shelf について
"shelf"はbook shelf(本棚)の意。
何もない世界の両端を区切ることによって生まれる空間、 沢山のテキストが堆積・混在する書架をモチーフに活動を展開。
"shelf"はbook shelf(本棚)の意。
何もない世界の両端を区切ることによって生まれる空間、 沢山のテキストが堆積・混在する書架をモチーフに活動を展開。
shelf演出家・代表。 1975年名古屋市生まれ。
北海道大学在学中に演劇を始める。
舞台細見 ~ AAF戯曲賞リーディング 物語の二重性で複雑な味わい ~
愛知県文化振興事業団が主催するAAF戯曲賞の受賞四作品を、リーディングのスタイルで上演する試みがこのほど行われた。新進気鋭の演出家四人が真摯に戯曲と格闘し、演出と演劇の新しい可能性を示して魅力的だった。
かながわの演劇時評 ~ 手法の多様性生かす 横濱・リーディング・コレクション「太宰治を読む!」 ~
相鉄本多劇場で横濱・リーディング・コレクション#1「太宰治を読む!」と題した公演があった(8月23~27日)。東京の演劇集団 shelf を率いる矢野靖人がプロデュース、横浜周辺の演劇活動を支援する横浜SAACなどが共催した。
演出家と俳優とが、互いに刺激的で、クリエイティブな空間を共有するためには、どうすべきか。
shelf は毎公演時、集まったメンバーと共にワークショップを実施しています。shelf ワークショップでは、先ず最初にお互いの座標を確認し、 演劇について考える「場」を共有するところから全ての作業を開始します。
11月30日から12月3日までの4日間、名古屋の七ツ寺共同スタジオにて、ノルウェーの劇作家ヘンリック・イプセンの戯曲「幽霊」を題材としたパフォーマンス「構成・イプセン―Compositoin/Ibsen」を上演します。
同作品の上演は、イプセンの没後100年にあたる2006年を「イプセン・イヤー2006」として、ノルウェー国内外の主要都市で行われている関連イベントの一つで、名古屋における唯一の公式イベント。
イプセンが1881年に発表した戯曲「幽霊」は、19世紀当時のあの宗教・社会制度・旧弊に雁字搦めのノルウェーで、性病(主人公の息子は梅毒に犯されています)や近親相姦、未婚の出産問題などを取り扱って様々なスキャンダルを巻き起こした問題作。
同戯曲を大胆に再構成したパフォーマンス作品である本作は、オリジナルの主題を「性」、即ち「生」と、そして「死」とに振り回される人間の「存在」そのものである、と架設。発表当時のセンセーショナルな要素を、直接に描くのではなく、現象としては一旦水面下に沈めつつも、しかし「性的」な要素については作品の時間軸の中にふんだんにちりばめ、結果として観る者の身体にズシリとその残滓を残し、感覚に痕跡を残すような、そんな構成を目論んでいます。
ギリシア悲劇にも比肩される圧倒的なカタルシスを、どうか、ご期待下さい!
shelf volume 05
『構成・イプセン― Composition / Ibsen』
2006.11.30 Thu.→12.03 Sun. @七ツ寺共同スタジオ
原作 / ヘンリク・イプセン『幽霊』より
Written by Henrik Johan Ibsen
構成・演出 / 矢野靖人
Composed and directed by Yasuhito Yano
ギリシャ悲劇にも比せられるイプセンの傑作。三幕の家庭劇。愛のない結婚を否定しつつも、因襲的な観念に縛られて放縦な夫のもとに留まり、夫亡き後も家名を守るため偽善に終始してきたアルヴィング夫人。夫の偽りの名誉を讃える記念式典を前に、可愛い一人息子のオスヴァルが、病を患って帰ってくる。帰国した息子は夫人の召使いのレギーネを自分の伴侶にと望むが、彼女が他ならぬ彼自身の異母妹であることを知らされる。
イプセンは創作に際し家庭劇、ことに現代劇にその基礎を置いた。それは一般に、当時の生活状況や道徳問題について、自らの批評や疑問を紹介するためであったと云われている。
ノルウェーの劇作家。近代が抱えるさまざまな問題を取扱い、リアリズム劇を確立したことで近代演劇の父と言われる。
刈馬カオスと申します。
名古屋でメガトン・ロマンチッカーという劇団を主宰している、劇作家・演出家です。
そんな私がshelfを大推薦するのです。
本当に、絶対に観てほしいのです。
私なりに、shelfがどれだけ魅力的かをつらつらと書き綴ってみたので、参考にしてもらえたらと思います。
崇高なアートと、空前のエンタテイメントが共存する、shelfという現象を体感できる喜びを、是非!!!
