお芝居なんです。


その後、偶然東京で出会い、一晩一緒に飲んで。


で、先月です。
演劇オープンラボというワークショップの企画があり、検討の結果、４人の演出家の中から、矢野コースを選択。
３日間（約１０時間）に及ぶワークショップは、あたしの心と体には新鮮なことがいっぱい。
いままで意識していなかったり、逆に無駄に意識していたことがたくさんあることに気付きました。
濃密な３日間と最後の発表を終えた後の受講生同士の一体感も、なんとも言えない心地よさでした。
とても短い期間だったとは思えません。


そして11/14に参加した戯曲を読む講座。
ラボの時とはまた違う（“読む”という点において）、でも根底にあるものは全く変わらず。
こちらでも貴重な体験をしました。


この２回のワークショップを通して、AAFの後“？”だったことが“！”に変わっていたり。
shelfの楽しみ方がだんだん分かってきた気がします。


だからね、ここで今回の公演を見たらあたしはどうなるんだろう、どう感じるんだろう、何を思うんだろうってことが個人的に楽しみなんですよ。

もちろん、戯曲を読む講座で始めの方だけ読んだあの本が、会場にどう立ち上がって来るのかも楽しみです。
一部構成台本を見せてもらいましたが、…は？ってト書きがいっぱい。
ワークショップのト書きにも驚きましたが、その比じゃありません。
いつか女優に訴えられるんじゃないかと思います（笑）
でも、期待はますます膨らみます。


というわけで、声を大にして言いたい。

「是非観てください！感じてください！！」


ふざけた感じの文章になっちゃいましたが、本当におススメです。
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   <title>AAF戯曲賞ドラマリーディング shelfリミックス『大熊猫中毒』</title>
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   <published>2006-11-28T03:33:54Z</published>
   <updated>2006-11-28T03:38:59Z</updated>
   
   <summary>というわけで名古屋に行ってきたんです。 目的は、タテヨコ企画の好宮温太郎（以前客...</summary>
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         <category term="過去公演レビュー" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
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      というわけで名古屋に行ってきたんです。
目的は、タテヨコ企画の好宮温太郎（以前客演）と藤崎成益（10月客演）が参加するAAF戯曲賞ドラマリーディング shelfリミックス『大熊猫中毒』観劇と刈馬カオス君のドラマリーディングワークショップの見学、そして夏バテ気味なのでひつまぶしを食べるためです。

前々日からの日記にも書きましたが、25日に台風に逆らうように名古屋に向かいました。

13時から16時30分まで刈馬カオス君のドラマリーディングワークショップの見学。
普通の公演とリ－ディングの違い、朗読とリーディングの違いなどを、リーディングを全く知らない私にも大変わかりやすく説明していただきました、というかこのわずかな時間で目の前で観せてくれました。
こんな講習を一番最初にやられたら、他の講師の皆さんは大変です。
このドラマリーディング黎明期、共通の考え方はまだ整っていないので「リーディングとは一体なんだろう？」「私の考えるリーディングとは」の２点を基点に講習をするしか無いと私は思うのですが、刈馬君はそれを全部やってしまったな。
初日にそれをやられたら、後の人達はちょっと困ってしまうな。
さすがです、うん。

終了後、栄でうどんをするする食べ終え、なぜか知らない人に道を聞かれ、再び芸文へ向かい観劇。いや観劇と言って良いのだろうか、観ドラマリーディングへ。
この公演のコピーは「耳でみる　劇を聞く」さあ、一体どんな表現が行われるのだろう
前売りは芳しくなかったようですが、どうしてどうして。開演前に客席は埋まり増設までしていました。客層はちょっと年齢高めです。

私は客席の一番後ろ、真ん中の席に座りました。一番観やすい所です。
舞台は数十ｃｍ高くなっていますが、何もない黒い素舞台。奥にあるスピーカからノイジーなサウンドが静かに空間を包んでいます。
ノイジーと言っても耳障りな「キーン」という音ではなく「ブ－」とか「ボー」とか接触不良時や電気製品の駆動音、いやアンプの音なのか？
それが心臓の鼓動のような一定の周期でくり返されてます。

