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AAF戯曲賞ドラマリーディング shelfリミックス『大熊猫中毒』

というわけで名古屋に行ってきたんです。
目的は、タテヨコ企画の好宮温太郎(以前客演)と藤崎成益(10月客演)が参加するAAF戯曲賞ドラマリーディング shelfリミックス『大熊猫中毒』観劇と刈馬カオス君のドラマリーディングワークショップの見学、そして夏バテ気味なのでひつまぶしを食べるためです。

前々日からの日記にも書きましたが、25日に台風に逆らうように名古屋に向かいました。

13時から16時30分まで刈馬カオス君のドラマリーディングワークショップの見学。
普通の公演とリ-ディングの違い、朗読とリーディングの違いなどを、リーディングを全く知らない私にも大変わかりやすく説明していただきました、というかこのわずかな時間で目の前で観せてくれました。
こんな講習を一番最初にやられたら、他の講師の皆さんは大変です。
このドラマリーディング黎明期、共通の考え方はまだ整っていないので「リーディングとは一体なんだろう?」「私の考えるリーディングとは」の2点を基点に講習をするしか無いと私は思うのですが、刈馬君はそれを全部やってしまったな。
初日にそれをやられたら、後の人達はちょっと困ってしまうな。
さすがです、うん。

終了後、栄でうどんをするする食べ終え、なぜか知らない人に道を聞かれ、再び芸文へ向かい観劇。いや観劇と言って良いのだろうか、観ドラマリーディングへ。
この公演のコピーは「耳でみる 劇を聞く」さあ、一体どんな表現が行われるのだろう
前売りは芳しくなかったようですが、どうしてどうして。開演前に客席は埋まり増設までしていました。客層はちょっと年齢高めです。

私は客席の一番後ろ、真ん中の席に座りました。一番観やすい所です。
舞台は数十cm高くなっていますが、何もない黒い素舞台。奥にあるスピーカからノイジーなサウンドが静かに空間を包んでいます。
ノイジーと言っても耳障りな「キーン」という音ではなく「ブ-」とか「ボー」とか接触不良時や電気製品の駆動音、いやアンプの音なのか?
それが心臓の鼓動のような一定の周期でくり返されてます。

しばらくして奥から中華風な衣装を着た役者が登場、中華「風」です。舞台上にずっと停まっています。「止まる」ではなく「停まる」といった感じでしょうか。
ノイジーサウンドが流れるまま動かない役者達(約8分間!)開演諸注意のアナウンス(これどうにかなんないんだろうか)の後、
サウンドが停止して静寂、俳優の口からそれぞれ、なんと形容していいのか「あー」「うー」という音が出てくる。ずっと停まっていた身体から発せられた言葉はそれだけで劇的でした。
言葉の後はそれぞれランダムに動き始め、触ろうとしたり歩いたり身体的にコミュニケーションを取ろうとする。しかしそれはあまり上手くいっていないらしい。
「うー、これはドラマリーディングなのだろうか、早く読めっちゅうの」
そう思い始めた瞬間、役者は舞台上に落ちていた『大熊猫中毒』の台本を拾い、読みはじめる。
そうやってこの公演は始まった。

この時点では観客と演出と戯曲、役者自身と役、言葉と身体はすべて分離していました。
あの空間にいた私達はコミュニケーションの不全に落ち入っていました。
それぞれが解りあえない関係、バラバラに存在している。それが僕ら現在に生きる都市生活者のリアリティ。それを共有していました。
いや頭では誰だって理解しているんです。君と僕とは違う人間で、僕らは解りあえない。
でもそれを演出家が表現として提示するのは、かなり勇気のいる事なんです。
だって、
それを見せられてもつまらないから。
目の前で自分と関係ない、わけのわからない事が行われていてもつまんないでしょ?それをお金を払って時間を割いて劇場まで足を運ぶなんて、そんな事できないですよ。

演出家の矢野靖人はこの冒頭でそれをあえて提示し、それぞれを「解りあえない関係」と位置付けしたうえで、『大熊猫中毒』という一遍の戯曲で関係を結び付けようとしたのではないでしょうか。
なぜなら『大熊猫中毒』という戯曲の内容は、関係不全を通して『大熊猫中毒』という戯曲を完成させる話なのです。あー、複雑になってきた、皆さん話についてきてますか?