僕は演劇が苦手だ。
やけに早くて大きな(切れてるとか言うアレ)動作。どこに喋ってるのか分からない声。意識や心境を飛び越えた過剰な感情表現。いつもどこかに力が入っているのが透けて見えると、とても疲れてしまう。出来れば月に一度しか見たくない。
別に面白くないとか、そういう事ではない。こってりして疲れてしまうというだけだ。
そしてShelfには、この感じがない。
366.0 project は、次世代を担う若手演劇人による共同プロジェクトの名前です。
名古屋・東京の2都市に密着した展開を予定しており、公演・ワークショップ・シンポジウムなどの活動を計画しています。
「366.0」は東海道線の名古屋・東京間の距離「 366.0km」を表した数値であり、明日でもないが遥か未来でもない、366日後という「遠くない将来のリーダー」をめざす、次の世代の意欲をイメージしています。
<366.0プロジェクト・レビュアー募集のお知らせ>
こんにちは、はじめまして。レビューを書くことによってこのプロジェクトに参加しているかめだけいこと申します。
この366.0プロジェクトは、『次世代を担う若手演劇人による共同プロジェクトの名前です。名古屋・東京の2都市に密着した展開を予定しており、公演・ワークショップ・シンポジウムなどの活動を計画しています。「366.0」は東海道線の名古屋・東京間の距離「 366.0km」を表した数値であり、明日でもないが遥か未来でもない、366日後という「遠くない将来のリーダー」をめざす、次の世代の意欲をイメージしています。』
― http://butai.org/labo/nt.htm より ―
では、ここでいう「リーダー」とは、いったい誰のことでしょうか。どこか遠い、自分とは関係のない場所にいる世話好きなヒトのことでしょうか?たったひとりのヒーローのために用意された言葉でしょうか?
☆2005年8月25日 19:00~ 愛知県芸術劇場小ホール
☆AAF戯曲賞ドラマリーディング 『大熊猫中毒』
☆演出:矢野靖人/出演:shelf
バラバラの方向に立った役者たち。「イスに座って戯曲を読む」という従来の「ドラマリーディング」ではないはじまり…。舞台上には戯曲中に登場する人物たちが、最初からそろっているという状況。このはじまりに立会い、「戯曲の中には、すでに完結した物語が存在している。」ということを改めて感じさせられた。役者1人1人が登場人物をすでに内包し、そこに立っているという事実…本来は演劇の底流に潜んでいる“戯曲台本”という存在を逆手にとって、その構成までを舞台上に置いてしまうというこの試みは、「リーディング」という規定を、かえって新たな可能性に変換してしまっているように思えた。
☆2006年 6月14日 19:00~ 日本陶磁器センター3F会議室
☆「箱男と箱女」写真展関連パフォーマンス:韓国凱旋公演「ファシズム!」
☆演出:寂光根隅的父(双身機関)美術:水谷イズル
双身機関は1995年に演出家・寂光根隅的父(じゃこうねずみのぱぱ)と女優・獅子見琵琶(ししみびわ)を中心に結成されたカンパニー。名古屋を拠点に活動を展開し、舞踏家やアングラと呼ばれた演劇の出身者、現代アート作家との交流も盛ん。彼らの根底に流れる「現代社会を深く強く問う」姿勢は、エンターテイメント演劇が盛り上がりを見せている名古屋にあって、少数派といえるだろう。『現代の日本人である私達は、日本の近代がもたらした歪みの中を生きている。それは政治的問題だけではなく、私達の身体構造にも深く影響を及ぼしている。-中略-ある種歪められた身体と言語に疑問を持たずして、日本人としての自己表現は成立しない』と述べ、『それらを認識し、始源の記憶を呼び起こし現在という時間との狭間で何が可能か?を模索している』(JCDN登録アーティストファイルより)という寂光根隅的父。演劇表現の、身体性に強いメッセージをこめた作品を発表し続けている。
☆ 2006年11月11日 19:00~ 千種文化小劇場
メガトンロマンチッカー 『マイ・フェーバリット・バ─────―ジン』
作・演出:刈馬カオス/出演:メガトン・ロマンチッカー
名古屋の人気演劇カンパニーの1つであるメガトン・ロマンチッカー。彼らの公演が行われた千種文化小劇場を訪れると、まず観客層に驚いた。ずいぶん若い観客が多いと感じたのだ。刈馬の扱うテーマは今回の『マイ・フェーバリット・バ─────―ジン』では「障害者向けデリバリーヘルス」であり、前回の『モンスターとしての私』では作品構想直後に偶然起こった佐世保での小学生児童による同級生殺人事件と1997年に神戸で起きた酒鬼薔薇聖斗事件を絡ませた作品など、非常に重いテーマである。それにも関わらず観客層に若者たちが多いというのは、重いテーマながらもそれらを(刈馬いわく)『冒険演劇』や『恋愛演劇』と銘打って、ポップに仕上げていることに起因しているのではないだろうか。
☆2006年11月12日 13:00~ 千種文化小劇場
☆366.0プロジェクト スペシャルアクト4×2
☆NEVER LOSE 『4人の為の独白。』