しばらくして奥から中華風な衣装を着た役者が登場、中華「風」です。舞台上にずっと停まっています。「止まる」ではなく「停まる」といった感じでしょうか。
ノイジーサウンドが流れるまま動かない役者達（約8分間！）開演諸注意のアナウンス（これどうにかなんないんだろうか）の後、
サウンドが停止して静寂、俳優の口からそれぞれ、なんと形容していいのか「あー」「うー」という音が出てくる。ずっと停まっていた身体から発せられた言葉はそれだけで劇的でした。
言葉の後はそれぞれランダムに動き始め、触ろうとしたり歩いたり身体的にコミュニケーションを取ろうとする。しかしそれはあまり上手くいっていないらしい。
「うー、これはドラマリーディングなのだろうか、早く読めっちゅうの」
そう思い始めた瞬間、役者は舞台上に落ちていた『大熊猫中毒』の台本を拾い、読みはじめる。
そうやってこの公演は始まった。

この時点では観客と演出と戯曲、役者自身と役、言葉と身体はすべて分離していました。
あの空間にいた私達はコミュニケーションの不全に落ち入っていました。
それぞれが解りあえない関係、バラバラに存在している。それが僕ら現在に生きる都市生活者のリアリティ。それを共有していました。
いや頭では誰だって理解しているんです。君と僕とは違う人間で、僕らは解りあえない。
でもそれを演出家が表現として提示するのは、かなり勇気のいる事なんです。
だって、
それを見せられてもつまらないから。
目の前で自分と関係ない、わけのわからない事が行われていてもつまんないでしょ？それをお金を払って時間を割いて劇場まで足を運ぶなんて、そんな事できないですよ。

演出家の矢野靖人はこの冒頭でそれをあえて提示し、それぞれを「解りあえない関係」と位置付けしたうえで、『大熊猫中毒』という一遍の戯曲で関係を結び付けようとしたのではないでしょうか。
なぜなら『大熊猫中毒』という戯曲の内容は、関係不全を通して『大熊猫中毒』という戯曲を完成させる話なのです。あー、複雑になってきた、皆さん話についてきてますか？

（■ ストーリー
主人公キタガワノボルは、小さな美術館で働いている。真面目だが、いつもどこかぼんやりしており、虚しい空気を纏った青年だ。彼は大学時代、恩師の頼みで、ある女子高の演劇部のために海外の台本を翻訳したことがあった。
『大熊猫中毒』･･･その訳を進めるうち、彼は思いを寄せた一人の高校生の役を、どんどん大きくしてしまう。台本は原作とかけ離れ、病弱な彼女は役を担いきれずに入院し、その舞台に立つことはなかった。
彼女は本当の『大熊猫中毒』を書いて欲しいと言い残して、彼の前から姿を消す。その後は会うこともなく、数年が過ぎていた。
ある夜、美術館で展示作業をしていた彼は、思わぬ形で彼女やその友達の女子高生たちと再会する。理知的な杏子、わがままだが憎めないところのある静、人間好き演劇好きで情熱は人一倍だが、どこかとんちんかんなところがある光代。そして「今いる自分をどこかに流し去りたい」と、いつも思っていた裕一郎。
ノボルは彼女たちに、自分がまだ『大熊猫中毒』を完成させる途上にいることを知らされる。）

役者達は舞台俳優からダンサーやパントマイマ－など様々な身体性を持つ人達ばかり。
人によって身体性も、そこから発せられる言葉も違う。いや言葉自体は『大熊猫中毒』の戯曲に書かれている。観客の僕らは一体これがドラマリーディングなのかなんなのか、距離を取って様子を見ているのだが、いつしかそれに引き込まれて行く。
手がかりは、俳優達にとっても、観客達にとっても『大熊猫中毒』という戯曲のみ。
冒頭提示された異質な世界は、戯曲を媒体としながら、そのストーリ－の進行と共にだんだんと関係を持ちはじめ、関係不全の世界はいつしかそれを逆に照射しだす。

ラストシーン
主人公のノボルは手にした戯曲を投げ捨て、観客に向き合う。
「違う、違う。これじゃないんだ。違う。」「そうじゃなくて」
本当の『大熊猫中毒』を完成させる為にワープロを叩き続けるノボル、それをいつまでも見ている女。そしてさらにそれを観ている僕ら観客。

