この時代における私たちの圧倒的な“喪失”と、その喪失の原因が自然災害などでなく“人為”的なものであるという逃れ難い事実。あるいは、その恨みをぶつけようにも、これはエウリピデス本来のテキストからよりもこれを 「トロイアの女たち」 として書き改めたサルトルのその時代に対する実感に近いのかも知れないけれど、“神”は既に不在で、とうの昔に滅んでしまっているという事実――
残忍な神々、
おまえたちはいつでも私を憎んでいた、
都という都のなかでトロイアだけを憎んでいたのだ。
儀式どおりに
祀り、犠牲を捧げたものを。
むだだった。
私たちが地獄の苦しみに会っているのに、
そのように天上で笑っている。
が、不滅の神々、おまえたちは間違いをしでかした、
大地震ででも滅ぼされたのなら
だれも私たちの話をしなかったろうに!
私たちはギリシア全土と
アジアの連合国を相手に十年戦った、
そして卑劣な悪巧みにあって、死んでゆくのだ。
私たちの名は二千年の後にも
人々の口にのぼるだろう。
私たちの名誉はやがて認められよう、
おまえたちのばかげた不正も。
だがどうしようもあるまい、
とっくに死んでいようから、
オリンポスの神々も
私たちのように。
――私たちが失ったものとは何だったのか。今、ここに、私たちにとって、取り返しのつかない“喪失”があることだけは確かだ。しかしそれを後悔し悔い改めようにも、あるいは恨みをぶつけようにも、ぶつける対象すら、これも失われてしまっているという、この喪失感の正体はいったい何なのか。
不在の神とはいったい何者なのか。
今回の 「トロイアの女」 は決してエウリピデスの 「トロイアの女」 ではない。ヘカベがその死を嘆くのはアステュアナクスではなく、私たち自身にとっての、誰か(何か)だ。
全てを失った女が、何を恨むのか。これはエウリピデスの「トロイアの女」についての物語ではなく、私たちが“失った”例えば「時代」についての物語であり、その結果としての、「運命」をどう受け入れるのか。ということについての物語である。
言葉にせざるを得ない怒りの感情、さりとて言葉にしたところでどうしようもない。なくしたものはかえって来ない、がしかし言葉に出さないと自分が壊れてしまう、ということ人間の心情/状況を描きたい。
演出/矢野靖人




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