NEVER LOSEは、主宰の谷本進と作・演出を手がける片山雄一が中心になって活動をする東京拠点の演劇カンパニー。「演劇を知らない人達に観てもらいたい」「演劇に対する概念を変えたい」「向こうが劇場に足を運ばないのなら、僕らから会いに行こう」そんな考えから、普段はクラブやライブハウスでも上演を行っているという彼ら。名古屋初上陸の作品は今回が初めての劇場公演だという『4人の為の独白。』で挑んだ。自らのことを「媚びず、悪びれず、現状を打破して前に進もうと、もがき続けるストイックな演劇集団」だと名乗るこのカンパニーのネットワークには、アパレル業界や音楽関係者にも強いフレンドシップがあるのだという。クールでスタイリッシュな印象のメンバーたちには、どんな想いがこもっているのであろうか。
どの業界でもそうだが、同世代同士の競い合いほど
はたで見ていて面白いものはない。
2000年以降、演劇界は「演出とは何か」の問いへの
思考を深めていったが、今、三十歳前後の世代は
私たち先行世代の仕事を踏まえつつ、
「演出とは何か」について飛躍的にその思考を深め、
果敢に実践へと取り組んでいるように思う。
そうした「若き野心的な演出家」の一人にshelfの矢野靖人も入る。
予定時間より30分遅れて駅に到着した私は急ぎ足で、ワークショップ会場へと向かう。今回の会場「大門庵」は特定非営利活動法人・起業支援ネットの旧事務所になっているとのこと。以前は遊郭があったというそのエリアを歩いていくと、居酒屋などが建ち並び、何となく往時の残香が漂う。
「大門庵」の看板を見つけてガラガラと引き戸を開けると、以前は「梅乃屋」という居酒屋だったこの建物は、おっとりと時間のとまったようなレトロな雰囲気。不思議な場の雰囲気を味わいつつ、「すいませーーーーん!」と、声をかけた。
ひょんなきっかけからshelf名古屋公演『構成・イプセン ― Composition / Ibsen』の稽古場レポートを執筆することになりました。
東京⇔名古屋を結ぶ366.0 projectの中で気がついたら僕しか稽古場に行けなかったし、そもそも稽古場レポートやりゃあいいんじゃねえの?といういいだしっぺなのですよ、ぼかぁ。
11/21~11/30まで、できうる限りshelfを追い掛けます。
正直なところで話すと、一番最初の観客になりたかったのです。
なので僕の文章やらまとめやら感想やら観劇やらを待ってる人ごめん!必ずやります。
あと新婚なのに今日も終電とかで帰って来てごめん!そりゃ寝るよね。
熱の伝播を止めたくないのです、許して下さい。
わけもわからず熱が人に伝わり、その人がその熱をまた別の人に伝えていく。
その行為はかつて演劇と呼ばれたはずなんだ。
知ってるだろ?
名古屋の熱を冷ませたくない。
その思いだけでこれからレポートを書いていこうと思います。
さあ、始めよう。
一緒にだ。
前記の通り、急遽shelfの稽古場におじゃましました。
稽古自体は19時から始まるとのこと。矢野君からのメールでは稽古は佳境に入ったらしく、果たしてそんな時期にレポートしてよいのだろうかと少し不安になる。
地下への階段を降り、扉越しに中の様子をうかがいながらゆっくりとノブを回す。
「おはようございます」
気がつけば、長年演劇界に居て当たり前になってしまった常識で挨拶をしていた。
今までの常識を、言葉を、身体を疑い、既存のテキストを分解、再構築する演出家、矢野靖人の率いるshelfの稽古レポートはこうして始まった。
できうるならば、私が初めてshelfの表現に触れ、戸惑い、驚き、理解したプロセスをこのレポートで再現してみようと思う。
果たしてそれが皆さんの観劇上の指針になるのか、それとも余計なお世話かわからないが、とにもかくにも全力を尽くすつもりだ。
それが、1番最初の観客の勤めだと私は思うのだ。
稽古場に来て一番最初に感じたのは、その緊張感だ。
本番が行われる七ツ寺スタジオの舞台と同規模程度の稽古場に、俳優が5人、演出家が1人。たったそれだけの人間がかなりの濃密な空気を作り出している。
その中で日常からやって来た私は、明らかに居場所を失ってしまった。
俳優は身体をほぐしストレッチをしているだけなのに、私はそこに居ることができない。何故だろうか。
多分、当日実際に彼らの舞台に触れる観客は同じ思いをするだろう。
既存の演劇に比べ、殆ど動かない俳優達。その身体とそれを支える意識の前に僕らは動けない。
私は彼らを観ていたつもりなのだが、実は彼らに観られているのだろうか。
「意識を広げて」「もっと周りを気にして」床のキシミ、息づかい、紙が落ちる音。
舞台上で偶然起きる様々な音のアクシデントにも意識を向けるよう、演出から指示が入る。
意識された偶然や私達は、いつの間にか芝居の一部に組み込まれてしまう。
目には見えないが、その場を共有した人間には確実に存在を認識できる、空間を埋め尽くそうとする俳優達のココロの働き、緊張感。
あぁ、
そこで私は、この原作がイプセンの『幽霊』だと思い出した。
演劇は風に書かれた文字だと言ったのは誰だったか。
私とあなたの間にある目に見えない何か。次の瞬間すぐに消えてしまう何か。だけれども確実に共有できる何か。
それを目に見えないはずの幽霊に託して、shelfは作品を構築していた。