カーテンコールの拍手を受けて、『大熊猫中毒』という作品は、表現者と観客とのコミュニケーションは完成したんだ。矢野靖人の目論みと共に。

とても素晴らしいドラマリーディングでした。

おしむらくは、アンケートだけではなく、なぜこの作品への感想を書き込む掲示板やトラックバックする場所が無いのかという事。感想や劇評のまとめサイトが必要ではないでしょうか。
なぜ「名古屋」で今ドラマリーディングなのか。そして東京のカンパニーばかり（ort-d.dは東京、宮崎本拠地だけど）が呼ばれたのかという事。演出では矢野靖人君、戯曲もスエヒロケイスケさんが名古屋出身というだけですからね。
「shelf」「reset-N」「風琴工房」「ort-d.d」という若手の東京演劇の最前線を体現している4団体が参加しているのですが、果たして今回の観客層は名古屋の若手演劇人と言って良いものなのだろうかという事。ああ、もったいない。

こういう疑問には是非ともリアルタイムで説明して欲しいですね。
劇場に来たお客さんが感動して、口コミで広げてくれるのはもちろんですが、それぞれが１日しかやらない公演では、即効性が求められるのではないでしょうか。
この4作品を観て、全て感想を書いている人のブログがありましたら是非とも教えて下さいませ。
ていうか、やらなきゃいけねえよ、名古屋の劇評家なら。
28日のort-d.d演出 スエヒロ　ケイスケ作　『ｗａｔｅｒ　ｗｉｔｃh』を観て悔しがって下さい。僕はまだ観てないのに悔しがっています。
それぐらいの価値がある4公演です。僕もshelfしか観てないけど、他の演出家の実力は存じ上げてますので。正直後ろ髪をひかれながらの帰京でした。
あー名古屋うらやましい。そしてもったいない。

あ、思い出した。
唯一の作品に対する疑問なのですが、俳優が床から台本を拾い上げる時に、こー、何かもう一つ仕掛けが必要な気がするのです。
あの場に居た方は一体どう思ったのでしょうか。

作品は終わっても、コミュニケーションは始まったばかりです。
どうかこの企画が一回限りでない事を祈ります。

NEVER LOSE 　片山雄一　2005.08.27
      
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   <title>稽古場レポート ３日目</title>
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   <published>2006-11-28T03:28:03Z</published>
   <updated>2006-11-28T03:31:08Z</updated>
   
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      今日は朝から冷え込んで、今年一番の寒さだ。
何を差し入れしようか考え、池袋西武『味咲き』の鯛焼きを持って行く事に決めた。
小倉餡＆クリームチーズが入っていて、一口かぶりつくと、なにこれ？ヤベえ！なのだ。

演出の矢野君は休憩時間をあまり取らないタイプの演出家なので、朝から稽古をしている俳優達は、多分お腹を空かせているだろう。
いつの間にか夜が早くなっていた。クリスマスの飾りつけをした池袋の街を、心配しながら急ぐ。

稽古場には１８時過ぎに到着。
皆は衣装を着ていた。
演出家が衣装さんに要望を伝えている間、休憩のような雰囲気になっている。

衣装を脱いだ俳優達に鯛焼きを配る。
皆、ヤベえ！ヤベえ！と言いながらむさぼりつく、一瞬で無くなる差し入れ。阿鼻叫喚。
嘘です。
美味しい美味しいと、とても上品にお食べ下さりました。

しばらくして稽古再開。
が、空気が重い。
うまくはいってないらしい。
どうにかしようと抗うのだが、どうにも良い方向に転がっていかない。

ずっと稽古をしているとこういう停滞する時期が必ず襲ってくる。

集中する為暖房を切るが、他の部屋からの雑音が聞こえてくる。
どうも昨日までの稽古場とは勝手が違う。

周りを意識し、その空間にあるイレギュラーな壁や音やモノさえも意識するよう訓練している俳優達にとって、この稽古場に馴染むには時間が足りない気がした。
優秀な俳優程、空間に影響される。

意識と身体と言葉のズレが、演出のズレにまで少しずつ拡大していく。
それに必死で抵抗していけばいくほど、物語は暗く真面目になってしまう。
真面目「だけ」になった俳優ほどつまらない者はいない。
「だけ」になった俳優は今までの経験を元に演技プランを立ててくる。
客演の多いshelfでそれは、いきおい自分達の所属している集団の表現になる事を意味する。
「shelfの表現は？」「shelfって何？」