(■ ストーリー
主人公キタガワノボルは、小さな美術館で働いている。真面目だが、いつもどこかぼんやりしており、虚しい空気を纏った青年だ。彼は大学時代、恩師の頼みで、ある女子高の演劇部のために海外の台本を翻訳したことがあった。
『大熊猫中毒』・・・その訳を進めるうち、彼は思いを寄せた一人の高校生の役を、どんどん大きくしてしまう。台本は原作とかけ離れ、病弱な彼女は役を担いきれずに入院し、その舞台に立つことはなかった。
彼女は本当の『大熊猫中毒』を書いて欲しいと言い残して、彼の前から姿を消す。その後は会うこともなく、数年が過ぎていた。
ある夜、美術館で展示作業をしていた彼は、思わぬ形で彼女やその友達の女子高生たちと再会する。理知的な杏子、わがままだが憎めないところのある静、人間好き演劇好きで情熱は人一倍だが、どこかとんちんかんなところがある光代。そして「今いる自分をどこかに流し去りたい」と、いつも思っていた裕一郎。
ノボルは彼女たちに、自分がまだ『大熊猫中毒』を完成させる途上にいることを知らされる。)

役者達は舞台俳優からダンサーやパントマイマ-など様々な身体性を持つ人達ばかり。
人によって身体性も、そこから発せられる言葉も違う。いや言葉自体は『大熊猫中毒』の戯曲に書かれている。観客の僕らは一体これがドラマリーディングなのかなんなのか、距離を取って様子を見ているのだが、いつしかそれに引き込まれて行く。
手がかりは、俳優達にとっても、観客達にとっても『大熊猫中毒』という戯曲のみ。
冒頭提示された異質な世界は、戯曲を媒体としながら、そのストーリ-の進行と共にだんだんと関係を持ちはじめ、関係不全の世界はいつしかそれを逆に照射しだす。

ラストシーン
主人公のノボルは手にした戯曲を投げ捨て、観客に向き合う。
「違う、違う。これじゃないんだ。違う。」「そうじゃなくて」
本当の『大熊猫中毒』を完成させる為にワープロを叩き続けるノボル、それをいつまでも見ている女。そしてさらにそれを観ている僕ら観客。

カーテンコールの拍手を受けて、『大熊猫中毒』という作品は、表現者と観客とのコミュニケーションは完成したんだ。矢野靖人の目論みと共に。

とても素晴らしいドラマリーディングでした。

おしむらくは、アンケートだけではなく、なぜこの作品への感想を書き込む掲示板やトラックバックする場所が無いのかという事。感想や劇評のまとめサイトが必要ではないでしょうか。
なぜ「名古屋」で今ドラマリーディングなのか。そして東京のカンパニーばかり(ort-d.dは東京、宮崎本拠地だけど)が呼ばれたのかという事。演出では矢野靖人君、戯曲もスエヒロケイスケさんが名古屋出身というだけですからね。
「shelf」「reset-N」「風琴工房」「ort-d.d」という若手の東京演劇の最前線を体現している4団体が参加しているのですが、果たして今回の観客層は名古屋の若手演劇人と言って良いものなのだろうかという事。ああ、もったいない。

こういう疑問には是非ともリアルタイムで説明して欲しいですね。
劇場に来たお客さんが感動して、口コミで広げてくれるのはもちろんですが、それぞれが1日しかやらない公演では、即効性が求められるのではないでしょうか。
この4作品を観て、全て感想を書いている人のブログがありましたら是非とも教えて下さいませ。
ていうか、やらなきゃいけねえよ、名古屋の劇評家なら。
28日のort-d.d演出 スエヒロ ケイスケ作 『water witch』を観て悔しがって下さい。僕はまだ観てないのに悔しがっています。
それぐらいの価値がある4公演です。僕もshelfしか観てないけど、他の演出家の実力は存じ上げてますので。正直後ろ髪をひかれながらの帰京でした。
あー名古屋うらやましい。そしてもったいない。

あ、思い出した。
唯一の作品に対する疑問なのですが、俳優が床から台本を拾い上げる時に、こー、何かもう一つ仕掛けが必要な気がするのです。
あの場に居た方は一体どう思ったのでしょうか。

作品は終わっても、コミュニケーションは始まったばかりです。
どうかこの企画が一回限りでない事を祈ります。

NEVER LOSE  片山雄一 2005.08.27

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2006年11月28日 12:33に投稿されたエントリーのページです。

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