そして稽古終了。
見学初日なので頭から順番に観れる訳ではなかったが、はっきり言って解らない。
まずイプセンが解らない。
名前に「プ」が付くって意味ワカンナイ。
10年以上前に『人形の家』を読んだが、あまりにも遠い過去なので忘れてしまっている。『幽霊』なんて知ってるわけ無い。
一応私はこれでも、演劇の専門学校で2年間勉強し「芸術専門士」というよく解らない資格のようなものを持っている。
狂言、日舞、クラシック、モダン、野口体操、声楽、発声、日本及び世界演劇史などなど。新劇の学校で、先生はアングラ出身で、小劇場を観に行き、静かな芝居と言われた青年団に入った。
なのに解らない。
いや、目の前で起こっている事がなんなのかは解るんだけれども、それが一体どんな意図のもとに構築されていくのかが解らない。
なのに俳優と演出は、ある共通の思いで繋がっている。
さあ説明も解らなくなってきました。
とりあえずまだ混乱しておこう。
重要なのは自分の理屈や概念で表現を判断するのではなく、相手の表現をそのまま受け取る事なのだから。きっと名古屋の観客もこの混乱を通るのだろう。
片づけと着替えをした後、池袋に移動し今後どんな形でレポートを進めていくのか少しだけ矢野君と話す。
終電ギリギリで電車に飛び込み、家についた時は1時をとっくに回っていた。
今日は19時を少し回って稽古場到着。
しかし演出家の姿はない。
なかなか来ない。
俳優たちは前日の指定や台詞を確認している。
と、俳優の一人、凪 景介(Ort-d.d)が「やるか」と言って音楽を掛け出す。
音楽に合わせて、空手の型のような、ダンスのような、体操のようなことをしだす。
良く見るとストレッチや関節の稼動範囲を広げるような振り付けだ。
ハッスル体操というらしい。
2回ほどそれをやって、皆の息が上がった。
少し休憩して一服しようとするとそこに演出家が到着、間が悪い…。
手にはなんだかたくさんの紙袋を持っている。
小道具が到着した。
なんだかたくさんの紙袋には、なんだか怪しいものがたくさん入っていた。
椅子とテーブル、たくさんのロウソク、燭台にグラス、タオル…他の俳優が持ってきたボトル×2。
確認しながら皆で今日のおやつ「浅草名物 芋きん」を食べる。うまい。
ロウソクに火をつけたり、葉巻きを吸ったり、空のグラスに空のボトルでシャンパンを注いだり、文章にすると全く解らないが、当人達は今までの芝居に合わせて小道具を試している。
さて、今日は昨日の混乱からの続きだ。
稽古も昨日の続きから。
たった一日しか経っていないのにずいぶん整理されている。
ずいぶんと優秀な俳優たちを揃えたものだ。
しかし小道具には苦労をしている。
今まで無対象でやっていた演技が、本物を使った瞬間どうしてもブレてしまう。
本物は怖い。
今までの嘘がどんどん蹴られてしまう。
加えて地下の稽古場はどんどん冷え込んでくる。
俳優の身体の動きが少ない為、さきほど暖めてほぐした身体はいつの間にかこわばってくる。
昨日は順調に進んでいった稽古が少しずつ、鈍くなっていく。
瞬間瞬間を見れば面白いのだが、どこかチグハグな印象だけが浮き立つ。
気が付けば、もう23時を回っていた。
今日でこの稽古場とはお別れ、明日からはみらい館へと場所は移る。
23日は祝日で、一日中稽古らしい。
地下から地上に移るように、何かが変わって行くのだろうか。
混乱はまだ続いている。
今日は朝から冷え込んで、今年一番の寒さだ。
何を差し入れしようか考え、池袋西武『味咲き』の鯛焼きを持って行く事に決めた。
小倉餡&クリームチーズが入っていて、一口かぶりつくと、なにこれ?ヤベえ!なのだ。
演出の矢野君は休憩時間をあまり取らないタイプの演出家なので、朝から稽古をしている俳優達は、多分お腹を空かせているだろう。
いつの間にか夜が早くなっていた。クリスマスの飾りつけをした池袋の街を、心配しながら急ぐ。
稽古場には18時過ぎに到着。
皆は衣装を着ていた。
演出家が衣装さんに要望を伝えている間、休憩のような雰囲気になっている。
衣装を脱いだ俳優達に鯛焼きを配る。
皆、ヤベえ!ヤベえ!と言いながらむさぼりつく、一瞬で無くなる差し入れ。阿鼻叫喚。
嘘です。
美味しい美味しいと、とても上品にお食べ下さりました。
しばらくして稽古再開。
が、空気が重い。
うまくはいってないらしい。
どうにかしようと抗うのだが、どうにも良い方向に転がっていかない。
ずっと稽古をしているとこういう停滞する時期が必ず襲ってくる。
集中する為暖房を切るが、他の部屋からの雑音が聞こえてくる。
どうも昨日までの稽古場とは勝手が違う。
周りを意識し、その空間にあるイレギュラーな壁や音やモノさえも意識するよう訓練している俳優達にとって、この稽古場に馴染むには時間が足りない気がした。
優秀な俳優程、空間に影響される。
意識と身体と言葉のズレが、演出のズレにまで少しずつ拡大していく。
それに必死で抵抗していけばいくほど、物語は暗く真面目になってしまう。
真面目「だけ」になった俳優ほどつまらない者はいない。
「だけ」になった俳優は今までの経験を元に演技プランを立ててくる。