焦りだけがつのっていく。
そこに居る全員が、周りの雑音を切り捨てるように、個人的な事柄に終始してしまったように思う。

「最後は圧倒的なカタルシスにしたい」と演出家が言う。
しかしこの空気や関係を良い方向に持って行かなければ、そのカタルシスは無い。
俳優と演出家にとってこの日は最悪の一日なのだろう。

だが、
観客の僕には、作品と稽古場が初めてリンクしてきた、そんな気がした。
カタルシスの解放の前には、耐え忍ぶ時間が無いとけっして成立しない。
この作品のカタルシスさえ作れれば、この稽古場はうまく転がっていく。
そう思ったんだ。
だから僕はいつも通りへらへら笑っていた。

名古屋に行く頃にはきっと、夜はもっと早くなり、もっともっと冷え込んでくるのだろう。
それを吹き飛ばすカタルシスが欲しいと切に願う。
マッチ売りの少女が灯す、一擦りのマッチの明かりのように、明日も稽古場に差し入れを持って行くのだ。   


      
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   <title>稽古場レポート ２日目</title>
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   <published>2006-11-28T03:26:19Z</published>
   <updated>2006-11-28T03:27:49Z</updated>
   
   <summary>今日は19時を少し回って稽古場到着。 しかし演出家の姿はない。 なかなか来ない。...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://theatre-shelf.org/blog/">
      今日は19時を少し回って稽古場到着。
しかし演出家の姿はない。
なかなか来ない。
俳優たちは前日の指定や台詞を確認している。

と、俳優の一人、凪　景介（Ort-d.d）が「やるか」と言って音楽を掛け出す。
音楽に合わせて、空手の型のような、ダンスのような、体操のようなことをしだす。
良く見るとストレッチや関節の稼動範囲を広げるような振り付けだ。
ハッスル体操というらしい。
２回ほどそれをやって、皆の息が上がった。
少し休憩して一服しようとするとそこに演出家が到着、間が悪い…。
手にはなんだかたくさんの紙袋を持っている。
小道具が到着した。
なんだかたくさんの紙袋には、なんだか怪しいものがたくさん入っていた。
椅子とテーブル、たくさんのロウソク、燭台にグラス、タオル…他の俳優が持ってきたボトル×２。

確認しながら皆で今日のおやつ「浅草名物　芋きん」を食べる。うまい。

ロウソクに火をつけたり、葉巻きを吸ったり、空のグラスに空のボトルでシャンパンを注いだり、文章にすると全く解らないが、当人達は今までの芝居に合わせて小道具を試している。

さて、今日は昨日の混乱からの続きだ。

稽古も昨日の続きから。
たった一日しか経っていないのにずいぶん整理されている。
ずいぶんと優秀な俳優たちを揃えたものだ。

しかし小道具には苦労をしている。
今まで無対象でやっていた演技が、本物を使った瞬間どうしてもブレてしまう。
本物は怖い。
今までの嘘がどんどん蹴られてしまう。

加えて地下の稽古場はどんどん冷え込んでくる。
俳優の身体の動きが少ない為、さきほど暖めてほぐした身体はいつの間にかこわばってくる。
昨日は順調に進んでいった稽古が少しずつ、鈍くなっていく。
瞬間瞬間を見れば面白いのだが、どこかチグハグな印象だけが浮き立つ。

気が付けば、もう２３時を回っていた。

今日でこの稽古場とはお別れ、明日からはみらい館へと場所は移る。
２３日は祝日で、一日中稽古らしい。

地下から地上に移るように、何かが変わって行くのだろうか。
混乱はまだ続いている。   



      
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   <title>稽古場レポート １日目</title>
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   <published>2006-11-28T03:23:32Z</published>
   <updated>2006-11-28T03:26:08Z</updated>
   
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      前記の通り、急遽shelfの稽古場におじゃましました。

稽古自体は19時から始まるとのこと。矢野君からのメールでは稽古は佳境に入ったらしく、果たしてそんな時期にレポートしてよいのだろうかと少し不安になる。
地下への階段を降り、扉越しに中の様子をうかがいながらゆっくりとノブを回す。
「おはようございます」
気がつけば、長年演劇界に居て当たり前になってしまった常識で挨拶をしていた。
今までの常識を、言葉を、身体を疑い、既存のテキストを分解、再構築する演出家、矢野靖人の率いるshelfの稽古レポートはこうして始まった。

できうるならば、私が初めてshelfの表現に触れ、戸惑い、驚き、理解したプロセスをこのレポートで再現してみようと思う。
果たしてそれが皆さんの観劇上の指針になるのか、それとも余計なお世話かわからないが、とにもかくにも全力を尽くすつもりだ。
それが、１番最初の観客の勤めだと私は思うのだ。

稽古場に来て一番最初に感じたのは、その緊張感だ。
本番が行われる七ツ寺スタジオの舞台と同規模程度の稽古場に、俳優が５人、演出家が１人。たったそれだけの人間がかなりの濃密な空気を作り出している。

その中で日常からやって来た私は、明らかに居場所を失ってしまった。

俳優は身体をほぐしストレッチをしているだけなのに、私はそこに居ることができない。何故だろうか。 

多分、当日実際に彼らの舞台に触れる観客は同じ思いをするだろう。

既存の演劇に比べ、殆ど動かない俳優達。その身体とそれを支える意識の前に僕らは動けない。

私は彼らを観ていたつもりなのだが、実は彼らに観られているのだろうか。
「意識を広げて」「もっと周りを気にして」床のキシミ、息づかい、紙が落ちる音。
舞台上で偶然起きる様々な音のアクシデントにも意識を向けるよう、演出から指示が入る。 
意識された偶然や私達は、いつの間にか芝居の一部に組み込まれてしまう。

目には見えないが、その場を共有した人間には確実に存在を認識できる、空間を埋め尽くそうとする俳優達のココロの働き、緊張感。

あぁ、

そこで私は、この原作がイプセンの『幽霊』だと思い出した。
演劇は風に書かれた文字だと言ったのは誰だったか。
私とあなたの間にある目に見えない何か。次の瞬間すぐに消えてしまう何か。だけれども確実に共有できる何か。
それを目に見えないはずの幽霊に託して、shelfは作品を構築していた。 

そして稽古終了。

見学初日なので頭から順番に観れる訳ではなかったが、はっきり言って解らない。
まずイプセンが解らない。
名前に「プ」が付くって意味ワカンナイ。

10年以上前に『人形の家』を読んだが、あまりにも遠い過去なので忘れてしまっている。『幽霊』なんて知ってるわけ無い。
一応私はこれでも、演劇の専門学校で2年間勉強し「芸術専門士」というよく解らない資格のようなものを持っている。
狂言、日舞、クラシック、モダン、野口体操、声楽、発声、日本及び世界演劇史などなど。新劇の学校で、先生はアングラ出身で、小劇場を観に行き、静かな芝居と言われた青年団に入った。
なのに解らない。
いや、目の前で起こっている事がなんなのかは解るんだけれども、それが一体どんな意図のもとに構築されていくのかが解らない。
なのに俳優と演出は、ある共通の思いで繋がっている。

さあ説明も解らなくなってきました。

とりあえずまだ混乱しておこう。
重要なのは自分の理屈や概念で表現を判断するのではなく、相手の表現をそのまま受け取る事なのだから。きっと名古屋の観客もこの混乱を通るのだろう。

片づけと着替えをした後、池袋に移動し今後どんな形でレポートを進めていくのか少しだけ矢野君と話す。
終電ギリギリで電車に飛び込み、家についた時は1時をとっくに回っていた。


      
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   <title>始めに</title>
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   <published>2006-11-28T03:22:27Z</published>
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      ひょんなきっかけからshelf名古屋公演『構成・イプセン ― Composition / Ibsen』の稽古場レポートを執筆することになりました。
東京⇔名古屋を結ぶ366.0 projectの中で気がついたら僕しか稽古場に行けなかったし、そもそも稽古場レポートやりゃあいいんじゃねえの？といういいだしっぺなのですよ、ぼかぁ。
11/21～11/30まで、できうる限りshelfを追い掛けます。
正直なところで話すと、一番最初の観客になりたかったのです。

なので僕の文章やらまとめやら感想やら観劇やらを待ってる人ごめん！必ずやります。
あと新婚なのに今日も終電とかで帰って来てごめん！そりゃ寝るよね。
熱の伝播を止めたくないのです、許して下さい。

わけもわからず熱が人に伝わり、その人がその熱をまた別の人に伝えていく。
その行為はかつて演劇と呼ばれたはずなんだ。
知ってるだろ？

名古屋の熱を冷ませたくない。

その思いだけでこれからレポートを書いていこうと思います。

さあ、始めよう。
一緒にだ。

      
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