客演の多いshelfでそれは、いきおい自分達の所属している集団の表現になる事を意味する。
「shelfの表現は?」「shelfって何?」
焦りだけがつのっていく。
そこに居る全員が、周りの雑音を切り捨てるように、個人的な事柄に終始してしまったように思う。
「最後は圧倒的なカタルシスにしたい」と演出家が言う。
しかしこの空気や関係を良い方向に持って行かなければ、そのカタルシスは無い。
俳優と演出家にとってこの日は最悪の一日なのだろう。
だが、
観客の僕には、作品と稽古場が初めてリンクしてきた、そんな気がした。
カタルシスの解放の前には、耐え忍ぶ時間が無いとけっして成立しない。
この作品のカタルシスさえ作れれば、この稽古場はうまく転がっていく。
そう思ったんだ。
だから僕はいつも通りへらへら笑っていた。
名古屋に行く頃にはきっと、夜はもっと早くなり、もっともっと冷え込んでくるのだろう。
それを吹き飛ばすカタルシスが欲しいと切に願う。
マッチ売りの少女が灯す、一擦りのマッチの明かりのように、明日も稽古場に差し入れを持って行くのだ。
というわけで名古屋に行ってきたんです。
目的は、タテヨコ企画の好宮温太郎(以前客演)と藤崎成益(10月客演)が参加するAAF戯曲賞ドラマリーディング shelfリミックス『大熊猫中毒』観劇と刈馬カオス君のドラマリーディングワークショップの見学、そして夏バテ気味なのでひつまぶしを食べるためです。
前々日からの日記にも書きましたが、25日に台風に逆らうように名古屋に向かいました。
13時から16時30分まで刈馬カオス君のドラマリーディングワークショップの見学。
普通の公演とリ-ディングの違い、朗読とリーディングの違いなどを、リーディングを全く知らない私にも大変わかりやすく説明していただきました、というかこのわずかな時間で目の前で観せてくれました。
こんな講習を一番最初にやられたら、他の講師の皆さんは大変です。
このドラマリーディング黎明期、共通の考え方はまだ整っていないので「リーディングとは一体なんだろう?」「私の考えるリーディングとは」の2点を基点に講習をするしか無いと私は思うのですが、刈馬君はそれを全部やってしまったな。
初日にそれをやられたら、後の人達はちょっと困ってしまうな。
さすがです、うん。
終了後、栄でうどんをするする食べ終え、なぜか知らない人に道を聞かれ、再び芸文へ向かい観劇。いや観劇と言って良いのだろうか、観ドラマリーディングへ。
この公演のコピーは「耳でみる 劇を聞く」さあ、一体どんな表現が行われるのだろう
前売りは芳しくなかったようですが、どうしてどうして。開演前に客席は埋まり増設までしていました。客層はちょっと年齢高めです。
私は客席の一番後ろ、真ん中の席に座りました。一番観やすい所です。
舞台は数十cm高くなっていますが、何もない黒い素舞台。奥にあるスピーカからノイジーなサウンドが静かに空間を包んでいます。
ノイジーと言っても耳障りな「キーン」という音ではなく「ブ-」とか「ボー」とか接触不良時や電気製品の駆動音、いやアンプの音なのか?
それが心臓の鼓動のような一定の周期でくり返されてます。
しばらくして奥から中華風な衣装を着た役者が登場、中華「風」です。舞台上にずっと停まっています。「止まる」ではなく「停まる」といった感じでしょうか。
ノイジーサウンドが流れるまま動かない役者達(約8分間!)開演諸注意のアナウンス(これどうにかなんないんだろうか)の後、
サウンドが停止して静寂、俳優の口からそれぞれ、なんと形容していいのか「あー」「うー」という音が出てくる。ずっと停まっていた身体から発せられた言葉はそれだけで劇的でした。
言葉の後はそれぞれランダムに動き始め、触ろうとしたり歩いたり身体的にコミュニケーションを取ろうとする。しかしそれはあまり上手くいっていないらしい。
「うー、これはドラマリーディングなのだろうか、早く読めっちゅうの」
そう思い始めた瞬間、役者は舞台上に落ちていた『大熊猫中毒』の台本を拾い、読みはじめる。
そうやってこの公演は始まった。
この時点では観客と演出と戯曲、役者自身と役、言葉と身体はすべて分離していました。
あの空間にいた私達はコミュニケーションの不全に落ち入っていました。
それぞれが解りあえない関係、バラバラに存在している。それが僕ら現在に生きる都市生活者のリアリティ。それを共有していました。
いや頭では誰だって理解しているんです。君と僕とは違う人間で、僕らは解りあえない。
でもそれを演出家が表現として提示するのは、かなり勇気のいる事なんです。
だって、
それを見せられてもつまらないから。
目の前で自分と関係ない、わけのわからない事が行われていてもつまんないでしょ?それをお金を払って時間を割いて劇場まで足を運ぶなんて、そんな事できないですよ。
演出家の矢野靖人はこの冒頭でそれをあえて提示し、それぞれを「解りあえない関係」と位置付けしたうえで、『大熊猫中毒』という一遍の戯曲で関係を結び付けようとしたのではないでしょうか。
なぜなら『大熊猫中毒』という戯曲の内容は、関係不全を通して『大熊猫中毒』という戯曲を完成させる話なのです。あー、複雑になってきた、皆さん話についてきてますか?
(■ ストーリー
主人公キタガワノボルは、小さな美術館で働いている。真面目だが、いつもどこかぼんやりしており、虚しい空気を纏った青年だ。彼は大学時代、恩師の頼みで、ある女子高の演劇部のために海外の台本を翻訳したことがあった。
『大熊猫中毒』・・・その訳を進めるうち、彼は思いを寄せた一人の高校生の役を、どんどん大きくしてしまう。台本は原作とかけ離れ、病弱な彼女は役を担いきれずに入院し、その舞台に立つことはなかった。
彼女は本当の『大熊猫中毒』を書いて欲しいと言い残して、彼の前から姿を消す。その後は会うこともなく、数年が過ぎていた。
ある夜、美術館で展示作業をしていた彼は、思わぬ形で彼女やその友達の女子高生たちと再会する。理知的な杏子、わがままだが憎めないところのある静、人間好き演劇好きで情熱は人一倍だが、どこかとんちんかんなところがある光代。そして「今いる自分をどこかに流し去りたい」と、いつも思っていた裕一郎。
ノボルは彼女たちに、自分がまだ『大熊猫中毒』を完成させる途上にいることを知らされる。)
役者達は舞台俳優からダンサーやパントマイマ-など様々な身体性を持つ人達ばかり。
人によって身体性も、そこから発せられる言葉も違う。いや言葉自体は『大熊猫中毒』の戯曲に書かれている。観客の僕らは一体これがドラマリーディングなのかなんなのか、距離を取って様子を見ているのだが、いつしかそれに引き込まれて行く。
手がかりは、俳優達にとっても、観客達にとっても『大熊猫中毒』という戯曲のみ。
冒頭提示された異質な世界は、戯曲を媒体としながら、そのストーリ-の進行と共にだんだんと関係を持ちはじめ、関係不全の世界はいつしかそれを逆に照射しだす。
ラストシーン
主人公のノボルは手にした戯曲を投げ捨て、観客に向き合う。
「違う、違う。これじゃないんだ。違う。」「そうじゃなくて」
本当の『大熊猫中毒』を完成させる為にワープロを叩き続けるノボル、それをいつまでも見ている女。そしてさらにそれを観ている僕ら観客。
カーテンコールの拍手を受けて、『大熊猫中毒』という作品は、表現者と観客とのコミュニケーションは完成したんだ。矢野靖人の目論みと共に。
とても素晴らしいドラマリーディングでした。
おしむらくは、アンケートだけではなく、なぜこの作品への感想を書き込む掲示板やトラックバックする場所が無いのかという事。感想や劇評のまとめサイトが必要ではないでしょうか。
なぜ「名古屋」で今ドラマリーディングなのか。そして東京のカンパニーばかり(ort-d.dは東京、宮崎本拠地だけど)が呼ばれたのかという事。演出では矢野靖人君、戯曲もスエヒロケイスケさんが名古屋出身というだけですからね。
「shelf」「reset-N」「風琴工房」「ort-d.d」という若手の東京演劇の最前線を体現している4団体が参加しているのですが、果たして今回の観客層は名古屋の若手演劇人と言って良いものなのだろうかという事。ああ、もったいない。
こういう疑問には是非ともリアルタイムで説明して欲しいですね。
劇場に来たお客さんが感動して、口コミで広げてくれるのはもちろんですが、それぞれが1日しかやらない公演では、即効性が求められるのではないでしょうか。
この4作品を観て、全て感想を書いている人のブログがありましたら是非とも教えて下さいませ。
ていうか、やらなきゃいけねえよ、名古屋の劇評家なら。
28日のort-d.d演出 スエヒロ ケイスケ作 『water witch』を観て悔しがって下さい。僕はまだ観てないのに悔しがっています。
それぐらいの価値がある4公演です。僕もshelfしか観てないけど、他の演出家の実力は存じ上げてますので。正直後ろ髪をひかれながらの帰京でした。
あー名古屋うらやましい。そしてもったいない。
あ、思い出した。
唯一の作品に対する疑問なのですが、俳優が床から台本を拾い上げる時に、こー、何かもう一つ仕掛けが必要な気がするのです。
あの場に居た方は一体どう思ったのでしょうか。
作品は終わっても、コミュニケーションは始まったばかりです。
どうかこの企画が一回限りでない事を祈ります。
NEVER LOSE 片山雄一 2005.08.27
ドキドキしてるんです。
わくわくしてるんです。
みんなには内緒にしておきたいような、でもたくさんの人に知ってもらいたいような。
早く!って気持ちと、もったいないからまだとっておきたい気持ちと。
う~ん、例えて言うなら遠距離恋愛中の彼氏にもうすぐ会える!みたいな感じ?
あっ遠足前日!
文化祭直前とか!
いやいや、でもやっぱり恋愛の方がしっくりくるこの感覚。
そもそも別に何かに例える必要はないんですがね。
また冷え込みが厳しくなってきた。
少し用事があり、19時30分から見学。21時には稽古終了なので、今日は余り観られない。
昨日の暖房を切った稽古場の様子を考え、俳優たちはきっと寒かろうと思い、マツキヨで「貼るカイロ」を購入する。
稽古をしている「みらい館大明」は旧小学校を利用した稽古場だ。
懐かしい教室のドアを横にスライドさせると…暖房がしっかり効いていた。
今日は前半に演出意図や段取りを決め、後半に一回だけ通して確認をするらしい。
皆コーヒーやしょうが湯を飲んでいる、暖かそう。
…あれ?と思いながらコソコソとカイロを渡す、必要なかったなぁ。
矢野君にしょうが湯を入れて貰い、クッキーをつまみながら皆の打ち合わせをボーっと見学する。
話はずいぶんと進んでいるので、皆が何を話しているのか余り理解できない。
周りが優しくし気を使っててくれる分、なぜか物悲しくなってしまう。
場所が旧教室のせいだからなんだろうか、外が寒かったせいだろうかアンニュイな気分になる。
アンニュイって言葉久しぶりに使ったなぁ、今の子はわからないだろうなぁ、まてよ?はたしてこれは稽古場レポートなんだろうか。
とそんな事を考えていると20時30分頃から、立ち稽古がはじまった。
初めてつけられた段取りや意図をよく咀嚼して、俳優達が動き出す。
時間を気にしながら最後まで進んだ。
これで明日は最初から最後まで通せる。
まだ形になりきれていないが、明日はようやく全貌がわかる。
今日は11月24日金曜日。
名古屋入りまであと少しだ。
本日は18時30分から見学。
今日は通しが19時から行われる。
私は2場の途中から3場までしか観ていないので、ようやくこ
の芝居の全貌がつかめる。
いやー、今まで何を書けばいいのか考えるのが辛かったよ。
見学者の中に知った顔がチラホラいる。
そのうちの一人、NEVER LOSEにも客演した事がある小田さやかさんに「なんでいるんですか?」
と声を掛けられる。
うん…なんでいるんだろうね、僕もわからないや…
とは言わず、小田さんが参加してくれた『AM 3:00』から名古屋との交流が始まった事を告げる。
彼女はAAFリーディングでOrtチームの一員で名古屋公演の経験もある女優だ。
不思議な繋がりを実感しつつ、演劇界の狭さに触れる。
19時15分から荒通しが始まった。
何人かの役者は衣装を着け、所作や動きに支障がないか確かめるらしい。
残念ながら今日の稽古場は床が絨毯敷きで、いつもと勝手が違うみたいだ。
プロンプがいないので、私がその役を仰せつかる。
しかしだ、稽古を見ていない箇所だとそれが演出なのか、台詞を忘れたのかまったくわからない。
そういう芝居なのだ。
この俳優達は台詞を忘れたくらいでは意識が崩れない。
なのでわからない。
するとプロンプが遅れる。
結局演出家が代わりに台詞をあてる。
あぁ…私はあまりお役に立てませんでした、すみません。
しかも途中で「あれ?もしかしてこの内容書けないよね?ネタバレになるし…また書くことないや…」ということに気づく。
どうしよう。
結果だけ報告することにする。
1時間30分程で通しは終了した。
出来は、悪かった。
俳優は思いのほか打ちのめされている。
でもそれを認めない成功はありえない。
それを確認していた。
当たり前のことに思えるかもしれないが、当たり前のことをちゃんとやれている人達は本当に少ないのだ。
稽古終了後、矢野君は音響の打ち合わせの為新宿へ。
私は俳優達や他の見学者と一緒に、居酒屋へ。
打ち合わせや細々とした用事のせいで、純粋な稽古時間が少しずつ削られてきた。
明日は矢野君が演劇千年計画のワークショップ発表会の為、稽古はない。
俳優は自主稽古をするみたいだ。
本日矢野君は来ない。
自身のワークショップ発表会なのだ。
私は昼から劇団会議、その後すぐに後輩の芝居を観劇、その後自主稽古に顔を出して芸術劇場で山の手事情社を観劇の予定。
あぁ、なかなかに素晴らしい予定だ、グスン。
劇団会議で思った事を正直に話し、レスポンスを受ける時間がないまま池袋シアターグリーンへ観劇。
その後谷本、松丸と再度合流して飯を食べながら打ち合わせ。
東武百貨店で銀のぶどうへ寄り、差し入れ購入。
谷本、松丸と一緒にしばし見学。
俳優達は読み合わせをしていた。
なので特筆する事はなかったりする。
谷本を皆さんに紹介する。
20分ほど見学して芸術劇場へ。
途中谷本と鈴木メソッドや、ギリシャ悲劇について話す。
山の手を観るのは久しぶり。』
俳優、大久保美智子さんに無理を言って席を取ってもらったのだ。
作品はメーテルリンクでお馴染みの『青い鳥』
最初、客席の反応はどうなるかと思ったが、徐々に理解しだし、いつの間にか山の手ワールドに巻き込まれる。
最初から最後まで教訓めいた話なのだが、最後は「青いトリモチ。という冗談落ち。
観終わって何も残らない、素晴らしい。
大いに芸術的な刺激を受けました。
大久保さん素敵でした。
帰宅前に雨が降っていて、傘を購入。
うちには傘が、いったい幾つあるのだろう。
帰宅後お風呂に入ってすぐに就寝。
思ったより自分が疲れている事に気付く。
本日は東京稽古最終日。
19時から通しの予定で、 Ort-d.dの倉迫さんも来るらしい。
用事を済ませ、なんとか通しの20分前に到着。
既に衣装を着て稽古をしていた。
照明さん、音響さんはじめスタッフも揃っている。
部屋に入った瞬間、空調のせいなのか急に咳き込んでしまう。
先月七ツ寺に泊まったときから体調が戻らない、埃アレルギーになってしまったのだろうか。
何回か出入りして薬を飲んだり、うがいをしているといつの間にか倉迫さんがいる。
挨拶をして、しばらく待つ…が、なかなか通しが始まらない
19時を回ったがまだ稽古をしている、どうやら今日は通しをしないようだ。
そのまま時間いっぱいまで稽古。
さまざまな事柄を残しつつ東京稽古終了。
はたから見ていると、矢野君は俳優と我慢比べに入ったのだと思う。
水面下では、泥臭い、しかしある種誠実な表現の戦いが行われていた。
お互いに洗面器に顔を突っ込み、どちらが先に顔を上げるのか。
それは名古屋へ持ち越されたのだ。
さて、図らずも東京稽古では芝居の完成形を観ることはかなわなかった。
少しでも宣伝の為になればと考えこのレポート(レポートなのか?)を書いてきたが、shelfの印象については初日の段階であるていど文章化にしたのではないだろうか。
自分なりにもう一度整理してみようと思う。
まず緊張感。
俳優は自分の存在する空間全てに意識をめぐらし、そこで起こったイレギュラーな音(床の軋み、足音、服の擦れ合う音)まで全てを認知する。
そして身体。
「立つ」という事を徹底的に稽古で行う、その「身体」と身体から出た「言葉」は緊張感を増幅させる。
つまり空間、身体、そしてそこに存在する目に見えない緊張感の微妙な関係がそこにはある。
俳優はそれについていつも微調整を強いられる。
何かが少しだけいつもと違うと、それを修正しない限りフィクションが成立しなくなる。
それが執拗な稽古の繰り返しの理由ではないだろうか。
表現には目に見える表現と、目に見えるがよく目を凝らさないと見えない表現が存在する。
いわゆる演劇のほとんどは前者の「目に見える表現」を行っている。
shelfは圧倒的に後者だ。
この「目に見えにくい表現」は日常では、なかなか気づくことができない。
例えば
車に興味がない人にとっては、いくら日常を暮らしていても車の情報はあまり認知されない。
ところが、いったんそれに気づくと世の中にこんなに車の情報があふれていたのかと、驚愕するはずだ。
「車」を自分の興味があるものに置き換えてみると判りやすいと思う。
世界は、みずから興味を持たない人には薄情なのだ。
矢野靖人という演出家にとって、戯曲はテキスト以上の意味を持たないのではないだろうか。
「目に見えない表現」を目に見える「戯曲」を通過させることによって、観客へ届ける。
その中により目に見えるようにする幾つかの仕掛けがある。
それは言葉であったり、身体であったり、空気であったりする。
ああ、
ここまで書いて、私は私の無力さを痛感する。
全てを言葉にする事が、今の私には不可能だ。
だが、
だがしかし、
それだから演劇という表現があるのだと思う。
私は劇作/演出家という職に足を踏み入れたのだと思う。
果たしてこれは何かの役に立つのだろうか、レポートなのだろうか。
きっと30日からのshelfの本番でも同じことを思うのだろう。
果たしてこれは演劇なのだろうか。
まとめは30日まで持ちこそうと思う。
本番が待ち遠しい。
この一週間は、私にとって、演劇のための演劇だった。
その問いかけはまだまだ続くのだ。